第一章~Annunciation・受胎告知~
Alea iacta est!賽は投げられた。
Sic transit gloria mundi.かくの如く世界の栄光は出発する。

――♪――♪――♪――

時間は朝の通勤ラッシュをとっくに過ぎて昼前。
場所は都会を突き抜ける大通りに面した歩道。
街の騒音に混じってアスファルトを蹴る軽快な足音が響く。

駅から目的地まであと半分という所だと場所まで来たので、
規則的な呼吸の間にフッと一際大きな息をつき、区切りを付ける。
それを機にさらに走るスピードを速めた。

「ちっきしょ~!!」

悪態をつきながらも、その声の主は通行人を華麗に交わしていった。
交わされた側の人は急いて忙しそうな姿を横目で追いつつ、
その学生らしい容姿を確認すると遅刻か、と納得して目線を戻した。

しかし走っている本人はそんな視線なんか気にしない、
というよりは、気にしていられないといった様子で駆けていく。 
ようやく夏に入ろうかという頃の爽やかな風も手伝って、
足を運ぶその度に赤チェックのスカートが危なげに舞った。

上着は真っ白なブラウスに、スカートと同じ赤のネクタイが映える。
この道の先にある高校の制服だ。
彼女はその制服を気に入っていたが、
この時間では周囲から浮く程に目立ってしまう。

「また怒られっかな~……」

学校の規定では、三回の遅刻につき欠席一と同等に数えられてしまう。
欠席が重なるとどうなるかは言うまでもないだろう。
ちなみに彼女の場合、結構ピンチである。

普段から朝は強くない彼女だったが、今朝の寝坊は特に酷かった。
昨日遊んだ帰りに靴の紐が切れるし、夜は枕の形が気になってなかなか眠れなかった。
今朝は今朝で髪型がうまく決まらなかった。
ほんの少しの何でもない事でも、重なれば気になるものである。

彼女がそんな事を頭の隅で思い出していると、
横断歩道に差し掛かった所で赤信号が彼女の行く手を遮る。
立ち止まる事を強要された彼女は携帯が鳴っているのに気付いた。

♪♪♪あの~虹を~渡って~

「もう! 何だよこんな時に……!!」

少しばかり古くなった、通話を告げる着メロを鳴らす携帯を取り出し、
外れかけた前髪を止める赤いヘアピンの位置を直しつつ画面を見る。

何故か番号が表示されない代わりに【ルビス】と表示されていた。
何事かと疑問を抱きつつも、ついつい条件反射で出てしまう。

「はい、もしもし?!」
「……私の名前はルビス」

通話時独特の少し劣化した声が真理奈の耳に届く。
けれど水が流れる音に似た、癖の無い綺麗な女性の声。
その声を聞いたとたん、真理奈が見ている世界はどんどんと色を失っていった。
両脇に建つビルも、流れる車も、真っ直ぐと続く道も、どこかよりは狭い空も。
全てが白に変わっていく。

「世界は再び危機に瀕しています」

やっぱり良くない事というのは重なるものなんだと再確認した。
いきなり世界の危機を電話で伝えようとするなんてイタズラとしか思えないし、
自分以外の物全てがこんなに真っ白になるのは有り得ない。
彼女は電話口の相手に色々な怒りをぶつけようとした。

「あんたね~」
「真理奈」

また有り得ない事が起きた。
どうして相手は自分の名前を知っているのだろう。

「あなたの力が必要です。どうかアレルムンドを救って下さい」

真理奈の意識までもが白く包まれていった。
眠りにつくその瞬間の心地よい無意識に近い状態。
彼女の足元から虹が白の世界に伸びていく。
真理奈はその虹を、ただ綺麗だなと思いながら渡っていった。


――♪――♪――♪――


「うあ?」

意味のない声を上げて目を開けると、真理奈は自分の体が落ちるのが分かった。
どこから? という問いよりも先に床にぶつかった痛みを感じてまた声を上げた。

「ん~……寝ちったかー」

体にかかったシーツを引っ掛けたまま立ち上がるが、
まだ夢の中にいるような気分だったので、
真理奈は現状を把握しようとしてそんな事を言ってみたのだ。
つまり今彼女は、彼女には分からない場所にいた。

窓から外を眺めてみる。
綺麗な青空の下に広がる草原の緑が、とても気持ち良さそうに揺れている。

(ふ~ん、今日は良い天気なんだ)

その思いが真理奈の頭を刺激し、突き動かす原動力となった。
そこは見知らぬ部屋だったが、バッグを手にして扉の外に出てみた。
建物はどこもかしこも木造りで、何とも落ち着く香りがした。

「おや、アンタ……」

不意に声をかけられそちらを向くと、真理奈の親よりは年齢が高そうで
恰幅の良い女性が階段を上がってくるところだった。
邪険にする感じは見受けられなかったが、
この声はさっきの電話の相手ではないと真理奈は思った。

「何だい、アンタどこから入ったんだい?
 この部屋は宿泊予定に無かったはずだけど」

女性が真理奈の出てきた部屋の様子をチラリと見て確かめ、
その後に視線を真理奈の方へ移した。
宿泊という事は、ここはホテルなのだろうか。

(やばーい、不法侵入しちゃったのかなぁ……謝らなきゃ!)

まだ自分の置かれてる状況が正確に分かっている訳ではなかったが、
真理奈はとにかく言い分を聞いてもらえるようにしようと思った。

「ゴメンなさい! 勝手にベッド使っちゃったみたいで……
 あ、あのお金払いますから!」

ごそごそとバッグからサイフを取り出そうとすると、
それを手で制して女性が言った。

「ねぇ、下に食事が用意してあるよ。顔洗ってまずは食べようじゃないか」
「え……でも」
「ウチのベッドを使ったなら誰でもお客さんだ。
 素直に甘えてくれないとこっちが困っちまうよ!」

ハハハと豪快に笑う女性。
真理奈も遠慮し過ぎるのは好きではないので、
ありがとうとお礼を言って階段を降りた。
朝ご飯を食べていないので、ともかくお腹は空いているのだ。


新鮮な牛乳に良く合う丸長のパンを片手で掴み、
しっかりと味のあるレタスやトマトをパンの切れ目に挟んでほおばる。
干し肉にかじりつき、おいしー! と感想を述べた。

「ごちそう様でした!」
「残り物ですまなかったねぇ」

お腹いっぱい平らげた真理奈は満足した顔で食事を終えた。
その様子を向かいの席で見ていた女性は満足気だった。
部屋にはたくさんのテーブルが並べられていたが、他に人はいなかった。

「そんな事ないですよ!
 あの、それで女将さん。おいくらですか?」
「おや、払ってくれるのかい?」

女将さんはサービスだと割り切っていたようで意外な顔をした。
真理奈の事を一文無しのように思っているのかもしれない。

「えーっと、あ、二千円しかなかった」
「ニセンエン……? こりゃどこの国のお金だい?」
「えっと、日本です」
「ニホン……? やっぱり聞いた事ないねぇ。アンタ遠くから来たんだ?」
「……」

女将さんは真理奈が差し出した一枚の札束をしげしげと眺めていたが、
真理奈は彼女の問いに答える事が出来ずに口をつぐんでしまった。
自分がどうやってここに来たのか覚えてないからだ。
いや、それ以前に何故こんなところに来てしまったのかも分からないのだ。
そう言えば学校に行く途中だったのになぁ、と不思議に思う。

「ねぇ、このお金はどれくらいの価値なんだい?」
「んっと、大した事ないです」

価値を説明しようがなかったので、曖昧に言ってみる。

「そうかい? じゃあこれ一枚でいいよ。それで大丈夫だろ?」

真理奈は責め立てられてもおかしくない状況なのに、
女将さんは真理奈の事を気遣ってくれる。
その優しさが嬉しくて、元気良くはい! と答えた。

「アンタ名前は何て言うんだい?」
「あ、真理奈です」
「じゃあ真理奈? またいつでもおいでよ」

女将さんは余ったパンを持たせて真理奈を玄関まで送ってくれた。
何度も手を振って、真理奈は宿を後にする。
陽の光が真理奈を暖かく包んだ。

町の道路は平らに舗装されていたが、アスファルトではなかった。
大きな通りなのだが、車はおろか、自転車の一台も走ってはいない。
そして道に沿って並ぶ建物は確実に日本家屋とは様子が違う。
木と石とレンガで作られた西洋風の建造物たち。
窓や扉や掲げられた看板が新鮮だった。

行き交う人々は皆違う色をしていた。
髪や肌や目の色といった人種の特徴がバラバラだった。
それでもゆったりと体を包むような服を身にまとっていれば同じ国の者だと分かる。
皆が運ばれてくる風を楽しむかのようにゆっくりと歩いていくのも、
真理奈には少しばかり印象的だった。

真理奈はそれらをじっくりと眺め、改めて今までと違う所にいるんだと実感した。
まるで外国に旅行に来たかのような感覚になる。
けれどまったく不安や焦りを感じなかった。
それはこの街の持つ、どこかのどかな雰囲気のおかげかもしれない。

(そうだ、あの景色を見に行こう!)

