○第一話
    『不思議の国のしなのさん』

気持ち悪い……頭痛が痛い……
うぅん……
ベッド際のシーツを片手で頭に引き寄せ、
眠りの中から私を引き起こそうとする明るい光から逃げるように体を丸める。
何でだっけ……

ん……そうだ。
私は、フラれたんだった。
それでヤケ酒を……
……思い出したらまた気持ちが沈んできた。
今日は一日中寝ていようか。

  「ちょっとお客さん!」

扉を叩く音と共に誰かの呼ぶ声がする。

  「お客さーん! もう起きて下さいよ~!!」

うるさいな……
私は今悲しいんだ。
ほっといてくれ。

  「ったく……これじゃあ眠り姫だな」

そうそう。
姫様の眠りを妨げるなんてのは重罪だぞ。

  「ちょっと、見てないでお願いしますよ」
  「あぁ。さ、姫。もう起きませんと」

思わず従ってしまうほどに優しい声。
ゆっくりと目を開けるとそこには若い男と、その後ろに髭を生やした中年の男。
両者の顔に見覚えはなかった。

  「おはようございます」

ニッコリと微笑む若い男。
私はそれに答えず、目だけで威嚇する。
寝起きを見られる事ほど恥ずかしい事はない。

  「すみません。
   もうチェックアウトして頂きたい、とご主人がおっしゃるものですから」

赤く充血しているであろう私の目を見ながら男が申し訳なさそうに言う。
チェックアウト?
ご主人?
そういえばさっきも私の事を客と呼んでいたな。
私はホテルか何かに泊まっただろうか。

聞きたい事は山ほどあるように思えたが、まずは身支度と頭の中を整理したかった。
分かった。では15分ほど時間をくれないか?
そう男に告げる。

  「もちろんです」

若い男は笑みを崩さぬまま、早くして下さいよと文句を言う主人を部屋の外に連れ出した。
ふふん、少しは気が利くようだな。

2人が部屋から出て行ったのを見計らってベッドから抜け出し、
窓際で陽の光を浴びながらグッと伸びをする。
硬い体に血が通い始める感覚は、一日の始まりを告げてくれる。。

普段着のまま寝ていたらしく、カットソーがシワシワになってしまった。
デニムのショートパンツも少々ごわついていて着替えたかったが、
今はお色直しをする事は出来ないようだ。
とりあえず髪を軽くとかして部屋を出た。

  「ったく……」

忙しいのに、とこぼしながら主人は私が寝ていた部屋に入っていった。
何がそんなに不機嫌にさせているのだろうか。

  「もうよろしいのですか?」

振り返ると先程の若い男が近づいてくるところだった。
背は私より高く、切れ長の目は優しい輝きを放っている。
体をタイトに包む服と少し流した前髪がその整った顔に似合っていた。
その歩き方さえ絵になるくらい、一種の美しさを感じる。

あぁ、すまなかった……寝起きがどうしても悪くてな。
と、本当の事が言えずに嘘を付いてしまう。

  「いえ、私の事は」

男は目を閉じ、気になさらないで下さいと言いたげな仕草をする。
と言うか、君は誰だ。
私は行くぞ?

  「あぁすみません……
   では一緒に朝食でもどうでしょうか。
   起こしてしまったお詫びという事で」

その意見には同感だが、悪いな。
ナンパはお断りだ。
第一そんな気分じゃあ、ない。

  「ちょっと待って下さい! 僕は――」

そういう男だったか。
外見だけが武器の優男。

  「……あなたはこの場所に見覚えがない。
   そうではありませんか?」

男の横をすり抜けようとした足が思わず止まる。
……何故それを知っている?

  「僕があなたと同じ、だからですよ」

私の心を読んだかのような男の答えと、初めから変わらぬその笑み。
それはこれからの出来事を予感させるにはあまりに小さな不思議だった。



○第二話
    『もしもの話』

  「ふぅ、美味しかった」

もう食べないのか?

  「えぇ、すみません。僕、少食なんです」

私はまだ頂くよ。
朝食はしっかり食べないと元気が出ないからな。
それに確かに美味しいし。

  「ごゆっくりどうぞ」

あわただしく宿屋を追い出された私が何故この男と朝食、
もとい昼食を一緒にしているかをまずは説明しなければなるまい。
その理由は単純にして深刻な問題だった。
お金がない。
ドラマのタイトルじゃないぞ?
泊まった覚えのない宿代は私の持っている金で払う事は出来なかった。
つまりこの男に借りが出来てしまったという訳だ。

  「何か当てが出来るまでは僕を頼りにして下さい」

私を気遣うようなその言葉とは裏腹に、
男は私と居られる理由が出来た事を喜んでいるようだった。
そして言うが早いや、男は私の腕を取って近くにあった定食屋に連れ入った。

きっとその内、とても言えないような事を私に要求してくるのだろう。
私は断る権利もなくこの男の手に落ちてしまう、というシナリオだ。
う~ん、エロいな。

そんなくだらない事を考えられるくらいに私は落ち着けたようだ。
と同時に、可笑しくなってつい笑ってしまいそうになった。
昨日の今日にはこうして名前も知らない男と一緒にいるのだから。

それとも、この出会いにも意味があるのだろうか。
食後にココアを頼み、本題へと入る。

  「アレンです。呼びにくければアリィでも」

あぁ。私はしなの、と言う。
じゃあアレン、君の話を聞いてもいいかな?

  「えぇ。そうですね、では今朝の事から話しましょうか」

テーブルの上でアレンが手を組む。
食後のまったりとした空気の中で時計の針の音だけが場を支配していた。

  「もし……」

もし……?

  「もし目が覚めたらそこが見知らぬ宿屋だったら」

……凄い仮定だな。

  「そしてベッドの隣にはこれまた見知らぬ美女。
   前後不覚になって連れ込んだか?
   いや、むしろ記憶ははっきりしている。
   昨日は自分のベッドで眠りについた、と」

……私の隣で寝ていたのか?

  「えぇ。あっ、大丈夫です! もちろん、何もしてませんから」

寝顔を見られたのか。
こんなに恥ずかしい事はない。
気まずさを隠す為にココアに口をつける。
その暖かさが心地良い。
うん、それで? と話を促す。

  「今朝僕は外を少しだけ見て周りました。
   けれどこの町は初めてだった。
   故に一つの仮定が導き出されます。
   それは、この世界が僕のいた世界とは違うのではないか、という可能性」

ふぅん……その前提は?

  「……僕はある理由で世界中を旅した事があります。
   知らない町はありません」

その話が本当なら……
信じがたいけれど本当なら、確かに君と私は同じだ。
しかし君は私と違ってさほど動揺しているようには見えないが?

  「話は通じる。
   料理を食べる余裕がある。
   危機迫っている訳でもない。
   そして、お金の心配もない、と」

と言いながら金を取り出し、テーブルに置く。
どうやら飯代も払ってくれるらしい。

しかしな……それなら尚更分からない事がある。
何故私に付きまとうんだ?
困ってる女性はほっとけない性質なんだ、とか?

  「そうですね」

皮肉に対してアレンは何故か楽しそうに、少しだけ考える仕草をした。


  「あなたの事が気に入ったから、でしょうか」

そういう事を軽く言うから……
こうして私はフラれた次の日に口説かれてしまったのだった。
何だか嬉しくない、な。
たくさんシャワーを浴びて寝るとしようか。

清潔なシーツに、暖かいベッド。
どんな時でも、どんな場所でも、眠る瞬間だけは安心していたいと思う。

その日私は、私の世界の夢を見た。

  「…なのさん……しな……」

目覚ましが鳴ったら、仕事の準備……
それまでは寝れる……

  「しなのさん、しなのさん?」

ん……
目を開けると昨日と同じようにアレンの顔。
あぁ朝か……おはよう。

  「おはようございます、しなのさん。
   起き抜けで申し訳ないのですが……」

ん、まぁ気にするな。

  「いえ、その……町が無くなってしまいました」

何を言ってるんだ、いきなり。
私はちゃんとベッドで……うん?

  「……昨日から分からない事だらけですね。
   けど、ここに居ても仕方ありません。
   出発しましょうか」

どこに? と問い返すとアレンはさぁ? とのん気に、だけどどこか楽しげに笑った。
アレンの手に引かれて草のベッドから抜け出す。

あぁ……今日は美味しい朝食が食べれないのか……
落胆しながら昨日まで町があった場所を調べていると何やら立て札が。

なんと立て札は裏側だった!

