お師匠様が来た。
「グランバニアには何事もなく着いたよ。ちょっと大変だったけどね。」
そう言うお師匠様はちょっと疲れているみたい。
「あの、あの、赤ちゃんも無事だよね?」
「知っていたのトモノリ?」
僕は小さく頷いた。
「まだお腹の中だけど元気に育っているみたいだよ。」
良かった。何かあったらどうしようかと……
「どうして泣いているんだいトモノリ?」
「だって……だって……」

お師匠様たちがお父さんとお母さんになってくれるって言ったとき、すごくうれしかった。
本当の子供になりたいって思った。
でも、すぐに奥さんが妊娠していることに気づいたんだ。
だから僕、お師匠様の申し出を断ったんだ。
お師匠様にはちゃんと自分の子供ができるんだから。僕の居場所はないから。

だから、もしかしたら、僕……
赤ちゃんが生まれてこなければいいのにって思っちゃったかもしれない。
そう思っていたから、グランバニアへ行くのを止めなかったんじゃないかって思って。
お師匠様大好きなのに、僕、お師匠様の不幸を望んでいたかもしれないから……

僕は声にならない声で思いのたけを吐き出した。
普段でも大きくない声をさらに小さくして。
でも、お師匠様はそんな僕の声をずっと聞いてくれていた。

「……良かれと思って言った事で、かえってトモノリを苦しめてしまっていたんだね。」
お師匠様はちょっと悲しそうに、でも優しい口調で僕に語りかけた。
「ね、少し町を散歩しようよ。2人きりでさ。」

「こうして2人でゆっくり話をするのってはじめてかもしれないね。」
そうかもしれない。いつもはモンスター爺さんやイナッツさん、モンスターたちがいたから。
「トモノリがこの世界に来てからずいぶん長い時間経ったよね。」
「お師匠様が結婚して赤ちゃんができるくらいだもんね。でも、全然そんな気がしないよ。」
「トモノリは変わらないね。」
「僕が一人前のモンスター使いになるのはまだまだってこと?」
「いや、そうじゃなくってこのくらいの年のころってもっと背が伸びるものだからさ。」
そういえばそうだね。
もともと体は丈夫じゃないから発育がいいほうだとはいえないんだけど……
「もしかしたらこの世界とトモノリの世界とでは時間の流れ方が違うのかもね。」
そんなことがあるのかな。

「ねえ、もっとトモノリのこと教えてくれないかな?」
「僕のこと?」
「うん。お師匠様だなんて言ってもトモノリのこと何も知らなかったみたいだからね。」
「……でも、何を話したらいいんだろう。」
「何でもいいよ。たとえば元々はどんなところに住んでいたの?」
「もともとは……こことは全然違う世界にいたんだ。モンスターも魔法もない世界。」
「そこでトモノリは何をしていたの?」
「小学生だよ。小学校に通って毎日勉強をしていたんだ。」
「元の世界にも勉強を教えてくれるお師匠様がいるのかな?」
先生ってお師匠様なのかな? ちょっと違う気もするけど。

僕はお師匠様に小学校での思い出を話した。
「僕、いじめられそうになったんだ。僕のしゃべり方が変だって……」
「因縁をつけられちゃったんだね。大丈夫だった?」
「うん。かばってくれた子がいたから。でもお礼が言えなかった。僕に勇気がないから……」
「トモノリはお礼がしたいんだね。それなら元の世界に帰ったらきちんとお礼を言おう。」
「……言えるかな。」
「言えるさ。すぐには言えなかもしれないけど、いつかきっとね。」
「うん。僕帰ったらその子にお礼を言うよ。いつになるかわからないけど必ず……」
その後もずっと、僕はお師匠様と僕の世界の話をした。

長い間話を続けたあと、お師匠は唐突に切り出した。
「ねえ、トモノリ。グランバニアに来てくれないかな?」
「グランバニアに? でも、モンスターの世話はどうするの?」
「それはグランバニアのお城で続ければいいよ。」
「お城で? そんなことして大丈夫なの?」
「それくらいはね。王様の言うことだから。」
「王様の許可を取ったんだね。」
僕がそう言うとお師匠様はクスクスと笑い出した。

「何がおかしいの?」
「ごめんごめん。あのね、これから言うことを笑わないで聞いてくれる?」
「うん。」
「あ、でもちょっとくらいなら笑ってもいいよ。」
「もう、もったいぶらないで教えてよ。」
「あのね、グランバニアの王様は君の目の前にいるんだ。」
「え?」
「王様になっちゃったんだ。正確にはこれから王様になるんだけどね。」
……え? 何それ。ひょっとして革命? 下克上?
「お、お師匠様、きっと、今の王様を倒すより、もっといい解決法があるよ……」