目的地は宿屋の窓から見た草原だ。
真理奈は街のどこかで鳴り響いた鐘の音を背に受けながら、
知らない道を元気良く走り出した。


――♪――♪――♪――


「うわ~」

思わず口を開けてしまうくらいに彼女の視界は開けていた。
草原を越えた向こうに海面が眺められ、そのもっと奥に霞む山の連なりが見える。
地平線が見渡せる見晴らしの良さそうな丘まで登ってきたのだが、
こんなにまで自然を拝めるとは思っていなかった。

(やっぱりここは日本じゃないのかな)

日本円が使えないのだから、外国のどこかなのかと真理奈は思う。
しかし言葉が通じる事には疑問を持たない。
いや言葉が通じる場所にいるからこそ
こうしてのんびりと景色を眺める事が出来るのだが、
それが意識的に彼女の頭に浮かぶ事はない。

「ピーッ!」

山から下りてきた風が真理奈の髪を撫でると、丘の下方から何かの鳴き声が聞こえた。
犬や猫や鳥とは違う、聞きなれないものだった。
なんだろうと思うよりも早く、真理奈は走り出す。
すると彼女に対向するようにして見た事もない青い物体が飛び跳ねてくる。

その物体に手や足らしきものはついておらず、
極端に柔らかいのであろうその体をボールのように使って移動してくる。
地球のようにまん丸なお目々と、
体の下部を横長に占めている大きな口が必死な様子をうかがわせていた。

「何じゃありゃ……」

ようやく疑問を口にした真理奈は、
その"青いの"の後ろからもう一匹違う生き物が向かって来ているのに気付く。
見る限り兎なのだが、
頭のてっぺん、耳の間に兎の体の半分程の大きさの角が生えていた。
その角を下にかがめるようあにして一段と強く走ったかと思うと兎は青いの目掛けて
ジャンプし、その角で突き刺そうとした。
走り疲れて息を整えようとしていた青いのは、迫り来る影に気付き、間一髪で避ける。

真理奈が普段はまったく目にしない命のやり取りがそこにはあった。
弱肉強食は本来の自然界の有様だと考えるよりも先に真理奈は動く。
兎が青いのを捕らえる為に再び頭をかがめたからだ。

狙いを定めて飛ぶ兎。
必死に逃げようとする青いの。
そして青いのを守る為に兎を思いっ切り蹴飛ばす真理奈。

「おりゃー!!」

空中で横腹をへこむほどの攻撃を受けた兎は、林の中へと姿を消していった。
青いのは串刺しにされる運命を逃れたようだ。

「ピーピー!」

真理奈の足に青いのが擦り寄って来る。
怖かったよ~と訴えるかのようなその可愛い仕草に真理奈は頬を緩ませながら、
その生き物を手に乗せて頭の高さまで持ち上げた。

「お~よしよし」

ゼリーのようにプルプルと柔らかい体をしているのに、
形を崩してもきちんと元に戻る不思議な感触。
色は夏の青空のように真っ青で、向こう側が透き通って見える。
飛び出した角を体の中に押し込んでみると、プニュ~と困ったような声と顔をした。
青いのはそれでも目を見開き、まっすぐに真理奈の方を見つめてくる。

「ねぇ、ここはどこなの?」

楽しくなった真理奈は思わずそんな事を聞いてみたが、
青いのからはピー! という楽しそうな返事しか聞けなかった。
真理奈は真理奈でちゃんとした答えを期待していた訳ではないので、
青いのが自分の言葉に反応してくれた事に満足した。

「そうだ!」

真理奈は女将さんがくれたパンを取り出し、青いのに与えてみる。
パンをもくもくと食べるのを見て真理奈は笑った。
言葉は通じなくても、感覚は共有できるのだから。

「おい! お前そこで何してる?!」

鋭い声が真理奈の意識を青いのから周囲へと移させる。
声のした方に振り返ると一人の男がこちらに向かってくるのが見えた。
しかしどうにも男の格好がおかしい。
鎧に身を包み、手には槍が握られている。
そんな姿をしている人を真理奈は映画くらいでしか見た事がない。

「見かけない奴だな。どこから来た?」

どうやらこちらを警戒しているようだった。
声の質から、男がまだ自分とそう変わらない年齢であろうと真理奈は判断した。

「どこって……家?」
「家はどこかと聞いてるんだ!」
「怒鳴らなくてもいいじゃん……」

詰問されているような感じを受けたので真理奈は困ってしまう。
彼女としては何も悪い事をした覚えはないのだから。

「こんな服見たことないし……怪しいな。少し話を聞かせてもらおうか」
「ちょっと! 引っ張らなくてもいいじゃん!」
「ピー!」

真理奈と青いのが同時に避難の声を上げる。
しかし男はそんなものを少しも意に介さなかった。

「なんだ? スライムか。こんなの持って、ますます怪しい奴だ」

男はそう言うと真理奈の手から青いのを奪い、遠くへ投げ捨てた。
真理奈は青いのを追いかけようとするが、男に腕を掴まれてしまう。

「あぁ!!」
「ほら、行くぞ!」
「ピ~……」

無事に草むらに着地した青いのは、
男によって強引に連れて行かれる真理奈をいつまでも見つめていた。
その姿が見えなくなるまで、いつまでも見つめていた。


――♪――♪――♪――


アリアハンの町に入り、先ほどの宿屋を通り過ぎると、
映画でしか見た事のないような大きなお城が左手に見えてくる。
城の四方に円錐状の屋根をした塔が建てられ、
そのてっぺんには旗があり、東から吹く風になびいていた。

(あ~だりぃ……)

明らかに嫌そうな顔をしながら背負っている荷物を落とさないようにする。
もし落としてしまって文句を言われたり、暴れられたりすれば厄介だ。
そうなるくらいなら我慢して、荷物の機嫌を損ねないようにするべきだろう。
しかし何でこんな事になってしまったのか、と彼は今日を振り返った。

彼はアリアハンの兵士であり、未だ指導される側の人間だった。
しかし彼を日ごろ指導してくれている人は、今日は大事な用があるらしい。
と言ってもそれはいつも王様と世間話をするという意味を持っていたのだが。
ともかく今日の訓練は、アリアハンを一周して来るというものに変更された。
もちろん彼はそれをする気はさらさら無い。

それならまだ素振りをする方が良いと彼は思う。
彼は武器を握っていると何故だか嬉しくなってしまう性分で、
兵士になる前からよく木の棒を振り回していたものだった。
今は槍を練習中で、ようやく手に馴染み始めた感触があった。

アリアハンの外に出て、訓練をするのに良い場所を探していると、
丘の上に女が一人で立っていた。
とりあえず声をかけてみると、どうにも言っている事が怪しい。
確かに外見が可愛いのは認めよう。

気の強さを示す眉と小さく引き締まった唇。
少しふっくらとした鼻梁に大きめな眼が似合っている。
セミロングにまで伸ばした茶髪がシャープなラインを描く頬にかかっている。
黙っていればモテるタイプだろう。
しかし中身の出来はあまり良くないようだった。
しかもスライムと話をしているようでは到底彼氏などできそうにもないな。
と、真理奈が聞いたら怒りそうな事を彼は考えた。

だけど不審を見つけてしまったからには、放っておく訳にはいかない。
どうせ家出をしたとかそういう理由なのだから適当に話を聞いて、
その後家に帰してやれば解決するだろう。
それが先輩へのアリアハン一周しなかった事の言い訳にもなると考えたのだ。

(それが一番の失敗だったな……罰が当たったか……)

下手に兵士面をして言い訳を作ろうとしたのが間違だったのかと彼は思う。
それにしてもこの仕打ちは正直酷いと思う。
どうして街中の視線を浴びながら城に向かわないといけないんだ!!