  "望みの町へようこそ。
   一夜限りのおもてなしは、あなたの望むがままに"

何だそれは?

  「……僕たちは幻を見ていたのかもしれませんね」

そんな馬鹿な。
昨日の出来事が全て嘘だと言うのか?

  「嘘、ではありませんよ。
   こうして僕としなのさんは出会っているのですから」

まぁ、確かに、な。
……あの朝食もシャワーもベッドも私が望んだ、のか。

  「……ハーゴンの仕業なのか?」

ん? 何か言ったか?

  「いえいえ。一応道もある事ですし、先を目指しましょうか」

先とはどこの事を言うのだろう。
光の柱を所々に形作っている林道へと足を進める。
振り返り、どこか寂しそうな立て札にサヨナラを言った。
バイバイ。



○第三話
   『新しい世界』

アスファルトの道が恋しい2日目の朝。
アレンがこちらを気遣いながら道を進んでくれていたが、
私はとうとう道端に座り込んでしまった。

  「大丈夫ですか?」

いや、足が痛い……
ミュールでこの道は、辛い。

  「あぁ、赤くなってますね……
   可愛い靴なんですけど、すみません」

アレンが私の足からミュールを脱がせる。

  「町に着いたら新しいのを買いましょう。
   それまで少し我慢して下さい」

そう言ってアレンは私に自分の背中に乗るように促した。

  「いや、いい。
   少し休んだら裸足で歩くよ」

昨日から彼に頼ってばかりだった。
しかし私は何も返す事が出来ないから、その優しさを素直に受け入れられない。

  「駄目です。
   綺麗な脚に傷がついてはいけません。
   それともし遠慮しているのなら、それは違います。
   僕はしなのさんと触れ合う事で孤独から救われているのですから」

孤独。
何も分からないこの世界で、私と同じようにアレンもそれを感じていたのだろうか。
私はアレンの肩に手をかけた。

  「じゃあ、行きますよ」

昨日からアレンには恥ずかしいところばかり見せてしまってるな。
いけないいけない。もう少ししっかりしないと。
しかしな……
どうもアレンは違う世界に来たとは思えない程に慣れてると思うんだが。
でもそれを聞くのもどうかと思い、ただしっかりとしがみつく事だけを考えていた。

  「着きましたね」

何だか騒がしい程に賑やかだな。
二時間ほどおぶってもらってようやく次の町に到着した。
しかしやはりと言うべきか、この町もアレンの知る場所ではなかったようだ。

  「では僕は靴と宿の手配をしに行きます。
   しなのさんはここで待っていて下さい」

あぁ、すまないな。町の観察でもしてるよ。
町の中央広場にあったベンチに腰掛けて人々の様子を眺める。
何やらバザーのようなものを催しているようだった。
道行く人に誰彼構わず声をかけ、強引な接客をするガラの悪い男。
目の前に広げた商品を大事そうに一つ一つ磨いていく老人。
売り物よりも自身の容姿を見せ付けたいだけの女店主。
そして頭上を飛び交うパタパタという羽音。

……ん? 何だ?
その音の正体を確かめようと見上げると、
何やら黒い物体が私の頭を中心にクルクルと回っていた。

  「キィ~!」

……カラス?
いや、コウモリか。
にしては表情が豊か過ぎる気もするが。

そのコウモリは私が見ている事に気付いたようで、
私の顔の前でホバリングし、
いないいないばぁをするかのように左右の羽を広げておどけた顔を見せた。
いたずらが好きなのだろうか。
ふっ、面白いコウモリだな。

  「こらドラオ! 知らない人を驚かしちゃあダメじゃないか!
   ゴメンな。勝手に飛び回るものだから……」

コウモリの飼い主らしき人物が私の方へ駆け寄ってくる。
いや大丈夫だ。コウモリを飼ってるのか……?

  「ドラキーを知らないのか?」

私の世界にはいなかったからな。

  「あぁなるほど……あ、こらドラオ! やめろwww」

怒られたのをちっとも気にしていない様子でコウモリが飼い主にじゃれつく。
よく懐いているな。

  「ドラオは人を怖がらないからな。触ってみるか?」

コウモリを両手の上に乗せ、私の方へ差し出す飼い主。
無邪気そうな目をこちらに向けて、私を観察するコウモリ。
しかし私がコウモリの頭を撫でようとすると、
コウモリは私の方から目を背け、しまいには逃げるように飛び去ってしまった。

  「あ……何て言うか、その……」

飼い主が私にかける言葉を探す。
……いや、いいさ。
私は昔から動物には好かれないんだ。

しかしあんな可愛いのと一緒にいれて羨ましいな。
どうやって仲良くなったんだ?

  「え? いや、普通に友達になったんだけど」

そんな……不公平だ! 私とも友達になってくれ!

  「えぇぇぇ……俺に言われてもな……」

私はただ夕暮れの空を見上げるしかなかった。
違う世界に来ても私は私のまま、か。
はぁ……



○第四話
   『呪われし者』

バザーで賑わう町で一泊した私たちは、観光もそこそこに再び歩き始めた。
しかし連日町から町へと歩き渡るような生活にはなかなか慣れない。
別段体力に自信がない訳ではないんだがな……

アレンは元の世界で世界中を旅した事があると言っていただけあって、
私をかばってなお余裕があるようだった。

  「ちょっと水を汲んで来ますね」

へばってしまった私を気遣い、アレンは道を逸れ川へ降りていった。
ミュールから新しい靴へと履き替えたおかげでオフロードを歩くのは格段に楽になった。
この服に似合うような靴ではなかったが、さすがにそこまではな。
それにオシャレを見せたいと思う相手も、ここにはいないしな。

……帰れるのかな。
ふとそんな事を思う。

この空は私の街と同じで清々しい程に青いのに、
私の人生は変わってしまった。
どうせ変わるなら、もっと違う人生を歩んでみたかった。

次の町の象徴である城が見えてきた。
城と言っても日本のではなく、西洋のものだが。

ここはラダトームと言ってアレンも来た事があるらしい。
しかしそれならアレンの元いた世界とこの世界は違うという説は間違いという事にならないか?
本当に全ての町を回った事があるのか?

  「そう言われてしまうと自信がなくなってきました。
   自分でもどうなっているのか分かりません。
   世界は自分が思っている以上に広いのでしょうか。
   が、これで王様に話を聞く事が出来ますから、物事は前向きに考えるべきです。
   さぁ行きましょう」

あ、いま絶対誤魔化したな。
しかし無意味な嘘をつくようなヤツでもない事はここ数日一緒にいて分かってる。
アレンはある意味、素直なヤツだと思う。

  「しなのさんの知っている町も、どこかにあればいいですね」

そんな事を下心もなく言えるのだからモテるんだろうな、と邪推する。
私はひっかからないぞと思いながらも、彼の言葉通りになればいいなと願うのだった。

  「しなのさん、城へ行く前に少し寄りたい所があるんです。
   このままでは王に謁見出来ませんので」

どこに?

  「まぁ、付いて来て下さい」

ん……
何やら訳あり、というような顔で苦笑するアレン。
うーん何だろう。女か? 女なのか?

  「残念、はずれです。男の方ですよ。
   ……今までしなのさんには言ってなかった事があるんですが」

ま、まさか……
……い、嫌だ! 私は聞きたくないぞ!!
ベルトを外そうとするのは止めろ!

  「実は僕、呪われた身なんです」

止めろー! 脱ぐな~!! ……って……?

  「悪魔のしっぽです……
   隠していてすみません。現時点ではほぼ無害でしたので……
   この先に呪いに詳しいご老人がいると聞いています。
   その方に頼んで外してもらったら城へ行――
   ……しなのさん? 怒ってます……?」

……あぁ、物凄く怒っているぞ。
意味はまったく分からないが、怒ってる。

  「そうですよね……」

だから、触ってもいいか?

  「え? しっぽですか? えぇ、どうぞ……?」

ふふふ……
フサフサしているな……しかも柔らかい……
おぉ、こいつ動くぞ!
これは可愛いな! 存分に撫で回しておく事にしよう。
何故アレンにしっぽが生えてるのか分からないが、取れるなら次は私が付ける番からな。
なに? 装備したら呪われるって……?
アレン……君は私の事を何も分かっていないようだね。
私は以前ペットショップに入った途端、店中の犬に吠えられた事がある程の豪の者ぞ。
こんなにグッドなアイテムを見逃せるはずがなかろう!!