何でもお師匠様は前の王様の子供だったんだって。
今は王様の代理をお父さんの弟がやっていて、その人から王様になるように言われたらしい。
お師匠様が王族だったなんて驚きだよ。親分もそうだけどちっとも偉そうじゃないもん。
それにあっさり王様になるっていうのもびっくりだね。

僕はお師匠様のルーラでグランバニアへやってきた。
モンスター爺さんとイナッツさんにお別れを言って。
でも、そのうちモンスター爺さんたちもグランバニアへ呼ぶつもりみたい。

お師匠様は王様になるための試練を受けている。これを終えれば王様になるんだって。
僕は頑張ってきてねと言って親指を立ててお師匠様を送り出した。
みんな不思議そうにしていたから、これは幸運を祈るって意味だよと教えた。

僕はお城でお留守番だ。お城にいるオジロンさんやサンチョさんはみんな親切だよ。
でも、お城には悪魔がいた。お師匠様が仲間にしたメッサーラのサーラだ。
僕が言うのもなんだけど、サーラって女の人の名前みたいだよね。
「もうすぐ人間が泣き叫ぶ様が見れると思うと楽しみで仕方ないな。」
「ちょっとサーラ、怖いこと言わないでよ!」
「何を言っている。もうすぐ赤ん坊が生まれるのだぞ。赤ん坊が泣かなくてどうする。」
「……確かにそうだけどさ。」
「赤ん坊というのは本能の赴くままに人間の体液をすするらしいな。」
「そんなことしないよ!」
「おや、赤子とは母乳を飲むものではないのかな?」
「ううう……サーラの意地悪。」
お城にいる悪魔はちょっとひねくれ者みたいだ。

お師匠様は無事に試練を乗り越えて戻ってきた。
帰ってきたちょうどそのとき、おかみさん……お師匠様の奥さんの陣痛が始まった。
今にも赤ちゃんが生まれそうなんだって。
「ねえ、トモノリ。赤ちゃんが生まれるところを見せてもらいなよ。」
「僕がそんなことして大丈夫なの?」
「ああ。きっといい経験になるよ。」

赤ちゃんはお母さんのお腹の中から一生懸命出てこようとしている。
僕は思わず頑張れって声を出して応援してしまう。
赤ちゃんが取り上げられてからの一瞬。
ほんのわずかな時間だったけど、すごく長く感じた。
そして、長い一瞬のあと、赤ちゃんは泣き出した。
この声はきっとお師匠様にも届いているよね。
みんなは赤ちゃんをお師匠様に見せに行こうとしている。

「待って! まだ、まだ赤ちゃんがいるよ!」
僕は赤ちゃんの泣き声に負けないくらい大きな声を張り上げた。
赤ちゃんがもう1人お腹の中から出ようとしている。
頑張れ。頑張れ。もう少しだよ。
やった! 出てきた。えらいよ。頑張ったね。
こっちの子もさっきの子に負けないくらい元気な声を上げて泣き出した。

生まれた赤ちゃんを見るため、お師匠様がつれてこられた。
「お師匠様! すごいよ。2人も生まれたんだ。男の子と女の子の双子だよ!」
「本当かい? 一度に息子と娘を授かるとは思わなかった。今日はなんて素敵な日だろう。」
「良かったねお師匠様。王様になって。しかもパパになっちゃったんだよね。」
「ああ。トモノリもこの子達を弟と妹だと思って可愛がってやってね。」
「もちろんだよ!」
「ところでトモノリ。赤ちゃんが生まれて欲しくないなんて思ってないことが分かったろう?」
「もしかして、そう思わせるに生まれるところを見せてくれたの?」

お師匠様、本当におめでとう。
今まで苦労した分、これからは幸せになってね。

そう、思っていたのに、何でこんなことになるんだよぉ!

……僕、さらわれちゃった。
お師匠様の奥さんと一緒にモンスターに連れ去られてしまった。
今はどこかの建物の中にとらわれている。窓から外を見るとかなり高い位置みたい。
「心配しないで。絶対にあの人が助けに来てくれるわ。」
そうだよね。きっと来てくれるよ。

「わっはっはっ! 来たら後悔することになるだろう。」
僕たちをさらった馬みたいな奴がいやな笑い声を上げる。
こいつが悪いモンスターなのかな。
「グランバニア王をおびき出し、抹殺して奴に成りすますことが俺の目的なのだからな!」
ううう……すごく悪いモンスターだ……

期待通りお師匠様が助けに来てくれた。サイモン、サーラ、ホイミンと一緒に。
馬の魔物相手に最初は苦戦していたけど、奥さんの不思議な力で形勢が逆転して勝利した。
だけど、やられる間際に馬の魔物は別の魔物を呼び出した。