けれど彼の背中にしがみついている真理奈からしてみれば、
男のそんな思いこそ間違いだった。
無遠慮に引っ張られるのは動きを強制されているみたいで好きではないし、
彼がスライムを放り投げたのも完全なムカツキポイントだった。
もう少しだけ違った対応をしていれば真理奈も彼の背中に乗らなかっただろう。

「どこ行くの?!」
「城だよ、お・し・ろ!」
「何で!」
「あんなところにいて、何かに襲われたら危険だろ?!」

そんな会話を引っ張られながら、そしてアリアハン人に見られながら交わした。
兵士と女の子が何やら言い争っていれば、嫌でも目につくものだ。
真理奈としては自分は悪い事をしていないのに、
警察がするように連行されれば文句の一つも言いたくなる。
だから兵士に噛み付いたのだが、
彼の最後の台詞は真理奈の意識を少しだけ変えた。

自分はまだここの事を知らないのだから、
どんな危険があるのかも分かっていない。
悪い事と知らずに悪い事をしていたかもしれないのだ。
もしかすると自分があのスライムの立場になっていたのかもしれないのか、
という可能性に行き着けば真理奈の怒りも少しは収まるというものだ。
彼はきっと自分の事を心配してくれたのだろう。
だけどもう少し良いやり様がある、とも思う。
だから真理奈は気持ちを切り替えて彼の背中にジャンプした。

「おい、何だ? くっつくなよ!」
「ゴメンゴメン。って事でお城へレッツゴー!」

真理奈が後ろから背中に乗ってきたのを兵士は思わず後ろ手で支えてしまう。
それでちょうどおんぶをするような格好になった。
男の強引さを許す代わりに、真理奈は自分のワガママを聞いてもらおうと思った。
楽しい事をすればとりあえず気は晴れる。
後は男の言うままにすればこの場は収まるだろう。

真理奈はそれで良いと思う。
ただ、二人の間ですれ違いがあった事はその後も知られる事もなかった。
兵士が真理奈の身を本気で案じていた訳ではなかったのだから。

「ねぇねぇ」

背中に乗ってひとしきり騒がれた後、
真理奈が後ろから顔を覗き込んでくるのを、彼は鬱陶しそうに見つめた。
誰のせいでこんな事になったんだよ、という表情である。

「んだよ」
「私この街好きだなぁ」
「あ~そう、そりゃ良かったな」
「うん、良かったよ」

いきなりそんな事を言う神経が男には良く分からなかった。
だけど会話の流れを無視すれば、その意見には同意だった。
だから真理奈が気持ち良さそうに鼻歌を歌っているのをただ聞いていた。

「あ~、さすがにこれで城は入れねぇ」

城に続く道へと差し掛かり、男は真理奈を背中から降ろす。
もう城の入口が正面に見える距離だ。

「ご苦労様! あ~楽しかった」
「あ~重かった!」
「また乗って欲しいのかな?」

その言葉を無視して歩いていく男を真理奈は慌てて追いかけた。
門へと続く橋を渡ると、外堀が城を取り囲んでいるのが分かる。
そこには濁りのない綺麗な水が流れていた。
門番が両脇を固めている城門をくぐる。
入口としては過剰な高さと広さに少し圧倒されてしまった。

城の中は思っていたよりも多くの人で溢れかえっていた。
街の中心はこの城なのだからそれも当然という事だ。
真理奈が男に先導されるがまま城内の廊下を進んでいると、
はた目には男が異国の少女を連れているように見えるのだろう。
遊びもほどほどにしておけよ、という意味も含めて人は二人を見、
男にからかいの声をかけた。
その中の一人に男は後輩、と呼ばれていた。

「おぅ後輩。城外一周はどうした? サボってナンパか?」
「違いますよ、先輩」

先輩と呼ばれた男は鎧こそつけていなかったものの、
服の上からその体格の良さがはっきりと分かった。
背が高いのも威圧的な感じを出すのに適しているだろう。
しかしその中身は外見では推測できない程、朗らかなように思われた。
首から下げられた青い石の光がそれを表しているようで印象的だった。

「ちょっと街の外で保護したんですよ」
「ふぅん。あんまりハメ外すなよ?」
「だから違いますって」
「まぁいい。後で聞く」

律儀に真理奈にまで手で挨拶をして、先輩と呼ばれた男はどこかへ消えていった。
少しだけ急いでいるようだったが、用事でもあったのだろうか。
先輩の後ろ姿はすぐに人並みに消えて分からなくなった。

城内の一室に案内された真理奈は、そこで出されたお茶を飲んでいた。
日本茶ではなく、普段よく飲む紅茶に近い味がした。
どうやらここは兵士たちの寄り合い場のようで、今も数人が隣の机で談笑していた。

「後輩ちゃんはここで働いてるの?」
「そうだよ。
 と言いたいところだけど、その後輩ちゃんは止めようぜ?
 俺にだってちゃんと名前があるんだぞ」
「だって後輩って呼ばれてたじゃん」
「あれはだなぁ……」

言いよどんでから男は何を思ったのか、その先を続けなかった。
尊敬している人なのに、先輩のそういった点だけは解せなかった。

 「俺が先輩の事を先輩って呼ぶもんだから、あの人面白がってさ。
 じゃあお前は後輩だから、俺はお前の事を後輩と呼ぶ!!
 とか言うんだぜ。参っちまうよ」
「良い事じゃん、仲良い証拠だよ。
 んで私は君を後輩ちゃんって呼ぶからさらに良い事になるって寸法だね」
「いや、意味分かんないし」

そう言って後輩ちゃんは溜め息をついて、その丸刈りの頭をかいた。

「ね~ここはどこなの?」

真理奈は色々と分からない事を後輩ちゃんに聞いてみようと思った。
今度こそ今の状況が理解できるような良い返事を期待した。

「ん? アリアハンに決まってるだろ」
「アリア……?」

真理奈はそんな国あったっけ、
と世界地図を頭の中で開いてみるが、アリアハンという国名は出てこなかった。

「お前はどこから来たんだ?」
「幕張ってところ」
「マク……? どこだそれは」
「千葉、日本の。分かる?」
「そんな国、聞いたことないな……」

うぅむ、とお互いに唸ってしまう。
二人とも相手の居場所が分からないのであれば、話をする事も出来ない。

「ってかお前、ここがどこだかも分からないのにどうしてここにいるんだよ」
「んん~それが分からないから困ってるんだよなぁ……
 何かを渡った気がするんだけど」
「って事はどっかの船の遭難か、誘拐か、人売りか……」
「思い出せないなぁ……」
「んじゃあお前、名前は?」

後輩ちゃんが紅茶の入ったカップを持ったまま真理奈を指差してきた。

「真理奈。真理奈ちゃんって呼んでいいよ」
「誰が呼ぶか。じゃあ真理奈、覚えてる事だけでいいから話せよ」
「目が覚めたらベッドで寝てたんだよ。
 その前は学校に行く途中だったんだけどね。
 ルビスって奴から電話かかってきたところまでは覚えてるけど……」
「ルビスだって?!」

ルビスの名前を聞いた途端にカップを落としそうになるくらい驚く後輩ちゃん。
何故そんな真剣な表情になるのか真理奈には分からない。

「そうそう、何か分からない人だった。
 何だっけ、アレ、ナントカを救って欲しい、とか言ってたよ」
「アレルムンド、か?」
「お~それそれ!! 何の事か全然分かんないけどさ」