  「あ、あの? しなのさん?」

……すまない、取り乱したようだ。
今のは忘れてくれ。
ちなみに呪われていると、どうなるんだ?

  「呪われし者よ、立ち去れい!」
  「ぐわぁ~!」
  「……と、なる訳です」

と、城の門番に若者が力ずくで追い出されている場面が目の前で繰り広げられる。
ふぅん……お城に入れなくなるのね。
だから謁見出来ないって訳か。
という訳でアレンの呪いを解いてくれるという老人の家を訪ねたのだった。

  「不躾にすみません。少し診て頂きたいのですが――」
  「こりゃあいかん! 早くこっちへ!」

小さな一軒屋に入るなり慌てた様子の老人に引っ張られ、椅子に座らされるアレン。
私は二人の邪魔をしないように部屋の隅に立つ。
呪いは無害だとアレンは言っていたが、何がそんなにいけないのだろうか。

しかし老人の逼迫した雰囲気からそれを聞くのは躊躇われた。
静寂が時を支配し、刹那が無限に感じられる。
重苦しい空気は、あまり好きじゃないな。

  「なんと! これは新しいタイプの呪いじゃな!
   私には解けぬ、許して下され。うくく……」

アレンの事を診ていた老人が突然絶叫する。
うくくって何だ、うくくって……

  「悪魔のしっぽ自体は珍しくないんじゃ。じゃが、何かが違う……」
  「……教会の神父様にもお願いして駄目だったので、あなただけが頼りだったのですが」
  「まぁアイツらには到底無理じゃろうな。呪い自身を知ろうとはしないのじゃから」
  「どうすればいいのでしょうか」
  「そうじゃな。まず――」
  「おらぁ~! ジジイいるか~!」

とその時、勢い良く扉が開かれ慌しく誰かが入ってくる。
お、先程城門前で吹き飛ばされてた人だ。

  「……何じゃまたお前か。一度では懲りんヤツだな」
  「何ぃ? まだ何も言ってねぇだろ!」
  「言わずとも分かるわい。
   呪いは呪いを呼ぶとはまさにこの事……
   愚かなお前が再び呪われてここにやってくる事はむしろ分かっておったわ」

知り合い、なのか。
家族ではないようだが、遠慮がまったくと言っていいほどないな。

  「うるせー! じゃあさっさと治せよ!
   そんであのヒゲ兵士をぶっ倒してやる!」
  「煩いのはお前じゃ。お客に失礼じゃろう。
   それにお前の呪いも解く事は出来んようじゃ」
  「あ? 何だよそれ!」

その言葉に対していきり立つ男を制し、落ち着かせる老人。
何だかんだで老人には逆らえないらしい男は大人しくアレンの隣に座った。
老人はアレンと男の顔を順番に眺め、少し考えるような仕草で溜め息をつく。

  「これも何かの予兆、なのか」

独り言をつぶやく。
何か重いものを感じ、それに返答する事は出来ない。
静かに開かれた老人の目が、アレンと男をジロリと睨む。

  「いいか2人共、勇者の泉を目指すのじゃ」
  「勇者の泉……?」

  「ラダトームの西、ローレシアの北、サマルトリアの東。
   そこで清めてもらえば、もしやな」
  「行った事ねぇよ……ってか何で今治せないんだよ……」
  「僕はあります。ですが、今そこに行けるかどうか……」

世界地図をアレンが困惑の表情で見つめる。

  「現在の地理的状況は非常に混濁していると僕は考えています。
   誰一人として正確に道を把握している者はいないでしょう。
   地図の全修正も検討しなくてはいけないかもしれません。
   このラダトームに無事にたどり着けた事でさえ、今では奇跡に思えます」
  「ふぅむ……つまり、勇者の泉が今もあるとは言えない。そうじゃな?」

コクリと頷くアレン。
唸る老人。
そして憤慨する男。

  「何とか言えよ! 呪いの第一人者なんだろ?!」
  「……呪いはお主たちをゆっくりゆっくりと蝕んでいくじゃろう。
   死ぬ事はないが、死ぬ事の出来ぬ苦しみを味わうやもしれん。
   呪いの怖さは目に見えぬところにある。
   しかしな、お主たちは絶望に飲み込まれて終わる運命にはないとワシは見た。
   故に道無くとも勇者の泉へ行かなければならない」

有無を言わせない老人の言葉に思わずゴクリと飲み込む2人。
蚊帳の外な私はお茶をゴクリと飲み込んだ。

  「ここで出会ったのもルビス様のお導きじゃろう。
   2人で協力し、そこを目指しなさい」

……私は?



○第五話
   『勇者と勇者と私』

  「ったく、俺を城に入れないなんてどんな了見してやがるんだ!
   呪いくらいいいじゃねぇか! なぁ?!」

ビールを一気に飲み干した男は、怒りが収まらないとばかりに私へ泡を飛ばす。
ジョッキを叩きつけられた木のテーブルは、少しばかり形が変わったかもしれない。

  「まぁ城は一応神聖な場ですから……」

それをたしなめるアレンはワインを優雅にそっと一口。
二人が会話しているのを聞きながら私は酷い味のカクテルを口にする。
こんなのを良く客に出せるな。
私が作った方がまだ美味しい。
けれどその不味さは私の心中を表しているのかもしれないな、と思う。
だから先程の老人が出してくれたあのお茶のようにスッキリとしたかった。

  「ハーブティーじゃ。あまり良い物ではないが」

アレンともう一人の男に勇者の泉へ向かえと告げた後、
老人は私だけに残るように言った。
少しだけならと承諾し、アレンには外で待っていてもらう事にした。

  「しかしあの小僧が立派になったと思いに耽っていたんじゃがな。
   人はいつまで経っても変わらんもんなのかのう……」

老人が半ば呆れた表情で言う。
しかしそこにはほんの少しだけ、喜びも混じっているように聞こえた。
あの男を自分の子供のように思っているのだろう。

聞けばいくらでも彼との思いでを老人は語ってくれそうだが、
私だけに話とは何の用件なのか気になるところでもあるな。
まさか私にも何か呪いが掛けられているとか?

  「安心しなされ。お嬢さんには呪いはかかっておらん。今は、な」

そうですか、それは良かった。

  「しかし呪いの影響を今後も受けないとは言い切れん。
   いや、必ず受けるじゃろう。
   あの若者とどういう関係にあるか知らんが、今までよく無事じゃったな」

ふふ、そう見えますか?

  「あまり年寄りを試すもんではないぞ」

失礼しました、と笑い合う。
ふと自分の事も相談してみようかという気になった。
これから自分はどうすればいいのかさっぱりだからな。
けれどどこへ行くとしても、旅に慣れている者と一緒にいた方がいいだろう。
何も分からないこの世界で、私はあまりに無力だ。

  「……奴等に付いて行くつもりか?」

とりあえずは。

  「やめといた方がえぇ」

そう静かに言い、茶を飲む。
どうしてこうも年老いた者の言う事は説得力を持つのだろう。

  「人が道を誤った時は呪いに掛かりやすくなると言う。
   じゃがその一方で呪いが人に道を誤らせる、とも言う。
   しかしあの勇者たちは必ずその呪いを解くじゃろう」

ゆうしゃ……?
……アレンが、勇者だと?

  「何じゃ知らんかったのか。
   まぁ言わなければ分かるもんでもないからの。
   呪いなんてもんに関わっているせいからか、聖なるもんにも目聡くなっての。
   ワシには分かるんじゃ。
   あの2人の目に映っておるものが同じじゃとな」

……それは、少し分かる気がする。
アレンは私なんかとは、違う。

  「そう自分を卑下するもんじゃない……むしろ彼らが特別だと思うんじゃな」

特別、か。

  「勇者は人々の不安を希望へと変える。
   そして世界の秩序を取り戻し、新たな平和をもたらしてくれる」

それが勇者の運命という訳か?
無言の返答。
言わずもがな、か。
そして老人はか細い目でこちらを見てくる。

  「あの2人を結び合わせたお嬢さんの役割はここで終わりじゃ」

役割。
この世界に来た意味が、それか。
人と人を結びつける役。
それもいいかもしれないな。

……待っていれば。
待っていれば、私は元の世界に戻れますか?

