まだまだボケる年ではない。 そう思っていたけれど、その考えは改めなくてはならないかもしれないわ。 自分がどこにいるのか、まったく思い出せないのだから。 確かに私は旅行へ出ようとしていた。しかし、飛行機に乗り遅れた。 だからここは旅行先ではない……はずよね。 部屋の中はどこかの地味なホテルの一室のようだった。 窓の外を見ると、どこか外国の田舎の風景のようね。 はっきり言ってまったく知らない場所だわ。つじつまが合わない。 私は家に帰って寝たはずだわ。これは夢なのかしら? それとも飛行機に乗り遅れたのが夢で本当は旅行に来ていたのかしらね。 「あら、目を覚めましたのね!」 部屋に若い娘が入って来てそう言った。 外国人のようにも見えるけど日本語が達者ね。 このホテルの従業員だろう。もうチェックアウトの時間なのかしら? そういえばここの宿泊料金はどうなっているのかしら。 ここが旅行先ならお金はツアー会社に払い込んである。だが、そうでないとしたら大変だ。 私は自分の手持ちはいくらくらいあったかしらと考えていた。 ホテル従業員の話では、私はこの町の外に倒れていたらしい。 それを助けてここまで運んでくれたという。お金のことは心配しなくていいとまで言ってくれた。 この世知辛い世の中、奇特な人もいたものだわ。 しかし、どうして倒れていたのか思い出せない。きっとどこかで頭を打ったに違いない。 記憶があいまいなこと以外自覚症状はないが早めに病院に行ったほうがいいわね。 その前に、自分がどこにいるのか確かめなくては。私は従業員に尋ねた。 「すみません。最寄の警察署はどこかしら?」 私の言葉に従業員はきょとんとした顔をしている。 よもやここは日本国内ではないのかしら。私は従業員にここはどこなのかと尋ねた。 「ここはリリザの町ですよ。」 リリザ。聞いたこともない地名だわ。私は町の中を歩いてみることにした。 私のいたところはホテルというより宿屋とでも呼んだほうが似合いそうだった。 分からないことだらけだが、私なりに考えてみた。 そして、ひとつの結論に達した。 ここは映画村のようなところなんだわ。 外国風の町並みはドラマや映画を撮るためのものでしょうね。 リリザというのもひょっとしたら『リリ座』という劇団の名前なのかもしれない。 気がつくと私は町の外れに来ていた。 町から出れば都会の町並みが見られると思ったがそうでもなかった。 なんだかすべてが非現実的な気がするわ。 そんなことを考えていたせいか、もっと非現実的なものを見てしまった。 落ち武者だ。 武将というよりは西洋の兵士のような服装だが落ち武者という言葉がぴったり。 その落ち武者はゆっくり私の方に近づくと持っていた槍を構えた。 冗談はやめてほしい。これじゃホラー映画じゃないのよ。 落ち武者はその槍を振り下ろした。 落ち武者の槍は私の後ろにいた大きなねずみに刺さっていた。 こんなねずみ見たことない。保護動物になっていたりしないのかしら。 むやみに珍しい動物を殺したら怒られるだけではすまないかもしれないわ。 そんなことを考えていると落ち武者が叫んだ。 「ムーンブルクの城が陥落した! こんなところにいては危険だぞ!」 どうも映画村という私の考えも間違いだったようだわ。 この落ち武者の人の怪我も特殊メイクには見えない。 そもそも私以外に観光客がいないというのもおかしな話だったのだ。 それよりも落ち武者の人の怪我を治療しなくてはならない。 私は彼を無理やりリリザの宿屋に連れて行くことにした。 宿屋の人に迷惑をかけてしまうが我慢してもらおう。 「私は一刻も早くローレシアのお城に……」 などと言っているが、そんなことを気にしている場合ではないわ。 私と宿屋の娘の必死の看病の甲斐もあり、落ち武者君はずいぶん回復した。 しかし、彼はまるで喜んでいなかった。 「私は命に代えてもローレシアの城に行かなければならなかったのに……」 などと泣きそうな顔で言っている。 「私だけが生き残ってしまった……」 この青年は自分の仕事に命をかけているようだわ。 「あなたは仕事熱心なのね。それなら仕事を全うしなくちゃいけないわね。」 男ってみんなこういう考え方をするのかしら。 