自分の話している文章の意味をまったく関心無さげに話す真理奈に
後輩ちゃんは思わず呆れてしまった。
自分の言っている事が分かってるのか、と問いたくなる。
ルビスからアレルムンドを救って欲しいと言われるのがどれほど重要な事なのか、
こいつはまったく分かっていない。

「ルビス様の使いかよ……」

見慣れない服を着ているのはルビス様が使わせた者だからか、と思う。
後輩ちゃんの目には真理奈の制服が何やら神聖なものに映った。
だがアレルムンドを救うという事が具体的に何を意味するのかは
後輩ちゃん自身にも分からない。
アレルムンドが救われなければいけない状態にあるなどという話は聞いた事がない。
しかし彼女の話が本当ならば、これは自分一人で扱える問題でもない。

(先輩に相談してみようか)

何だかんだで先輩を頼りにしているのだ。

「すみません。兵士長って今、上でしたっけ?」
「あぁ、隊長なら確かそうだな」

天井を指し示して尋ねると、隣の席の一人がうなずいた。
上の階という事は王様に会っているという事である。

(ちょうどいいな、王様にもついでに話を聞いてもらおう)
(ふぅん、さっきの人色んな名前持ってるんだなぁ)

真理奈が紅茶を飲みきるのを待たずに後輩ちゃんは席を立つ。
真理奈はまた落ち着くこともできずに移動するハメになってしまった。
またしても二人は違う事を考えていた。


――♪――♪――♪――


城の中心に位置する玉座の間に、
後輩ちゃんの背中に続いて真理奈が部屋に入ると、
中にいた人たちの視線が一斉に真理奈たちの方に向く。
そこには数十人の人が一つの机を取り囲むようにしていた。
右手の中央には先ほど話した先輩が綺麗な姿勢で座っていた。
場の空気は重たく感じた。
その中の一人が重い声で言う。

「何だ、閣議中だぞ」

後輩ちゃんは頭を下げながら失敗したと思った。
先輩と王様は二人でいつもの世間話だと思ったが、どうやら大事だったようだ。

「申し訳ありません! しかし、こちらでは判断しかねまして……」

後輩ちゃんは正当性を伝えなければと思い、そんな事を口にした。
目線を上に戻した時に、先輩がニヤリと笑ったのが目に入る。
これは後でからかわれるに違いない。

「後回しでも良かろう」
「それが……ルビス様に関わる事なのです」

後輩ちゃんがその一言を口にすると閣僚たちは上座の方へ視線を移した。
その先に居るのが、一番発言権を持っている者なのだろう。
何せ彼こそがこの城の主なのだから。

だがその主は目をつぶったまま、沈黙を保つだけだった。
誰もが反応するルビスという言葉にも眉ひとつ動かさなかった。
主に答える気がないと理解した臣下の一人が言葉を返す。

「それで城にまで乗り込んで来て、何が望みなのかね?」
「何がって……私はただ私の場所に帰れればいいかなぁ、なんて」

何と答えればいいのかとっさに思いつかなかったのでそう答えたのだが、
ハハ、と呆れたような声が真理奈の耳を打った。
この席で話し合うような事ではないと彼らは思ったのだろう。

「異国の者と見受けたが、まさか自分の国まで送れというのではないだろうな?」
「とすれば、帰る為の旅費が欲しいというところかな」
「これでキメラの翼でも買えば良かろう」
「ルビス様に関わるとは言え、直接はその娘の事なのだろう?
 今は一人にかまっている暇はない」

遠慮のない声たちが真理奈にかけられる。
その中の一人はコインを真理奈の方に投げてよこした。
コインは机の上を数回跳ねて真理奈の前の絨毯に音もなく落ちた。
早く出て行け、と言われているように感じた。

「さっきから人を振り回して何なの?!
 私はここがどこだかも全然分からないし、
 どうやって帰ればいいのかも知らないんだよ?! 勝手過ぎるよ!!」

真理奈が癇癪を起こし始める。
後輩ちゃんは少し意地悪だったけど、少なくとも真理奈の話を聞こうとしてくれた。
それに対して彼らの疑いようはどうだろう。
端から聞く気もなく自分たちに良いように真理奈の事を決め付けて、
追い出そうとしてくるのには嫌悪するより他なかった。

さすがにマズイと思った後輩ちゃんが真理奈の腕を取って退出しようとしたところで、
一人の兵士が慌しく広間に飛び込んで来た。

「ほ、報告します! モ、モンスターどもが群れを成して……
 城下に迫っております!!」
「何?!」

報告兵はよほど焦っていたのだろう。
喉を詰まらせながらアリアハンの危機を伝えた。
すぐさま先輩と後輩ちゃんが対応するべく駆けていく。

「モウコネーヨ!!ヽ(`Д´)ノウワーン」

真理奈はこの場所にいるのが嫌になっていたので、二人に続いて外に飛び出した。
後ろは一切振り返らなかった。


――♪――♪――


真理奈が城を抜け出すと、街の様子が一変しているのに気がついた。
先ほどまでののどかな雰囲気は無くなり、緊迫した空気が街を包み込んでいる。

「キャー!!」

女性の叫び声が辺りに響き渡った。
真理奈が声のしたその方向へと走っていくと、
腕にぐったりとした女性を抱きかかえた青年が逃げてくるのが見えた。
女性の顔は血にまみれていた。

「誰か! 誰かホイミを!!」

助けを求める声に他の街人が駆け寄って、女性をどこかに連れて行こうとする。
が、そこに飛来した巨大なカラスが二人を襲った。
その口ばしで青年の背中を突き刺し、足の爪で街人の顔を裂いた。
すぐに死体を食らおうとするカラスを兵士たちが槍で攻撃し始める。

「モンスターが来てるぞ! 君も早く逃げなさい!」

危機を伝えようと中年の男性が真理奈に声をかけてくれる。
今や街のあらゆるところでモンスターによる襲撃が行われていた。

(あれがモンスター……? って事はさっきの兎もそうなの?)

城に連れて行かれる前に真理奈が蹴飛ばした兎が凶暴だったのは
モンスターだったからなんだ、と真理奈は理解する。
後輩ちゃんはモンスターを倒しに行ったのだろう。
だったら自分もモンスターを退治してやろう。
真理奈の思考回路はそういう答えを出すように出来ている。

兎を倒せるなら自分も力になれるという論理と、
もう一つはイライラを解消したいというう気持ち。
とにかくさっきの会話を忘れなければ収まりが付かない。
だから真理奈はモンスターが流れてくる方に走り出す。
その方向はアリアハンの玄関口だった。


街の外では先輩と後輩ちゃんの二人が先頭に立ち、怪物たちと戦っていた。
奇襲という形を取られはしたが、冷静に対処する事ができた。
だが後輩ちゃんの顔色はあまり良くなかった。
次々と進行してくるモンスターの群れ。
住民たちを城へと避難させ、兵士たちは皆モンスターの迎撃にあたったが、
少なからず犠牲が出てしまった。

(何で今になってこんな事が……)

世界は平和になったのだから、このような事は起こりえない。
いや、起こりえないと思っていた事が今回の事態を招いたとも言えるのか。
そんな思考が邪魔をして後輩ちゃんの身に隙を作る。
その隙間に入ろうとする大ガエルが一匹、背後から忍び寄る。

「おぉ~りぃやぁ~~!!」

振り返るよりも先に、十分に勢いをつけた真理奈の蹴りが大カエルに直撃する。
腹を蹴られた大ガエルは泡を吹きながら木の幹に叩きつけられた。

「油断したね、後輩ちゃん?」
「お前! 何で来るんだよ!」

モンスターを倒しつつ街中から走ってきた真理奈は、
知っている顔を見つけて思わず飛んで来たのだ。
けど後輩ちゃんの顔を見れば、帰れと言われるだろう事が分かったので、
ガッツポーズをして戦える事を真理奈はアピールした。