  「あぁ……きっと、な」

……分かりました、ありがとう。
お茶、美味しかったです。

  「……なのさん……しなのさん? 大丈夫ですか?」

アレンの声で我に返る。
ん……

  「飲みすぎないで下さいね。明日からまた移動になりますから」
  「でもどっちに行きゃあいいんだよ」
  「まずはそれを探しに行くんですよ」

女のそれとはどこか違う男の友情、というヤツだろうか。
さっき会ったばかりの2人は仲良さそうに明日からの予定を話し合っていた。

対称的に見えるこの二人には以外な共通点があるようだった。
店に入り、乾杯を交わした後の事。

  「まさかあの勇者アレフですか?!」
  「おう、その通りだ。よく知ってるな」

アレンがらしくない声を挙げる。
この男がそんなにびっくりする程の有名人だとはとても思えないがな。

  「知ってるも何も……
   驚かれるでしょうが、聞いて下さい。僕は、あなたの子孫です」
  「へぇ、何だ面白い事言うじゃねぇか。ただの貴族の坊ちゃんかと思ってたが」

アレフは軽く笑い飛ばすが、アレンは真剣な表情を崩さなかった。

  「竜王が世界を支配し時、勇者ロトの血を引くアレフはただ一人で立ち向かい、
   見事ローラ姫を助け出し平和を取り戻す」
  「……」
  「これで信じてもらえますか?」

アレンが懐から何かのメダルを取り出す。
それを見たアレフは少しばかり目を見開き、そのメダルと全く同じ物を取り出した。
翼を広げた鳥をモチーフにした金色のメダル。
それが持つ意味を私は知らないが、2人にはそれで十分通じたようだ。

  「ここに着くまで道分かりました?」
  「全然! 三日三晩彷徨ってようやくだぜ。
   途中リーザスとか言うトコは通ったっけな」

会話の中に見えてくるある種の連帯感。
それはつまり、2人が共に勇者である事の証なのだろう。

2人の旅に付いて行く理由、確かに私にはない。
私の知らないこの世界の情勢は、未だかつて無い状態にあるらしい。
そして勇者によってそれは正されるだろう、という老人の話だった。

そんな勇者の仲間として私なんかが相応しい訳がない。
特別な力を持たない私に何が出来るというのか。
付いていってこの2人に迷惑をかけるよりもここでお別れをして、
老人に言われた通り私は私の町へ帰れるのを待つのが正解なのだろう。
そうさ。ここでお別れなんだ。

2人ともすまない。私は行けないよ。

  「……しなの、さん?」

私は、ここに残る。

  「そんな! どうして!」

いいんだアレン。
明日からアレンのパートナーは、アレフだ。

  「……」
  「……なぁ、アレン。
   俺は組んだ事ねぇから分かんねぇんだけどよ」
  「……はい」
  「パーティーってのは2人じゃないとダメなのか?」
  「いいえ、僕は3人組でしたよ。それが何か……?」

  「そうか、ならいいじゃねぇか。
   別に目的がある訳じゃないなら一緒に行こうぜ。
   パーティーってのも何だか楽しそうだしな!」

ワハハと笑い飛ばすアレフ。
いや……私じゃ役に立てないしだな……

  「あ、何だって? ってかお前、アレンのコレなんだろ?」

なっ……!! ち、違うぞ!!

  「いや……まだなんです」

いやいや、アレンもそういう事言うんじゃない……!!

  「ホントかよ、だらしねぇなぁ。さっさとモノにしちまえよ。
   いいか、そういう時はだなぁ――」

どこか得意げにして女を落とす方法について語るアレン。
それを真剣な顔で聞き、時折質問し返したりするアレフ。
私を目の前にしてそれはないだろう……
ぷ……くくっ……あははっ……!

  「よし、ほら行くぞ!」
  「行きましょう、しなのさん!」

……あぁ、行くか!

私はまだ呪われてない。
だから私はまだ道を誤ってはいない。
行けるところまで行こう。
終着点は、私の世界だ。



○第六話
   『せいすいの如く怪物を遠ざけてくれる存在、是即ち勇者』

冷たい水で顔を洗い、長くなってきた髪を軽く梳く。
そろそろ美容院に行きたいところだ。
薄めのファンデに口紅を施し、香水をふとももへ。
うん、今日も完璧。

 「何ちんたらやってんだよ。早く来やがれ」

アレフ……君はもう少し女性に対して気をつかった方がいいな。

  「旅してんのに男も女もあるかよ。
   だいたい俺そういうのは嫌いだし」

この生意気な口を利くのはアレフ。
私たちの新しい仲間で、アレンのお爺さん。
と言うとかなり語弊があるが、私たちと年齢は変わらない。
どうなってるか分からないが、そういう事だ。
しかし外見だけなら活力溢れた青年という感じなのに、どうにもがさつでいかんな。
絶対に中身で損をするタイプと見た。

  「ちょっと父さん? 親しき仲にも礼儀あり、ですよ。
   少しはやっていただかないとローラ姫に嫌われます」
  「おぉ我が息子よ。ローラの事は言うなって言っただろ?
   アイツこそもっと俺に気を使うべきだ」

この掛け合いがこの2人の最近のお気に入りらしい。
実際には父さんじゃなくてお爺さんだし、息子じゃなくて孫なのだが……
しかもどちらかと言うとアレフの方が子供っぽいのでどうも違和感がある。
これで勇者というのだから、イメージが崩れてしまった。
まぁでも勇者とて人なのだから、それくらいはいいか。

ところでアレフは何で呪われてるんだ?
しっぽか? 獣耳か? 肉球か?

  「何だよ嬉しそうに。ベルトだよベルト」

何だか凶悪そうなバックルだな。……可愛くない。

  「呪いに可愛いも可愛くないもあるかよ。変な奴」

そんな感じで3人の旅が始まった。
何の因果かこの世界で目覚めて幾数日が経ち、ようやくこの世界の事が少しずつ分かってきた。
人間たちの集落として確保されている土地は、自然界に比べてあまりに小規模で集中的だ。
私の世界より文明的に劣るからだと考えたが、アレンの話では怪物の存在が主な原因らしい。
凶悪なモンスターたちが蔓延る外の世界は私の想像以上に危険なようだ。
というのは、モンスターの怖さを私が知らないからだ。
外の世界をさんざん歩いてきたにも関わらずモンスターと遭遇する事はなかったからな。
そもそもモンスターという概念がよく分からないし。
野生動物みたいなものか?

  「モンスターとは特別に凶暴である生き物の事を言います。
   それが魔王の仕業である説、性悪説、色々とあるみたいですが、
   人間の普段の生活において差し当たって邪魔者扱い、目の仇にされる存在です。
   平和を望む者にとっては悩みの種となっていますね」

そうか。どうやらここは私の世界よりも十分に危険な世界のようだな。

  「お前の世界は平和なのか。って事は魔王倒したんだな」
  「どうですか? 平和な世界を生きるという事は」

平和、か。
度が過ぎると必ずしも良い環境だと言い切る事は出来ないと今では思うよ。
あのミュールを履けるくらいに、な。

  「……そうですか。でも僕はやはり平和を取り戻したいです」
  「俺と一緒なら余裕でいけるさ」

さらりと言ってのけるなアレフは。
その調子で私も元の世界に帰してくれればいいんだが……
まぁどうすればいいのか分からないんだけどな。

クレージュと言う町で水や食料を購入し、その先にあった大きな木の根元で休憩タイム。
地平線を望みながら時を過ごしていると、何かがピョコピョコと私に近づいてきた。
鏡餅にツノを生やして、コミカルな目と口を書き込み、青で彩色すると出来上がり。
少し触れれば崩れてしまいそうなくらいに透明なブルー。
ゼリーのような体をプルプルと震わせてこっちを見てくる。
何とも愛らしい……

そう言えばいつか読んだ小説で女子高生がこんな生き物と一緒に旅をしていたな。
私もそんな事が出来たらなぁと夢見たものだ。

……そうだ。
もしかしたらあのコウモリのように私に懐いてくれるかもしれない。
チャレンジ! とばかりに意気込んで少しずつ近づいてみる。
警戒されないように今度は笑みを浮かべながら、だ。

ん……? 何をそんなに怒っている?
もし君の縄張りに入ってしまったのなら謝ろう。
言葉は通じなくても私の心は分かるはずだ。
さぁおいで~お姉さんは怖くないですよ~
……痛っ!!