「いまからでもローレなんとかに行きましょう。それがあなたの仕事なんでしょ?」 女の私にはどうにも理解できないことだ。 「なぜあなたが遅れたのか、私が一緒に言って説明するわ」 理解はできないが、励ますことはできる。 こんなところで腐っているより何かしているほうがいい。 元落ち武者の彼は一緒に来なくていいと言ってきた。 「その代わりサマルトリアへ行ってくれませんか。」 などと頼んできくる。私はよくわからないまま承諾した。 「それで、そこへ行くバスか電車はどこに行けば乗れるのかしら?」 ……まさか歩いていくことになろうとは。 サマルトリアというのはお城で王様までいるという。ここは日本じゃなかったのね。 とにもかくにも王様にお近づきになれるのはチャンスだわ。 何とか王様に取り計らって日本に帰らなくては。 旅行に行っていることになっている私を誰も探してはくれまい。 私は『せいすい』と呼ばれるものを振りまきながら歩いていた。 こうするとモンスターが近寄ってこないという。 何でもこの辺りでは害獣や害虫をそう呼ぶらしい。 半日ほどかけてサマルトリアのお城らしいところに着いた。 後はあの落ち武者の兵士から預かった手紙を渡せばいい。 さすがに疲れたわ。日ごろからもう少し運動をしておけばよかった。 日本に帰ったら何か運動を始めようと思った。でも、結局しないのよね。 城下町ではよくない噂が広まっていた。それは噂ではなく事実なのだが。 どうやらムーンブルクのお城のほうから煙が上がっているのが見えたらしい。 城に何があったか、わざわざ私が伝えに来ることもなかったかもしれない。 私が煙が見えたなら消防に通報しなさいよと言ったら変な目で見られた。 さすがに単なる旅行者がこんなに簡単に王様に会えるとは思わなかった。 ムーンブルクからの使者だと思われているのかしら。 「せいすい」を使えるなら大丈夫だろうって、どんな基準なのよ。 この国はセキュリティーなんて気にならないほど平和なのかしらね。 私は王様に手紙を渡した。これで私の役目は終わりだわ。 王様は手紙の内容、ムーンブルク陥落に驚いていたようだが覚悟していたようでもあった。 きっとこの国はムーンブルクの同盟国で戦いに協力しなければならないのでしょうね。 平和そうなこの国が戦争に巻き込まれていくのかしら。 なんだかやるせない気持ちになったが私にはどうしようもない。 私は自分のことで手一杯なのよ。私は自国へ帰れるように王様に願い出てみた。 しかし、王様は日本を知らなかった。日本の知名度は思っていたより低いのかもしれない。 「お主は違う世界から来たのかも知れぬな。伝説の勇者ロトも異世界より来たと言う。」 この国では伝説や神話が事実とされているのかしら。 「もしそうならば、わが願いを聞いてくれ。息子の旅を手助けしてほしいのじゃ。」 王様の話によれば王家の人間は伝説の勇者であるロトの子孫なのだという。 そして世界に危機が訪れたとき悪を討つことになっているそうだ。 なんとも荒唐無稽な話だ。この人は本気でそんなことを言っているのかしら。 王様は息子を紹介してきた。……まだ子供じゃないの。 私は幼い王子様に旅に出ることに不安はないか聞いてみた。 「伝説の勇者ロトも言っています。『勇者だって暗いのは怖い』って。」 どんなご先祖様よ。とにかく怖いことは怖いらしいわね。さらに王子様は続ける。 「この国を作ったご先祖様の言葉です。『ドッキリだと思えば何でもできる』と。」 ……もうちょっとマシな言葉は残せなかったのかしらね。 私は断ろうと思ったが無駄だった。拒否すると『そんな酷い』と訴えかけてくる。 有無を言わせぬ強制力。きっとこれが勇者ロトの力なのね。 結局彼がローレシアの王子と合流するまで旅のお供をすることになった。 ……私とこの王子様が2人でいたら周りからどんな関係だと思われるだろうか。 親子というにはちょっと無理があるわよね。 「よろしくお願いします。ええと……」 「私の名前はメグミよ。よろしくね。」 「お世話になりますメグミおばさん。あ、おばさんって呼ぶのは失礼かなぁ。」 そんなことを本人に聞いてどうするのよ。 確かにこのちょっとずれている王子様を一人旅に出すのは不安だわね……