「いいからいいから~。私ちょっと自身あるんだ。一緒に戦うよ!」
「何言ってんだ。危ないから避難しろ。ここは俺達が――」
「説得してる場合かなぁ? あれ、大変そうだよ?」

後輩ちゃんが真理奈の指差す方を見ると、
先輩が大カラス達に頭上高くから骨やら石を落とされて困っていた。

「ほらほら、行くよ!」

真理奈は後輩ちゃんを置いて走り出す。
思わずその腕を取って止めようとするが、
後輩ちゃんが掴もうとするよりも早く、真理奈は前に進んでいた。

「……」

彼女が現れたのは、この襲撃に何か関係があるのではないかと唐突に思った。
先ほどの話が本当であれば、彼女は世界を救うような存在なのだ。
ならば、世界が救われないといけないような事態に再び陥ったのかもしれない。
だが今はその可能性について考えている時間はない。
また後ろからモンスターにやられては先輩に申し訳ないから、
後輩ちゃんは真理奈の背中を追うようにして走り出した。


――♪――♪――♪――


「お前やるなぁ!」
「でしょでしょ~!!」

真理奈と後輩ちゃんがハイタッチをするのを横目で見る先輩。
確かに真理奈の格闘技術はそれなりのものがあるようだった。
モンスターの素早い動きに最初は戸惑っていたようだが、
それも少し経験しただけですぐに慣れてしまったようで、
既にモンスターの先手を取れるようになっていた。
先輩の目から見てもセンスがあると言える。

「先ほどはすまなかったな。大事な席で皆の気も立っていたようだ」
「それでもあれは酷いよ……」
「すまない。しかし、なのに助けてくれるのか?」
「ん~先輩は酷くなかったし、
 この街には優しくしてもらったから、恩返しかな。
 あとは、暴れたい」

グッ、と握りこぶしを作って力む真理奈。

(モンスター相手にストレス解消する少女、か)

何ともやんちゃなものだ、と先輩は真理奈をそう理解した。
しかし不快ではない。
彼女からあふれ出る力が、こちらの元気を呼び起こしてくるような感じがする。
思わず笑ってしまうのがその証拠だ。

「こちらでしたか、兵士長!
 住民の避難及び城下に侵入したモンスターの撃退、ほぼ完了しました!」
「そうか、なら体勢をしっかりと整えるとしよう。
 傷を負った者は今の内に治療しておけよ」

ハッ、と短く返事をして兵士が離れていく。
これからはアリアハンの敷地内にモンスターを侵入させない事が第一となる。
先輩はフッと一息つき、手にした剣を地面に打ちつけた。

(しかし、どこか計画的に見えるな)

群れをなすという事は、動物とモンスターとでは少し意味が変わる。
群れとは複数の個体で共に行動するという事だが、
動物の場合は同種でしか群れをなさない。
それに対してモンスターは種族の違いを越えて群れる。

一体何故なのか。
"モンスターとなった動物は一種族として同意識を持つ"
と学者たちは考えているらしい。
先輩はどこかで聞いたそんな話を思い出しながら、
この統制力はその同意識とやらが生み出しているのかと考えた。

予行練習をしたかのようにモンスターたちは一斉にアリアハンを襲った。
そんな事は普通ありえない。
テドンの村はバラモスが直接モンスターを率いて滅ぼしたと聞いたが、
今回の侵攻も力と頭のある者が統率しているのだろうか。

(なら、そいつを倒さなくては……)

腰に手を伸ばして水を入れた容器を取ろうとしたが、
突然の事で用意していなかった事に先輩は気付き、溜め息をついた。
何故だか酷く喉が渇いた。


――♪――♪――♪――


初めは自分が頭痛によって揺れているのかと思った。
が、周りの様子もおかしいのを見て、そうではないと気付く。
地面が揺れているのだ。
それはゆっくりと、確実に力を増しながら近くなってきていた。

「隊長!! モンスターの大群が……!」

先ほどまでとは明らかに規模の違う大軍がこちらに向かって来るのが見えた。
土煙に紛れて後方が見えないくらいに集団で走っているようだ。
その先頭にいるのは大きな熊のモンスターだった。

「そんな……有り得ない……」
「先輩……あれは何ですか……何なんですか?!」
「熊、かな。遊園地以外で始めてみた」

驚愕している兵士たちをよそに、ひとり真理奈は場違いな感想を述べた。

「落ち着け! 我々の力を見せ付ければ負ける事はない!
 隊列を組め! 怯むな!!」

先輩の一声で兵たちはアリアハンの入口を固めるようにして陣を敷いた。
元々質の良い道具がなくても国を外敵から守るには十分であった事。
そして近年はアリアハンには外敵と呼べる物もさしていなかった事。
二つの条件が重なり、軍備はもっぱら縮小傾向にあるのだ。
そのタイミングでこれはマズイと思う。

だがそれでも、この程度の大群なら対処は十分可能だと先輩は考える。
統率レベルで人間がモンスターに負ける訳がないからだ。
だが単純な力の差を考えると、本来この土地には生息していないグリズリーは別格だ。

「グリズリーには迂闊に近づくな!! まずは周りのモンスターから相手にしろ!!」

グリズリーという名前で呼ばれる大熊のモンスターは、
アリアハン兵の貧弱な装備で太刀打ちできる相手ではない。
その巨体が繰り出す怪力と、外見に似合わぬ敏捷性は、
低レベルな力しか持たぬ者をまったく寄せ付けなかった。

そいつはまさにこのモンスター集団の頭として力で君臨するに相応しかった。
行く手を阻む兵士たちを腕の一振りでなぎ払い、
下手に間合いを取ろうとすれば、一瞬で近寄って強烈な体当たりを食らわせた。
そしてグリズリーの咆哮はアリアハン兵の足を震わせ、動きを止めさせた。

先輩はグリズリーの前に立ち、剣を正面に構えた。
ここは自分が相手をしよう、という心積もりが見える。
それがグリズリーにも伝わったのか、先輩の少し前で立ち止まった。
ググッ、とくぐもった低く恐ろしい声が奇妙に耳に入った。

(勝てる、だろうか……)

フッと一呼吸入れ、先輩は切りかかる。
グリズリーは構わずに素早い右腕の動きだけで払おうとしたが、
先輩は上手く足を敵の左側に運んで、
その毛むくじゃらの腕を這い上がらせるようにして刃を滑らせた。
見事なまでに綺麗な一閃の筋を描く切っ先。

その痛みに怯んだところでグリズリーの死角へと入り込もうとする先輩だったが、
グリズリーは少しも躊躇する事なく先輩の頭上に攻撃を仕掛ける。
盾でとっさに受け流すが、盾は即座に使い物にならなくなった。
装着していた右腕が痛みを訴えた。
グリズリーの牙がやけに尖って見えた。

(しかし、コイツを倒せばこちらの勝利は間違いないな)

初手合いは五分五分というところか。
左手に収まっている剣の柄を力強く握りなおした。

「……」
「……」

そんなやり取りを真理奈と後輩ちゃんは見ている事しかできなかった。
すっかり威圧されて、その間に入り込む事ができない。
真理奈も後輩ちゃんも先ほどの戦闘ではうかがい知る事のできなかった
先輩の本当の凄さを実感していたし、
グリズリーが持つ力が他のモンスターに比べて強大な事も肌で理解した。

それでもこのまま立っていても仕方がない、何とかしたいという気持ちはある。
グリズリーから逃げるよりも、先輩の力になりたいと思う。
その為には何をすればいいのか。

「後輩ちゃん」
「あぁ、分かってる」

その気持ちを互いに確認し合った。

「ここはあれをやるしかないな……」
「あれって……?」

手に力を込め、鋭い目つきで前を睨む後輩ちゃんに真理奈は期待を抱く。
グリズリーを倒し、先輩を助けられるその一手。

「スーパークロスアタックだ」
「…………何それ」

真理奈の後輩ちゃんに対する期待は三秒で空に消えた。

「前に先輩と練習したんだ。一発で木を切れるくらいの破壊力はある」 

それでも後輩ちゃんには自信があるようで、真剣な顔を崩さなかった。
何だか分からないけれど、この状況を打開できるのかもしれない。
後輩ちゃんの顔から真理奈はそう感じ取った。