  「しなの?」

私の指に噛み付いたその生き物は、逃げるようにして飛び跳ねて行ってしまった。
はぁ……最近フラれてばかりだな……

  「どうしたんだよ。おいおい、何泣いてんだよ?」

……逃げられた。

  「は? 誰にだよ」

何か、青いの。

  「あぁスライムか」

スライム?

  「あぁ、指大丈夫か?
   別にスライムくらいならいいけどよ、あんま俺らから離れるなよ?
   知らないモンスターもちらほら見かけてるからな。
   まだ襲っては来ねぇが」

ふぅん。
モンスターの話聞いて不思議に思っていたんだが、何で襲って来ないんだ?

  「ここら辺のモンスターがそこまで強くないってのもあるが、
   あんな野郎共でも本能的に強者と弱者の区別を知ってんだな。
   つまり俺様が強いって証拠さ!」

得意気に胸を張るアレフ。
なるほど、さっきのスライムが逃げたのはアレンのせいだったのか。
私が嫌われた訳じゃなかったんだ、良かった。
せっかく仲良くなれるチャンスだったのになぁ……
そんな風に暢気で居られる程、私の旅は平和だった。



○第七話
    『お仕事』

  「お、屋根が見えるな」

のどかで小さな村。
道無き道を歩き続けてようやく人の居る場所に受け入れられるのは凄く安心する。
少しだけ散歩をしてみようか。
海岸から運ばれる潮風に木々や花たちが、そして私の髪が揺れる。
山から流れ込んでくる河川に水草や魚たちが、そして私の心が躍る。

  「やっぱりこの世界は水が綺麗なんだな」
  「汚い水なんかあるものか。ルビスのヤローの加護がある限りはな」
  「……私の世界では水はそのまま飲めないほど汚れている。
   水は買うものとしての認識が今や一般的になっているな」
  「水を買う? 砂漠の民じゃあるまいし」

アレンが笑う。
少し見方を変えると普通は異常に取って代わると言うからな。

  「この世界は良い。
   水も空気も、そして踏みしめる大地さえもが自然そのままだ」
  「それが普通なんだろうが。
   お前の話聞いてたらこの世界も満更じゃねぇって思うけどよ」
  「だから私たちは世界を元に戻したいと願うのでしょうか」
  「どうせまた魔王とかなんだろ? ぶっ殺して終わりさ」
  「だといいんですけどね。その前に自分の事を何とかしないといけませんが」

勇者の泉という私たちの目的地。
地道に集落を回り情報収集をしているのだが、それがどこにあるのか未だに分からなかった。
この世界の女神ルビス様は何か導きを下さらないものだろうか……
結局また次の町を目指そうという事になった。

お……宿屋の外にわんこがいるぞ。しっぽを振ってるな。
お座りしながらしっぽ振るのは反則だと思う。
可愛いの域を超えている。

  「ハッハッハッ……」

艶やかな毛並み。賢そうな眼差し。
やはりわんこは良いな。
……けれどきっと触らしてくれないんだろうな。
こっちの世界でも動物には嫌われてるし。
肉球プニプニしてみたいんだが……

お、こっちに気付いたな。
?!?!
わんこがこっちに走ってくる!
ピョンと飛びついて来た!!
これは夢か?!

  「くーんくーん」
……
……
  _  ∩
( ゚∀゚)彡 わんこ! わんこ!
 ⊂彡    肉球! 肉球!
  「おい、犬なんかに構ってるんじゃねぇよ」
  「どうしました? そんなに犬が珍しいのですか?」

♪♪♪~

  「し、しなのさん……?」

ん? 何か言ったか?

  「え、えぇ、まぁ……しなのさんは犬好きなんですか?」

犬に限らないが、動物は好きなんだ。
けれど向こうは何故か私の事を好いてはくれなくてな。

  「そうなんですか。それは良かったですね。
   でもちょっと連れて行くわけにはいきませんね」

駄目? どうしても?

  「飼い主がいるかもしれませんし、
   それにモンスターの危険から守りきれるか分かりません」

そうか……残念だ……
こんなに可愛いのになぁ……お前も私と一緒に行きたいだろう?

  「僕しなのとは一緒に行きたくないでちゅ~」
  「父さん……変な声出さないで下さいよ……」

仕方なく私は苦渋の決断でわんこに分かれを告げた。
あの純粋そうな目を記憶に焼き付けて、私はいつまでも名残惜しく手を振り続けた。
あぁ……バイバイ私のわんこ……

村を出て数時間後、夕暮れ時に早めの食を取る。
林の中の小さな空き地に火を焚いて3人で囲んで食事。
ファンタジーにありがちな一場面も、実際にやる立場となれば面倒の方が多いと知る。
なぁ、勇者って何なんだ?
私は最近思っていた疑問を口にしてみた。

  「……」
  「……」

おいおい、2人が考えてどうする?

  「改めて言われると困るな」
  「そうですね。なろうと思ってなったものでもないですし」

職業って訳じゃないのか。

  「文字通り取れば勇気ある者という事になりますが、
   悪に立ち向かう宿命にある者という解釈ですね、個人的には」
  「まぁ俺なんかは暴れるのが好きだから別にいいけどよ。
   血筋で勝手に勇者だと決め付けるのはあんまりいただけねぇな」
  「誰でもなれるが、誰もがなれる訳じゃない。
   まぁ僕は勇者などいなくていい世界を望みます」
  「そう言えばしなのは何やってた人なんだ?」

パチリと炎の中で木が音を鳴らす。
……私、か?

  「あぁ、お前の世界でって意味な」

ん、とうとう聞かれてしまったな。

  「……と言いますと?」

そうだな……
男と席を一緒して酒を作ったり、話をしたり、
嘘笑いをしたり、少し触られたりするような仕事さ。

  「それって……」
  「へぇ、そんなんで金貰えるのか。
   良い仕事だな。じゃあ俺にも酒注いでくれよ」
  「アレフさん!!」
  「あん? 何だよいきなり怒鳴りやがって」
  「……本当に怒りますよ」

いや、いいんだアレン。
アレフ、酒はまた明日な。
今日はもう寝るよ。

  「あぁ頼むぜ。おやすみ」
  「……おやすみなさい」

馬鹿なアレフはいいとして、これでアレンも私の事を嫌ってくれるかな。
そんな事を思いながら目を閉じた。



○第八話
   『好き』

好きと相手に伝える事は、特別な事だと思う。
けれど客を喜ばす為だけにしか使われない私の言葉は何の価値も持たない。
こんな仕事をしている者の「好き」は媚びや社交辞令でしかないからだ。

本気の恋は許されない職業。
そのくせ一人前に恋をしたいなどと思う自分がいた。
擬似恋愛で一時の安らぎを与える商売。
それでも本当の自分を見て欲しいと思う自分がいた。
そしてそんな自分が嫌いになるくらいに、私は恋をしていた。

けれど私の中のズルイ部分がそれを実らせなかった。
どうしても私は人の心を試すような事をしてしまうのだ。
だからなのか、彼らが私の仕事についてどう思うのか知りたがってしまった。
嘘をついた訳ではないが、何故本当の事を言ってしまったんだろうと思う。
人に気を使って嘘を付くのには慣れていたはずなのに……

  「おい」

誰かの呼ぶ声が聞こえる。

  「おい! しなの!」

んん……

  「起きたか?」

いや、まだ寝てる……

  「起きてるじゃねぇか……」

何だ、アレフか……どうした? もう出発か?

  「いや、その、だな……」

目が泳いでるぞ。

  「……お前に謝りたい! どうすりゃいい?」

え……いきなり何だ。
どうすればいいと聞かれてもな。

  「俺、お前の機嫌悪くさせちまったんだな」

あぁ、昨日の事か?

  「あの後アレンに叱られちまったよ」

……この仕事はあまり認められないからな。

  「いや、俺は別にどんな職業だって軽蔑したりはしねぇよ。
   むしろそういう仕事は尊敬したっていいと思ってる。
   モンスター相手にするより人間相手にする方がめんどくせぇからな」

そういうもんかな?

  「そういうもんさ。少なくても俺にはできねぇ。
   誰かに嘘笑いするなんて特にな」

私は勇者アレフの方がよっぽど凄いと思うがな。
私よりよっぽど世界の為になっているだろ?