そいつのせいで、お師匠様は、奥さんと一緒に、石にされてしまった……

「ほっほっほっ。おや? 人間の子供がいますね。」
……僕のことだ。
「勇者ではないようですね。教団のために働いてもらうには少々貧相です。」
それじゃ僕はどうなるの……
「それに人間に味方をする魔物たち。魔性の力を取り戻させねばなりませんね。」
魔物はサイモンとサーラとホイミンに向かって語りかける。
「そうだ。いいことを思いつきました。お前たち、この子供を始末しなさい。」

「ほっほっほっ。主を失った今、私に歯向かえるはずもないでしょう。」
サイモン、サーラ、ホイミン……
「こうなってしまっては致し方あるまい。」
そう言ったのはサーラだった。サーラはゆっくり僕に近づいてくる。
「トモノリに何をするつもりだ?」
サイモンとホイミンがサーラの前に立ちはだかった。
「邪魔をしないでもらえるか。」
サーラはサイモンを足蹴りした。サイモンは壁まで吹っ飛びガラスの窓が派手に割れる。
「サイモン!」
僕はホイミンをぎゅっと抱きしめた。
「そうだ大人しくしていろ。少し痛いかもしれないが我慢してくれよ。すぐに済むからな。」
サーラの手が僕の体を掴んだ。

僕たちは割れた窓から外へ飛び出し宙を舞っていた。

「怪我はないか? なるべくガラスに当たらないよう飛び出したのだが。」
サーラが僕を抱えたまま翼を羽ばたかせている。
「頑張れよサーラ。俺たちの運命はお前の翼にかかっている。」
そう言うサイモンはサーラの足にしがみついている。
「何とかスピードを殺しながら落下するのが精一杯だ。」
「しかしお前の演技はたいしたものだな。さすがは悪魔だ。」
「悪いが話は後にしてもらえるか。……森に突入するぞ!」
僕たちは木の枝で衝撃を和らげながらなんとか地面にたどり着くことができた。

少しかすり傷を負ったけどホイミンが魔法で治してくれた。
「ここまでくれば安心だ。奴も私たちを探すようなことはしないだろう。」
「本当?」
「あいつにとってはそこまでして私たちを始末する意味も価値もない。」
悔しいけど、そうなんだろう。
「怖くなかったか?」
サーラが何事もなかったかのように言ってくる。
「怖かったに決まってるよ! 飛んでるときも、飛ぶ前も……」
「脅かしてしまって悪かったな。これも奴の目を欺くためだ。」
それは分かってるけどさ……
「お前には騙されたよサーラ。蹴りをくれる前、窓から逃げるぞと小声でささやくまでな。」
サイモンも知らなかったんだ。それじゃ本気で僕を助けようとしてくれたんだね。

「とにかく今は城へ戻ろう。こうなってしまっては俺たちには何もすることができない。」
「ああ! そうだよ。お師匠様が……」
「……私はまた守れなかったのだな。」
そういえばサイモン言っていたよね。昔、守るべきものを守れなかったって。
落ち込まないで。サイモンは何も守れなかったわけじゃないよ。
「ねえ、サイモン。僕を守ってくれてありがとう。サーラもホイミンもありがとう。」
「お前子供なんだからそこまで気を使うことないぞ。……だが、ありがとうなトモノリ。」

グランバニアへ戻ると僕はサンチョさんに事情を説明した。
僕の話を聞いてグランバニアの兵士がお師匠様たちを探しにいった。
でも、お師匠様たちは見つからなかった。
どこに行っちゃったんだよ……

グランバニアで今後どうするかという会議が開かれた。
結論はお師匠様を探すこと、そして石化から元に戻す方法を見つけることだ。
僕はお師匠様たちが無事に戻るまで、約束どおり赤ちゃんたちの面倒を見ることにするよ。
そう、思っていたのにまたしても僕の希望はかなえられなかった。

別れのときは突然やってきた。

グランバニアの学者さんが僕を元の世界に戻す方法を見つけたんだ。
「私は国王様の命を受け呪いを解く方法を探していました。」
「呪いって、どんな呪い?」
「はい。異世界の者を呼び寄せる呪いについてです。」
それって、僕のことだよね……
「でも、いったい誰が呪いなんてかけたんだろう。」
「あなたが目的だったとは限りません。何かの術に巻き込まれたのかもしれませんから。」
「そんなことが起きるの?」
「強力な魔法や術が使われればその副作用で呪いに似た現象が起きることがありえます。」
「そんな強力な魔法があるの?」
「どこかに時空を越える術があるらしいです。そんな術ならばきっと……」
時空を越える……どこかで誰かが過去や未来に行く術を使ったのかな?
「どちらにしても、貴方は呪いを解くことで元の世界に戻ることができるのです。」