「分かったよ、なら私が隙を作ってあげる」

そう言うや否や真理奈はグリズリーの方へ走り出す。
どこかの兵士が落としたのだろう剣を拾い上げて、
上段に構えたまま突進し、グリズリーの迫力に負けないように声を挙げた。

「おおおおおおおおおおおお!!」

もちろん囮になるためだったが、自分の中の恐怖を忘れるためでもあった。
怖いものは怖い。
だけど逃げているままではずっと怖いままだ。
停滞より変化を望む真理奈にとっては、それこそ恐怖だった。

声に反応したグリズリーの目の前で剣を地面に垂直に突き刺す真理奈。
地に固定された剣の、長く横に伸びた鍔の部分に足をかけ、
真理奈はグリズリーの頭めがけて高く飛び上がった。
体を裂くはずだったグリズリーの爪は空を切る。
真理奈はそのまま獣の頭に両手をつき、それを跳び箱代わりにして飛び越した。
グリズリーは真理奈の動きにつられて両腕を天に振り上げた。

その間に後輩ちゃんは槍を横に構えたまま先輩に目を走らせ、合図を送る。

(行きますよ!)
(おう!)

もちろんスーパークロスアタックの練習は一度やっただけのお遊びだ。
けれど先輩は後輩のその構え方で思い出してくれたようだった。
二人は水平に刃を保ったまま、真理奈のおかげでがら空きの懐に入り込み、
二方向からグリズリーの腹に向かって同時に斬りつける。
スーパークロスアタックは確かに木を切り倒すだけの威力を発揮したようで、
グリズリーの体に深い傷を負わせる事に成功した。

背後の様子から真理奈は勝利を確信して振り返る。
だが彼女を迎えたのは兵士の喜ぶ姿ではなく、眼前に迫り来る黒い悪魔。
グリズリーが着地した真理奈をしっかりと見定めていた。
そして獣は怒りに任せて、真理奈をあまりに乱暴な威力ではたいた。

爪がブラウスと共に脇腹を裂く。
傷口というにはあまりに大きい損傷が体に刻まれた。
そこから血を噴き出しながら、真理奈は軽々と真横に吹き飛ばされた。
草むらを何度かバウンドして止まる体。
ネクタイやスカートの赤と同じ色に、真理奈の白いブラウスが染まる。

自分を形作っているものから暖かさが次々に流れ出し、
その影響で頭から寒気が全身を包んでいきそうになる感覚。
痛みに引っ張られていく意識の中で、
真理奈はなおも自分を襲おうとする大きな悪魔の姿を見た。
いや、それだけではなかった。
とても小さな生き物が真理奈を怪物から守ろうとするのも見た。

「ピィィィィィィィ!!」
(あ、お……)

真理奈に助けられたスライムが、真理奈を助けようとグリズリーの前に立ちはだかる。
それは弱者が強者に挑む時の大きな勇気を持った、小さな小さな恩返し。
しかしスライムでは到底グリズリーの抑止力にはならない――!!

真理奈は戦場では珍しくない、肉を貫く音を聞いた。


――♪――♪――♪――


「お母さん!」
「お~真理奈! どうしたー?」

力の限りダッシュして母親に抱きつく真理奈。
それを優しく抱きしめる母親。

「虹の向こうには何があるの?」
「君は何があると思うのかな?」

少しだけ芝居がかった声で問い返された。

「私はねー、不思議な国があると思う!」
「そりゃ凄いなぁ~」

凄いと褒められてニッコリと笑った。

「凄いでしょ~! お母さんは何があると思う?」
「そうだな~夢、かな」
「ゆめ?」
「そうだよ、お母さんは虹の向こうに行った事があるから分かるんだ」
「え~凄い!」

尊敬の眼差しで母親を見上げる。

「お母さんの夢は真理奈みたいな元気な子を生む事だったんだ。
 だからお母さんの夢は叶ったんだ!」

真理奈の母親はそう言って真理奈の頭をクシャクシャに撫でた。

「アンタもいつか虹を越えて夢を見つける旅に出るんだよ」

真理奈にとってその時の母親の顔は最高にカッコ良かった。

しかし、こうやって思い出を思い出すのは走馬灯というヤツなのだろうか。
もっと自分の人生が映像作品のように流れていくって聞いてたけど、
これではむしろ意識が覚醒するまでの過程だ。
現に光が満ちてきている。
それが昔の記憶だと理解できるほどに。

「え……?」
「気がついた? ゴメンね、遅くなっちゃった」
「ピ~!!」

目を開けるとロングヘアーの女の人が真理奈を見下ろしていた。
自分の顔のすぐ横にはスライムもいた。

(そうだ、ここは、違う場所だ……)
「ホイミをかけたからもう大丈夫よ。立てる?」

コクリと頷いて体を起こす。
傷の痛みは嘘のように消えていた。

「ありがとう!」
「いいえ、噂の女の子を死なせる訳にはいかないしさ。負けないでね!」

その女性は真理奈にピースサインをすると、次の負傷者のところへ走っていった。
ピョンと跳ねて体の調子を確かめる。

(うん、全然行ける!)
「ピー?」
「お~お前! 助けてくれたのか~、ありがとう!!」
「ピー!!」

真理奈はスライムの頭をかつて母親にしてもらったように撫でる。
スライムはかつての真理奈のように喜んで笑った。

「うっしゃあ!!」

気合を入れて真理奈は再び戦場に舞い戻った。
バラの花のように赤い制服は戦場でも目立っていた。

グリズリーは未だしぶとく生きていた。
そして手当たり次第に暴れていた。
もはや目に入る物すべてが敵に見えるようで、
人間だろうが、仲間のモンスターだろうが、ただの木だろうが関係ないようだった。
きっと攻撃することでしか残りの生を生きられないのだろう。
しかしなかなか最後の止めを刺す事ができなくて兵士たちは苦戦していた。

そこにうおー! というおたけびを挙げて突進してくる者が一人。
当然真理奈である。
手には先ほどジャンプの土台にした剣が握られている。

「先輩! 後輩ちゃん! スーパァァァー!!」

真理奈が次に何を言うか分かれば、真理奈の意図している事も分かる。
つまり簡単に言ってしまえば手を貸せ、という事だ。
先輩と後輩ちゃんも真理奈に合わせてグリズリーの方へ走り出した。

「クロォーーース! アタァァァァック!!」

先輩の剣と後輩ちゃんの槍がグリズリーの両腕に突き刺さる。
真理奈は勢いを殺さずに飛び上がり、手にする剣をグリズリーの心臓へと吸い込ませた。
グリズリーは空を見上げるように顔を上げ、動きを止めた。
戦場に戦いの終わりを告げるグリズリーの断末魔が響き渡った。


――♪――♪――♪――


「ふ……?」

夜。
アリアハンで迎える初めての夜。
真理奈はふと目を覚ました。
体を起こして周りを見渡すと、枕の隣にスライムが寝ているのを見つけた。
窓から差し込む月の光が、透き通る体の青をいっそう輝かせて神秘的だ。
真理奈は青いのが寝息をかいているのを見て、ゆうべの事を思い出していた。

見事にグリズリーを倒した後、真理奈は兵士たちにヒーローとして祭上げられた。
戦いの後の宴会騒ぎでの事だ。
もちろん勝利の余韻が真理奈にもあるので、ノリノリで参加した。
ちょっぴり、というかかなりお酒を飲んだ事は秘密にしなくてはいけないだろう。

シーツから抜け出してベッドの淵に座り、体をさすってみる。
脇腹には少しの傷跡もない、綺麗な肌が指先に心地よい感触を与える。
後から聞いた話だが、真理奈はスライムごとグリズリーに串刺しにされたらしい。
真理奈とスライムの傷は魔法で治してくれたとも言っていた。
深い傷が跡形も無く消えてしまうなんてさすが魔法だと思った。
もっとも真理奈は、魔法を何かの比喩としてしか受け取らなかったが。