  「呪われちまうような勇者のどこが凄いんだよ……」

まぁそう言うな。

  「……」

私が言葉を続けなかったせいでアレフは所在無いのか、視線がせわしない。
猪突猛進なアレフのこんな弱気な姿を見れるのは貴重だと思う。
少し意地悪かな。

  「……許してくれるか?」

いや、許さない。

  「……」

アレフが私に呪文を教えてくれるまで許さないぞ。

  「え……」

何をぽかーんとしてるんだ。
教えてくれないのか?

  「……そんなんでいいのか?」

あぁ。いいだろ?

  「よし分かった! じゃあまた後でな!」

途端に嬉しそうな顔をしてアレフは寝床に戻って行った。

アレフは何も悪くない。
悪いのは私だ。
自分の気持ちを言わずに相手に合わせて話を進めるのはズルイやり方なんだし、
許すも何も私にとっては謝らせてすまないという思いしかないのだが、
アレフの気持ちを無下にする事もできなかった。

けれどアレフの率直な言葉を聞いて安心したのも事実だ。
こんな私の事を少しも不快に思っていないようだ。
形としては私がアレフを許すという事になってしまったけど、
今はアレフの優しさに甘えさせてもらおう。
そして早く呪文を覚えて2人の役に立てるように頑張ろうと思う。

それにしても、あんなに申し訳なさそうにしているアレフは初めてみたな。
早朝に起こしたのはきっとアレンにバレるのが恥ずかしかったからだろう。
そんな事を思うと自然と顔がほころんでしまった。
案外カワイイところもあるじゃないか。
ふふ。

  「いいか? 呪文ってのはだな、こう腹から吐き出すような感じでだな」

何だその嫌な例えは……

  「だから~こう体術とは少し違うって事だよ。
   中にあるものを引き出すってぇの?」
  「精神の具現化、ですか?」
  「あぁ、そんな事誰かが言ってたな。それだよそれ。
   つまり~精神を具現化して~」

その日からさっそくアレフに呪文を教えてもらう事になった。
なったのは良いのだが、どうもな。

  「こうだよ、こうっ! 分かったか?」

いや、ちっとも分からん。全然。さっぱりと言う程にさっぱり。

  「何だ物覚えの悪いヤツだな」

……これは私が悪いのか?
呪文を見たのも昨日今日だっていうのに、いきなり使えるようになる訳ないだろ。
だいたい人の手から炎が出るのは何かおかしくないか?

  「おかしかねぇだろ。立派な力だ」
  「しなのさんの中に呪文を否定する考えがある、
   というのが呪文を使えない理由の可能性がありますね。
   イメージは大切ですが、どうせなら良い方向に意識を持っていきたいですね」

そういうものなんだろうか……
と言うかアレフの説明が下手過ぎて困る。

  「あんだと? じゃあアレンが教えろよ」
  「僕は理論しか理解していません。練習はしましたけどね」
  「それでも勇者かよ」
  「パーティー内で役割分担出来ていればいいんですよ」
  「よし、こうなったら一発呪文食らってみるか?
   そうすりゃ呪文が本当だって身をもって分かるだろ。
   安心しろ、すぐにホイミしてやっからな」
  「ちょっと父さん!」

さすがに呪文を受けるのはイヤだな。
とりあえずイメージトレーニングとアレフの呪文をよく見る事が私の課題となった。
課題と言われると学生に戻った気分だが、この様子だと前途多難な予感……



○第九話
   『モンスター強襲』

いくつかの町や村を回り、ようやく泉があるという情報を得た私達。
昨晩は宿屋のベッドでぐっすりと眠れたから気持ちが良い。
朝食もしっかりと食べ、元気良く村を出発する事が出来た。

  「そんでよ~ローラがお姫様抱っこしろとか言いやがってよ~
   仕方なくやってやったんだよ~重たいのによ~
   んでモンスターが来やがったからローラを放り出したんだよ~
   そしたら滅茶苦茶怒りやがってよ~」

そんな話をしながら林を抜けると、泉というよりは湖に近いだろう場所にたどり着く。
アレンの話では洞窟の深奥に勇者の泉はあるらしいから、
ここではないだろう事はすぐに分かった。

  「本当にたどり着けるんでしょうか……」
  「あのジジイめ! 嘘つきやがったな!」

さすがに嘘つき呼ばわりは酷いだろう……

  「この世界がどうなっているのか未だに未解明なのですから、
   誰にも責任はありませんよ」

異世界への召還か、リアルな夢物語か、はたまたタイムスリップか。
そのどれでも説明のつかない世界異変の原因が色々と噂されているようだった。
竜王の支配、邪教の布教、聖なるオーブの喪失、魔族の、教団の陰謀、
魔王の夢、天空城の墜落、石版の収集、賢者の捜索、等々。
様々な憶測が飛び交い、議論され、人々の話題を独占していた。
私もそれについては大いに興味がある。
それが分かれば私が帰る方法も分かるか――

  「しなのさん!」
  「下がれ!」

な、何、だ? 地震……?
ググッと地面が揺れ、不快感と不安感が一気に増す。

  「来るぞ!!」

アレンとアレフが森の方に振り向き、武器を構える。
風も無いのにビリビリと木々が震え、2人の雰囲気が緊張したものに変わっていく。
周囲を警戒していると、私達が通って来た林道から1人の男が飛び出して来た。

  「逃げろ!」

男は私達の姿を認めると持っていた剣を斜めに振り、危険を訴えかける。
一番に目に付くのはその不気味な兜。
近くに寄るまでもなくそれが嫌なものだと分かる。
男が一度振り返って後ろを確認した事で何かがいる事を理解する。
そういう事を観察できるくらいに一瞬辺りが静かになった後、
男の後ろからモンスターが視界を覆い尽くすくらい大量に姿を見せた。

  「何だってんだよ!!」

アレンとアレフは少しの怯えも見せずにモンスター達と戦闘を開始した。
地を這うもの、空を翔けるもの、素早いもの、力強いもの、呪文を唱えるもの。
同じ種類の生き物がいないと言っていいくらいに多種多彩な群がりだった。

モンスター達の目標に私達が加わったようで、こちら目掛けて駆けて来る。
私はその光景に圧倒され腰が抜けたように座り込んでしまった。
本能をむき出しにして命を狙ってくる野性というものに生理的な嫌悪を覚えた。

  「はっ!」

アレンの流れるような剣捌きに成す術なくやられていくモンスター。
コウモリ男の翼を落とし、豪傑熊の目を潰し、鎧剣士の剣を弾き飛ばす。
突出してきたモンスターだけを狙い、戦闘不能にできれば良いと考えてるのだろう。
余計な体力を使わないためにもそれはとても有効な手段だった。
そして攻撃する瞬間には次の目標に目をやっている。
モンスターの間を駆けて行く脚のバネが素晴らしい。

  「食らえっ!」

力任せに敵を串刺し、攻撃呪文を唱え、殴りつけ、蹴り飛ばす。
宝箱モンスターを燃やし、一つ目巨人の腹を斬りつけ、スライムを握りつぶす。
多少の傷は気にもせず、ただただ真っ直ぐ突進していくアレフ。
彼の迫力だけで逃げ出してしまうモンスターもいるようだった。
その後を追いかけようとするのだけは止めて欲しいが、
荒々しくも怪物に物怖じしないその勢いが凄まじい。

  「……」

そしてアレンとアレフと一緒に私を守ってくれるもう一人の男。
全体の成り行きを見、穴を埋めるようにして呪文と剣を使い分ける。
敵の層が厚い場所に雷を落とし、思わぬ攻撃をして来たモンスターを軽くいなす。
さらにアレンとアレフの足場を上手く確保したりして、サポートも上手くこなしている。
先程出会ったばかりだとは思えないほどにチームワークが取れている。
この人ならどんな人とでも上手く連携が取れるのではないかと思う。
攻守自在の名選手、という感じだろう。

  「しなの! しっかりしろ!」

大きな口を開け鋭い牙で私に噛み付こうとした猿が目の前でアレフに斬られる。
猿の血が顔にビチャリと付着する。
そうだ……しっかりしろ……!
グイッと頬を拭い、立ち上がる。
薬草やらが入った袋を握りしめ、サポートに回る。
せめて足手まといにならないように。

私は必死にナイフを振り回し、聖水や斑蜘蛛糸を投げつけるしか出来なかったが、
男達は即興にも関わらず見事に互いを補い合い、モンスターを撃破していく。
しかしジリジリと詰め寄られ、とうとう水際に追いやられてしまう。
足首まで水に浸かった時、何かが絡みついてきた。
うわっ! 助けっ……!!