「話は聞かせてもらった。」
唐突に懐かしい声がした。
「ヘンリー親分! どうしてここに?」
「あいつが行方不明になってって聞いて心配して来たんだ。」
「そう……」
「良かったなトモノリ。元の世界に帰れるんだ。」
「でも、僕……まだこの世界に……」
「よく考えて決めればいい。」
僕はどうすれば……赤ちゃんの面倒見るって約束したのに……

赤ちゃんたちはお父さんもお母さんもいないなんて可愛そうだよ。
でも、それは……

「決めた。親分、僕、元の世界に帰る!」

せっかくお師匠様が帰れる方法を見つけてくれたんだもんね。
赤ちゃんたちには城のみんながいるし、モンスターたちはモンスター爺さんが見てくれる。
僕がいなくなっても大丈夫だよ。
だから僕は、お父さんとお母さんのところに帰ったほうがいいんだ。
帰りさえすれば、僕はお父さんとお母さんのそばに、いられるんだから。
もし、お師匠様との約束のために僕が帰らなかったら、お師匠様、悲しむと思うから。
「ねえ、親分。僕はさ、笑って、笑って帰ったって、伝えておいて……」
僕の言葉にヘンリー親分は分かったと言ってハンカチをくれた。

呪いを解いてもらうことでこの世界から僕は消える。
僕はヘンリー親分、城のみんな、仲間のモンスターたちに囲まれてそのときを待っていた。
「こっちのことは心配するな。あいつは必ず見つけ出す。」
ヘンリー親分が僕を励ます。
「お前たちも協力してくれるよな?」
親分はモンスターたちにそう言ったけど誰も返事をしない。
「おい、どうしたんだよ。」
「いやなに、我らはモンスター使いに命令して欲しいのだ。たとえそれが見習いでも。」
サイモンがモンスターたちを代表してそう言った。
「なるほどな。よし、トモノリ。最後にモンスター使いとしてこいつらに命じてやれ。」
「うん! みんな必ずお師匠様を見つけて元に戻してあげてね!」
「了解!」

ありがとうみんな。僕はみんなに親指を立てて別れの挨拶をした。みんなも同じように返す。
そして、最後に一度だけ呼んでいいよね。ありがとう、この世界のお父さんお母さん……

こうして僕は元の世界に戻っていった。
お師匠様との約束、みんな中途半端になっちゃった。
モンスターの面倒を見ることも、赤ちゃんを世話してあげることも。
ああ、でも、ひとつだけ、ひとつだけ守れる約束があった……

――

「その約束が君にお礼を言うことなんだ」
そう。僕は約束したんだ。帰ってきたら必ずお礼を言うって。
「あのときは、いじめられそうになった僕を助けてくれて本当にありがとう」
「……いや、たいしたことじゃない」
ああ、ちょっと戸惑ってるみたい。無理もないか、こんな話を聞かされたんだもんね。

「この夢はきっと心の中でお礼を言いたいって思っていたから見たんだと思うんだ」
「夢じゃない。……夢じゃなく大切な思い出なんだろ?」
僕の話、信じてくれたのかな……
「うん。大切な思い出だよ。お師匠様はいまごろ遠い世界で幸せに暮らしている」
歴史は繰り返すって言うけど、お師匠様ならその因縁も打ち破るんじゃないかな。
きっとやってくれるよね。勇者様と地獄の帝王の両方を仲間にしちゃうとかさ。

「ごめんね。こんなに時間がかかっちゃって。でも、やっぱりすぐには言えなかったんだ」
「もう、10年以上も前のことだっけ。俺も今日、来て良かったよ」
「今はこっちに住んでないんだよね?」
「ああ、姉ちゃんがこっちで出産するんでそのお見舞いついでに同窓会に来たんだ」
「お姉さんいいタイミングで妊娠してくれたね。出産見せてもらいなよ。感動するよ」
「いやいや、それは勘弁して……」
「あれ、じん君ってシスコンじゃないんだ」

「……ところでさ、ドラゴンクエストって知ってる?」
「ゲームだっけ。ごめん僕あんまり詳しくないや」
そういえば僕のいたあの世界ってそういうゲームみたいな世界だったよね。

「それにしても変な世界だった。僕、あそこではずっとトモノリって呼ばれてさ」
しゃべり方のせいもあるけど、話だけ聞くとまるっきり男の子だよ。
声が小さかったことが原因なのかな。きっと最後のほうが聞き取れなかったんだよね。
「僕は本名の『友野理香』って言おうとしたけど、4文字目までしか名乗れなかったんだ」

―完―

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