(明日にでもあの人にお礼を言わなきゃ……)

♪♪♪あの~虹を~渡って~

そんな事を考えていると、突然携帯が鳴った。
慌ててカバンに手を突っ込み、誰かも確認しないまま通話ボタンを押した。
幸いにもスライムは音で起きなかったようだ。

「真理奈、お疲れ様でした」
「何がお疲れ様だよー、勝手に知らないところに飛ばしやがってさ」
「すみません、時間が無かったものですから」
「はいはい、そ~ですか」

投げやりに答える真理奈。
数十時間前にも聞いたこの細い声はルビスとか言うヤツだろうと判断した。

「もうお分かりでしょうが、そこはアナタのいた世界ではありません。
 アレフガルドの上に存在するアレルムンドという世界です」
「ふーん、分かんないから違う世界って事で理解しとく。
 それでもきちんと分かってるとは思わないけど。
 で、もう帰してくれるの?」

アリアハンを救ったのだから帰してくれてもいいだろう、と真理奈は言いたかった。

「それはまだできません。
 アレルムンドを救って欲しいのです。
 それまで私はあなたをあなたの世界に帰す事ができません」
「えー、ダメじゃん」
「すみません」

口を尖らせて不満をあらわにするが、ルビスには伝わっているのだろうか。
この様子では少なくともどこからか自分の事を見てはいるようだが。

「真理奈、あなたには私がついています。
 今度それを他人にも証明できるようにしておきましょう」
「ふぅん、何だか知らないけどありがと」
「今日はゆっくり休んでください。また話しましょう」

別れの台詞も言わぬ間にルビスからの電話は切れた。

「バイバーイ」

何の気持ちも込めていない挨拶を通話口に向かってかけてやった。
ルビスは何から何まで勝手な奴だと言う他なかった。

両開きの窓を開けて、そのまま窓枠に腰掛けた。
街のどこかではまだ騒いでいるようで、笑い声が微かに響いてきた。
だがそれ以外は静かなものだ。
二階にあるこの部屋からは、アリアハン城の灯りがよく見えた。
かがり火を焚いて作り出されるその雰囲気は、
照明機器を使ってのライトアップとは一味違うものを醸し出していた。

時々運ばれてくる風に髪を揺らされ、どこか懐かしいような香りを感じる。
首筋に風を入れようと手で髪をすいて顎を上げる。
自然と夜空を見上げる形になり、一面に輝く星が真理奈の目にはまぶしかった。
まるでプラネタリウムを見ているかのような星空。
あの星のどれか一つに自分の世界があるのではないか、と思った。
そんな思いがするくらい、自分の世界が遠く感じる。

そして真理奈は自分の家の事を思う。
母親は心配していないだろうか、と。
いやあの母親では逆に、帰った時に怒られる心配した方がいいかもしれない。
自分に負けず劣らず気丈なのだから。

「世界を救って下さい……か」

昨日までそんなことを言われたこともなければ、考えたこともなかった。
こっちの世界の危機がどんなものか知らないが、本当にそんな事ができるのだろうか。
漫画のように何か秘めた力でもあれば可能なのかもしれないが、
そんな力を持っている訳ではない。
それに「世界を救う」と言われても漠然としすぎているし、
扱う事象が大きすぎてさっぱり実感が沸かない。

「これからどうなっちゃうんだろ……」

自分がルビスに選ばれた訳や、この世界の事、それに元の世界の事。
一人になって考え直してみれば色々と知りたい事が出てきた。
だけど今日のところは寝るしかなさそうだ。
普段はあまり使わない頭で考えすぎて疲れた。

(ま、どうにかなるよ)

ベッドに戻り、青いのを起こさないように手に乗せる。
スライムが息をする度に柔らかな体が膨らみ、しぼむ。
それの繰り返し。
緩やかなリズムが手から伝わって、真理奈の心はまどろみの中に誘われる。

「おやす、み……」


――♪――♪――♪――


「よく休まれたかな?」
「もっと寝たい……」

くっついてしまいそうなまぶたを何とか持ち上げるのに必死な真理奈は、
再び玉座の間に呼び出されていた。
いや、今日の真理奈への待遇を考えると招かれたと言った方が正解だろう。

「だが昨日はよくやってくれた!
 犠牲は出てしまったが、それでもよく抑えた方だろう。
 それも君のおかげだ。礼を言うよ」
「はぁ……そりゃどうも……」

聞いていて落ち着ける安心感を持った声。
それに初老を迎えた彼の微笑を加えれば、聞く耳を持たない者はいないだろう。
しかし今の真理奈にはさほど効果もなかったようだった。

もともと朝は強くない真理奈だ。
今日だって女将さんにたっぷり揺さ振られて、ようやく起きたのだから。
制服は汚れてしまって洗濯しているところなので、
今日はバッグの中に入っていたカラフルなTシャツを着ている。
その肩にはスライムがちょこんと乗っており、
眠そうな真理奈を仕方ないなぁという目で見ている。

「私はアリアハン王レキウスという。
 昨日は失礼な対応をしてしまって申し訳なかった。
 名前を教えていただいてもいいかな?」

前日とは違い机は置かれておらず、王は玉座に座っていた。
閣僚たちは真理奈の両脇に並んでおり、
先輩と後輩ちゃんは真理奈の後ろに控えている。
実質的に真理奈は城の主たるレキウス王と一対一で対面している形だ。

「真理奈。能登真理奈。職業は女子高生――」

周りが少しざわつく。
理由は真理奈の苗字がロトに聞こえたからだったが、
真理奈の気付くところではなかった。

「ピー?」
「ふむ……
 真理奈、君はルビスと関係があると話していたが、それは本当か?」
「関係があるって言うか、携帯にいきなり電話かかってきてさ。
 アレルムンドを救って欲しいって言われたんだよ……」

どう考えても真理奈はルビスによって強制的に巻き込まれたのであって、
自分から望んでそうしたいと思った訳ではないのだ。
それを関係がある、と一言で言ってしまうのはどうかと思った。
だけどそれを説明するのもめんどくさいといった感じだった。

「アレルムンドを、救う……」

真理奈の言葉の中で意味の分からない単語を省いて文脈を考えても、
ルビスと真理奈が何を話したのかレキウスには理解する事ができた。

「なるほど……ロトにルビス様か。
 それなら昨日の活躍にも納得がいく。
 真理奈、君は真に世界の救世主なのかもしれんな……」

ロトの名を持ち、ルビスに救世を頼まれるという事は、
真理奈が思っているよりも大変な意味を持つ。
だがそう言われても肝心な真理奈にはピンと来ない。

「でも世界を救うってどうしたらいいのか分かんなくって」
「ふむ、では本題に入ろうか。
 今日来てもらったのは他でもない、その事についてだ。
 実は世界中の都市と連合を結ぼうと計画しているところなのだが」
「何でそんな事を?」
「実は魔王が復活したという情報がある。
 それも魔王本人から直接聞かされたのだがな……」

王が黙ってしまったので、沈黙が広がる。

「魔王って、何?」
「かつてこの世界を支配しようとした魔物の事だよ!
 勇者ロトによって前に滅ぼされたんだけどな」

くるりと振り返って真理奈が問うと、
後輩ちゃんは小声で、けれど少し強めの口調で答えた。
本当はこんな時に後ろを振り向くな、と言いたかった。

「真理奈には連合大使の一人として、
 連合を結ぶのに協力して欲しいと私は思っている」

周りが再びざわついてしまう。
それが昨日の段階では決定されていない事項だったのが原因だ。

「連合、大使……?」
「別段何かをしてもらわんでも構わない。ただ船に乗りさえしてくれればいい」

レキウス王が真理奈に期待したのはシンボルとしての影響力だった。
アリアハンの危機を救った娘。
その名だけで人の心を集めるには十分だ。
加えてルビスからの使者というネームバリューは大きい。
その人が長旅に同行するとなれば、使節団員たちも縁起を担いで、
連合結成が上手くいくと思ってくれるだろう。

「長旅には辛い事もあるだろう。
 だが、連合を結成する事で世界中が協力し、
 それで魔王に打ち勝つ事ができれば君の功績ともなる。
 ルビス様にも認めてもらえよう」
「ほ~、なるほどね~」
「ピー!!」

要は"皆で魔王を倒そう計画"に参加しろという事だ。
単純明快でなおかつ実行可能そうな計画だ。

「しかし何もしなくても良い、というのはどうかと」
「いくら連合の為とは言え船旅である事には変わりありません。
 経費の事を考えれば、無駄な人員を連れていくのは得策ではないでしょう」
「世界の危機を前に経費の事など考えておる場合か?」
「だいたいルビス様に頼まれた事自体が怪しい。
 また詐欺の類なのではないか?」

一人が切り出したところで議論が始まってしまう。
ちなみに数年前にもルビスの名を借りて金を騙し取ろうとした輩がいた。
ボロを出した奴さんは即刻牢屋行きとなってしまった。

周りがそんな事を話している間、真理奈は全く違う事を考えていた。
真理奈の中に不明瞭だった公式がようやくできあがったのだ!