  「湖のモンスターが!!」

水中に全身が引き込まれるが、溺れる前にアレンが助け出してくれた。
ゲホッゲホッ!! ゴホッ……!
す、すまない……

  「チッ! このままやってもしなのが疲れるだけだぜ!」
  「いったん逃げましょう! キメラの翼を!」
  「いやダメだ。私は集落には近づけない」

何故か男が反対し、アレフが男を鋭い目で睨みつけた。

  「あ? なら置いてくぜ?」
  「それが一番だ。行け」
  「行きますよ!」

え、ちょっと待――

と私が叫ぶ前にアレンがキメラの翼を空に放り投げる。
モンスター達の叫び声が遠ざかっていくのが聞こえ、私達3人はレーベの村へ舞い戻った。
辺りが急に静かになった。
怪我をした場所が唐突に痛みを訴えかけてきたのがとても不快だった。

  「はぁはぁ……大丈夫か? しなの」
  「いったん、宿屋へ……」

どうして……

  「あ?」

どうして逃げたんだ?!
あの人死んじゃうじゃないか!!

  「しなのさん! 行っては駄目です!」

いや、私は行くぞ。
このままじゃ私のせいだ。
私が弱かったせいで誰かが死ぬなんて!

  「おいしなの! ちょっと待てよ!! お前が行って何が出来る!」

放せ!
そんなヤツだとは思わなかった!
勇者なら彼を助けようとするんじゃないのか?!

  「しなのさん! 誰も助けないだなんて言ってませんよ!」
  「そうだぜ。ほら、震えてるじゃねぇか。ちょっと落ち着けよ。
   逃げたのは足手まといなしなのを村まで送っただけに決まってるだろ」

……

  「アレフさん……」
  「うるせーな、分かってるよ。んじゃあ行くのか? もう助けてやらねーぞ」
  「冗談ではなく、次は本当にあまりかばえないかもしれません。
   あの数を殲滅するには本気でやらないといけませんから。
   覚悟して戦って下さい」

……そうか、すまなかった。
早まったよ。

  「まぁ俺らはパーティーだからな! 何するにも一緒ってヤツだ!
   のけ者にしようとして悪かった!」

いや私が弱いのは事実だからな……
アレフ、私に力を貸してくれ。

  「あぁ、気合入れろよ?」
  「しなのさん、絶対に死なないって僕と約束して下さい。
   しなのさんがいなくなったら僕は泣きます」

ちょ……分かったから抱きつくんじゃない……!
恥ずかしいだろ……

  「ヒューヒュー! よっしゃ、行くぜ!」

その掛け声にうなずき、私達は湖目指して再び林道を走り出した。
ナイフを握りしめた手に力を込めて、もっと強くなりたいと願った。



○第十話
   『呪われた関係』

湖での戦いを終えて無事に男を助けた後、私達のパーティーは4人となった。
新しく仲間となった彼の名はアレル。
アレルもまた呪われた身であり、その元凶は不幸の兜によるものだった。
何故かは分からないが、異常なまでにモンスターが彼に寄って来てしまうらしい。

モンスターに常に狙われてしまう事の危険性を考えてか最初は同行を拒否した彼だったが、
アレンとアレフは勇者だから大丈夫だと私が力説してようやく了承を得る事ができた。
アレルは私がいる事で余計に提案を受け入れる事を渋ったが、
実際先の戦いで彼らの連携は見事なものだったし、
勇者の泉に行けば呪いは解けるのだから同行しない理由はないだろうと思ったんだ。

しかしそれは案外甘い考えだったと後悔するのに二日とかからなかった。
今までは野宿をしていてもぐっすりと眠れていたが、
4人となってからは一日たりとも熟睡出来た日はない。
寝ぼけ眼のままモンスターから逃げるという日常の訪れ。
アレルが集落に近づけないと言っていた理由がようやく分かった。
このまま町に入れば故意にモンスターを町に近づけさせてしまう事になるからだ。
ふかふかのベッドが恋しいよ。

  「どうした? 寝れないのか?」

ん……最近整ってきた生活リズムがまた狂ってきたからかな。
それに少し疲れが溜まってるかもしれん。
アレルが他の2人を起こさぬ程度の声量で話しかけてくる。

  「これを食べるといい」

……?

  「命の木の実。体力がつくと言われている」

ふぅん。
と相槌を打ちながらダイヤの形をした殻を割り、黄色い実を取り出して口に含む。
……美味いな。もっとないのか?

  「あるが……口に合わなくないのか?」

……おかしいか?

  「いや、味覚の違いに言及しても仕方ない。
   けれど住む世界が違うというのはやはり大きいのだろう」

まぁ向こうでも私はおかしいと言われる事があったけどな。

  「こんな事態に巻き込まれてる時点で十分おかしいと思うぞ」

アレルがくくっと少しだけ喉を鳴らす。
む、それはお互い様だろう?
私は怒ったように言うが、実際は安心していた。
あんなに禍々しい兜を被っていても、中身は人間なのだと再確認できたのだから。

  「いや、からかった私が悪かった。
   しかし、まだ知り合ったばかりだというのにこうも話しやすいのは何故かな」

ふふ、営業スマイルでもしようか?

  「君はそのままの笑顔でも素敵だ」

それは営業トークというものだよ。
アレルは私の言葉でまた笑う。

  「やはり美人と話すのは良い。
   それだけで気が紛れてしまう男の単純さのせいだろうが、良い。
   ……と、こんな事を言うと怒られるか」

そんな事はない。
そう言えてしまうのが大人の証拠さ。
いいじゃないか、私は好きだぞ。
小さくなった焚き火に照らされてアレルの素顔が垣間見える。
肉厚ではない唇から、ふっとアレルの息が漏れる。
ふぅん、スルーされたか。
アレンだったら声を上げて笑うところなんだがな。

  「君は……君からみて私はどういう人に見える」

唐突な質問だな。
揺れる炎をじっと見つめているアレン。
普段は見る事の出来ないその目の奥で何を考えているんだろうか。
彼の声色は凄く落ち着いていて、低音の響き具合が渋い。
顔の大部分を覆う兜のせいでアレルの表情は確認しずらいが、
涼しめの細目は光を失ってはいないし、表情にも余裕が見受けられる。
青年時代の快活さが身を潜め、自分というものをよく知った大人の男という感じだろうか。
そしてそれに満足している。

  「満足、か。そうだな」

アレルはこの世界で目覚めた時からずっと孤独な旅をしていたらしい。
助けてくれる仲間もおらず、状況も理解出来ない。
ただ多くの見知らぬモンスター達を相手にしながら彷徨い続けていたのだと言う。
何と言う精神力だろう。強い人だ。
けれど私と話しているにも関わらず、
アレルの関心はどこか違うところにあるような気がした。
そう思ったのは何となくだけれど、悲しい気持ちになった。

薄暗い森の中を進んでいた。
歩き続けてもう何日が過ぎたのだろう。
いつ襲ってくるとも知れないモンスター達を警戒しながら足を運ぶ。

しかしそれも機械的に足を動かしているだけで、
何かのきっかけさえあれば止まってしまうような足取りだった。
言わば携帯の電池が残り一つの状態。
充電する事を許されないままに、しかし使用する事も止められない。
私達は疲れていた。

町だな……
じゃあ調達に行ってくるよ。

  「あぁ、頼んだぜ。あったかいもんが食いてぇ」

アレンの言葉を背に
呪われた彼らは町に入ることを自分達から自粛すると決めた。
必然的に私が買い出しに行く役目となる。
戦闘であまり役に立てない私が唯一皆に出来る恩返し。
せめて呪文が使えれば良いのだが、まだ私は使えない。
すみません。おいくらですか?

  「……」

声を掛けるとあからさまに嫌な顔をされてしまった。
あの……

  「……やるよ」

いや、そういう訳には。お金ならきちんとあります。

  「そんなお金なんていらないよ!! これもこれもやるから早く出てっておくれ!!」

店主のただ事ではない剣幕に押されて私は通りへと飛び出す。
振り返ると店主が素早く扉を閉めて鍵をかけるのが分かった。
何、だ……?

  「おい! 何してる!!」

町の警護をしているらしき者が近づいてきた。
私は何もしていない。ただ買い物を――
そんな抗議を聞く耳持たず、男は私の腕をがっちりと掴んで無理矢理に引っ張った。
何をする……! 放してくれ、私は何もやってない!