(魔王によってこの世界がピンチ!
 ↓
 そこに救世主真理奈ちゃん登場!!
 ↓
 連合結成で魔王を倒して世界は平和に!!!!

 あれ……? 私の登場あんまり意味なくない?)

できあがったと思ったが、答えは期待していたものとは違っていた。
てっきり自分が魔王を倒す、という展開になるのかと思ったのだが。
不思議そうな真理奈をスライムが心配そうに覗き込んでいる。

「ならば彼女が大使としてきちんと働ける事を証明すればいいのでは?」

反対の意見が多い中、先輩が助け舟を出した。
あまりに的確な意見だった為、閣僚たちは皆黙ってしまう。

「そうだな、独断で決めてしまった私も悪かった。
 ならばこうしようではないか。
 大使としての旅に出る前に、一つ仕事をしてもらおう。
 手始めに、そうだな。
 ロマリアとの交渉役として動いてもらいたいと思う。
 それが上手くいけば彼女が大使として働ける事の証になるだろう。
 真理奈、それで良いか?」

自分の手の離れたところで話が決まっていったのが癪だったが、
真理奈は世界を救う手段を提案する事も選択する事もできない。
真理奈はこの世界の事を知らな過ぎた。

「それで元の世界に帰れるなら、それで良いよ」
「なら決まりだ。よろしく頼む。
 不明な点はまた後ほどという事にして、今は体調を整えなさい。
 では準備にかかるとしよう」

話し合いは終わりを告げ、皆が退出し始める。
その内何人かは腑に落ちないような表情をしていた。
続いて真理奈も帰ろうとしたが、名前を呼ばれて王に引き止められた。

「はい?」
「いつか組み手をお願いしたいと思うんだが、どうかな?」

先ほどまでとは全く違う話題を振られて困ってしまう。

「組み手……?」
「私もかつて武道を志していたのだ」

パンチを数回繰り出して見せるレキウス王。
確かに経験者だと分かる打ち方だったが、王様の服では何とも滑稽だった。
だがそれが逆にレキウスの真剣さを語っていた。

「オッケー! んじゃ約束ね!!」

拳と拳を突き合わせて二人で笑い合った。
それだけで何だかレキウスが身近に感じられた。

「Alea iacta est! 一緒に戦おう!」
「よ~し、やるぞ~!!」
「ピー!!」

真理奈はスライムと一緒にピョンと飛び跳ねて、
待っていてくれた先輩と後輩ちゃんに絡みに行った。

とりあえずは流れに任せてみようと思う。
目標も示されたし、今はそれをやってみるしかないのだ。
もちろん不安はあるが、それに囚われるような真理奈ではない。
とにかく何事も楽しまなければ損をするだけなのだから。

もう真理奈の眠気は青空の向こうに吹き飛んでいた。


――♪――♪――♪――


「真理奈、気をつけるんだよ」

ギュッと抱きしめて女将さんとの別れの挨拶をした。
真理奈がこの世界に来てから三晩もお世話になった上、
女将さんは血で染まったブラウスを真っ白にしてくれたのだ。
返ってきた時には何故か、胸のところに刺繍がされていたが。

聞くとそれはロトの紋章と呼ばれているものだそうで、
翼を広げた鳥をかたどっているようだった。
刺繍の中央に位置する、宝石を模した赤い円が制服に似合ってると思った。
アリアハンの伝統工芸で縫われているらしく、お守りの役目を果たしてくれるそうだ。
嬉しかった。

「女将さん、ありがとう! また帰ってくるからその時はヨロシクね!」
「当たり前じゃないか、いつでも帰っておいで」
「ピー!!」

今日はもうロマリアへと旅立つ日だった。
街の入口では後輩ちゃんが二頭の馬と共に待っていた。
馬をロマリアへとたどり着けるまでに必要な物資が乗せられている。

「おう、遅いぞ」
「ちょっとくらいいいじゃん」
「ダーメ。今こうしてる間にも魔王の手は伸びてるんだぞ?」
「何かそれって、世界には食べられない人がいるんだから食べなさい
 ってのに似てる気がする」
「は?」
「でも……そういう次元の話なんだよね」
「何ぶつぶつ言ってんだよ」
「何でもなーい! よっしゃー! しゅっぱーつ!!」
「ピィー!!」
「おい! 待てよ!!」

今日も元気の良い真理奈は馬に飛び乗るとすぐに走らせた。
馬も真理奈に応える。
数時間練習しただけでこれなのだ。
真理奈は動物に近いんじゃなかろうか、と置いてかれた後輩ちゃんは思う。

(そう言えば初めて会った時もあのスライムと仲良さそうにしていたな)

呆れながら真理奈を追いかける。
だが馬やスライムと同じように、
真理奈に対して気を許している事に後輩ちゃんは気付かなかった。

草原を馬に乗って移動していく。
どこかの遊牧民のようだな、と真理奈は暖かい日差しを浴びながら思った。

「ピー」
「おー気持ち良いね~ブルー」
「ブルー?」
「そ。この子の名前、ブルーにしたの」
「そのまんまじゃねーか」
「うるせーな~……ちなみにこの子の名前はエクウティスね」

そう言って真理奈は馬の首筋を撫でた。
反応したのかエクウティスはブルッと鳴いたが、後輩ちゃんはハイハイと流した。

「しかしお前ってたくましい奴だよなぁ。
 いくら魔法で回復してもらったからって、すぐ起き上がってきたじゃねーか」

モンスターの大群が攻めてきた時の事だ。
普通なら回復してすぐに体が動けるようにはならない。
ましてやその上で剣を持って全力疾走し、
グリズリーを倒すだなんて事は後輩ちゃんの経験からは信じられなかった。

「ん~たくましいとか初めて言われたよ、あんま嬉しくないけど。
 ってかその魔法の薬が良く効いたからじゃないのかなぁ?
 傷跡も全然なくなったよ?」

ホラホラとブラウスをめくって後輩ちゃんに傷がないのを見せようとする。

「バカヤロウ! お前も女なら少しは恥じらいってもんを持てよ」
「え~これくらいで何さ。お腹くらいで欲情すんの?」
「ピィ~?」
「俺がどうとかそういう問題じゃない。
 だいたいそのスカートだって短いだろ。 あれか? 見せたがりか?」
「人を変態みたいに言わないでくれます?
 私の世界じゃこれかフツーなの。
 それに今はこれが、私が私な証拠みたいなもんなんだよ!
 ……上手く言えないけど」
「ふぅん……まぁいいや。
 せいぜい男に襲われないように――って凶暴だから大丈夫か。
「よーし、そのケンカ買ってやる!!」
「毎度あり~300Gだよ!!」
「ピィー!!」

こうして真理奈たちの旅は始まった。
それを伝説の続きだと称するにはあまりにのん気な始まり方だった。

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もし目が覚めたらそこがDQ世界の宿屋だったら@2ch 保管庫