聞く耳持たず、ズルズルと引きずるようにして町の入り口へと連れて行かれ、
私はそのまま外へと突き飛ばされた。
そして起き上がる前に頭から液体をかけられた。
思わず男を睨む。
何をするんだ!!

  「うるさい黙れ! 呪われてる分際で入ってきやがって!!」

な……に……?

  「こんな世界になっちまったんだ! これ以上厄介事増やすんじゃねぇよ!」

男は瓶を私に投げ付け、町中へと帰って行った。
瓶は聖水を入れる一般的なものだった。
私が呪われてるだって?
そんな馬鹿な事があるものか……
私は、元の世界に帰りたいだけ、なんだ……

  「しなのさん! どうしたんですか!」

あぁ……でもちゃんと食料は頂いてきたよ。

拭けよ、とアレフがタオルを差し出してくれる。
うん、大丈夫だ……

  「一体何が……」

……私も、呪われてしまったみたいだ……

  「そんなまさか……しなのさんにはルビスの加護がないから……?」
  「呪いは呪いを呼ぶ」
  「アレル、何でそれを知ってんだ?!」
  「そんな事より急ぎましょう! 勇者の泉に行けば――」

呪われていると言われ、意識したからだろうか。
私の頭の中に何かが重くのしかかっている感覚がし始める。
寝て起きればスッキリすると分かっているあの疲れようとは違う。
その得体も知れないものが私の足をひざまつかせようとしている。
少しでも力を加えれば倒れてしまうだろう。

  「――!! ――!!」

アレンが肩を貸してくれて、私を励ましてくれている。
大丈夫……大丈夫だ……
何とか返事をしようとするが、もはや声が出ているのかも分からない。
息するのが辛いし、体を動かすと神経から痛みが響いてくる。

気持ち悪い……頭痛が痛い……
私は失恋したあの時を思い出していた。
酔えない酒をあおり、悲しみを消そうとしたあの日。
流れる涙、締め付けられる心。
後悔の固まり、私を苦しめる記憶。
そういうものに引き込まれるように私はブラックアウト。
だんだんとアレンの声も聞こえなくなっていった。

○第十一話
   『3人寄ればももんじゃの知恵とか何とか』

  「お、ようやく姫様のお目覚めだな。
   三日も寝てたんだぞ。
   ほら、水飲めよ。
   気分はどうだ? 落ち着いたか?

   うん、ってお前声出てねーぞ。
   あーって言ってみ? あーって。
   ん~やっぱり出ねぇな。
   ま、いっか。

   そんな事よりメシ作ってやったぜ。
   食え~。
   何ぃ? 食べたくないだぁ?
   いーや駄目だ。
   これ食って良くなって、早く出発するんだからよ。
   何たって俺らはパーティーだからな~4人で一組!!
   まぁ俺も休めたから調度良かったけどな。

   ん? あぁ、ここは教会。
   ったく、急に倒れやがってよ。
   アレンも大変そうだったなー。
   重そうだったしな~。
   お、何だ怒ってんのか?
   可愛いヤツだな。
   頭撫でてやるよ」

  「うわっ何だ! 凄い熱じゃねーか。
   それで寒いのか?
   メラしてやろうか?
   止めろってか。
   じゃあ取り合えずマント掛けといてやるよ。

   あ、そうそう、良い情報があんだ。
   勇者の泉な、もう少し行った所にあるんだってよ。
   今度は間違いなさそうだ。
   この教会は色んな旅人が泊まるらしくってよ。
   だからもう明日には楽になってるはずだから、頑張れよ。
   それにお前まだ呪文使えるようになってねぇからなぁ。
   元気になったらすぐ練習開始だからな。

   何つーかさ、俺は理論なんて難しい事は分かんねぇけどよ、
   何か思う事があるなら外に出した方がいいぞ?
   自分に素直になって生きねーと呪文は使えねぇからなぁ。
   ……昔、俺も無理してた時があってよ。
   人の為、国の為、世界の為ーってさ。
   あんときゃあ悩んだぜ。
   似合わないとか言うなよ。
   自分で言ってて恥ずかしいわ。

   また呪文使えなくなんのは困っからな。
   俺は正直に生きるぜ。
   だからしなのも正直にな。
   どーもお前は溜め込むタイプに見えるし。
   あぁ、長話したな、すまん。
   顔が赤いな。
   何? 水?
   よしじゃあ取ってくっからよ、ちょっと待ってろや」

  「入るぞ。水を持って来た。
   アレン? 食事しに行ったよ。
   まぁそう怒ってやるな。
   君の食事を作って腹が空いたんだろう。
   さ、飲めるか?
   久し振りの美味しい水だ。
   ゆっくり、少しずつ飲んでくれ。

   すまなかったな。
   私のせいで君にまで迷惑をかけてしまった。
   ルビスの加護を受けていれば呪いもそこまで苦しくはならないんだがな……
   3人の呪いによる影響がこんなに強いとは思わなかったよ。

   いつかこうなると言われた……?
   そうか、君も覚悟はしていたんだな。
   今しばらくは苦しいかもしれんが、明日までの辛抱だ。

   ん、用という程でもないが……
   見舞いついでに髪を切ってやろうと思ってな。
   長いと寝る時邪魔だろう。
   ん、安心してくれ。
   はさみの扱いには慣れている。

   ……
   ……
   ……何か話せ、か?
   そう言われてもな……
   ……
   ……そうだな」

  「髪を切るのと体に傷がつくのは似ている、といつか仲間が言っていた。
   不思議な事を言う奴だと私は思ったよ。
   髪に神経は無いのだから切られても痛くないはず。

   何故だと私が問うと彼女は、
   痛くない代わりに私の心が切られてる感じがするからイヤだと答えた。
   月日を重ねて伸ばしてきた自分の決意や思いが無くなってしまう気がするらしい。
   とても悲しそうな表情で言うものだから、
   切るのを止めようか? と言ったら怒られたよ。

   何となく分かる、か……?
   私には今でもさっぱり分からない。
   でも切り終えた後に鏡を見せると急にニコニコし始めてな。
   髪を切られるのは悲しいけど、短くなったらまた新しい自分になれるから嬉しい。
   その新しい髪形が自分に似合っていたらもっと嬉しいと喜んでいたよ。
   変な奴だろう?
   今でも彼女の気持ちは理解出来ない。

   好きなのかって……?
   そういうのとは違うな。
   彼女は仲間だ。
   彼女だけ特別視する事はない。
   単に思い出しただけさ。
   でも……
   もし君もそういう気持ちになるなら、私に分かるように教えてくれたら嬉しい。

   よし、終わりだ。
   今鏡を持って来よう」

  「しなのさん、鏡ですよーってどうしたんですか?!
   あぁ、アレルさんがですか。
   え? そうですね……
   正直、似合いません。
   しなのさんはロングのイメージなんですよね~何か。
   見ます? 鏡です。
   でもスッキリしましたね。

   それでですね、しなのさん……
   せっかく首筋が涼しくなったようなのでこれでも付けてみてください。
   スライムピアス、
   いつかしなのさんが気に入っていたモンスターのアクセサリーです。
   僕からのプレゼントです。
   うん、これは可愛いです、似合ってます。
   え、どうしてかって?
   ……
   ……

   しなのさんは、帰りたいですか?
   元の世界に帰りたいですか?
   僕と一緒に、ずっと一緒にいませんか?
   しなのさんの世界のことを知らない僕に、
   僕の世界の方が良いだなんて言えませんけど……
   けど、誰よりもしなのさんの事を好きでいられるとは言えます。

   しなのさん、僕はしなのさんが好きです。
   最初に会ったその時から。
   今もドキドキしています。
   これからもきっと。
   だから……
   だから僕と一緒にいてください」

  「……
   ……僕らしくない、ですか?
   そうですね、自分でも少し、そう思います。
   実は……
   石版をある神殿に持って行くと元の世界に帰れるという噂があるんです。

   この教会を訪れる人はなかなかに多いらしいのですが、
   石版のありかを知らないか、というような感じで、
   皆こぞって石版の話をして去って行くそうです。

   その噂が本当なのかどうかわかりませんが、
   何の繋がりもない人達がこうも同じ話題を語るというのはおかしいと、
   ここの神父様が仰ってました。
   僕らが彷徨っている間にその噂は広まったんでしょうか。

   でも、その噂が本当なら、
   しなのさんはしなのさんの世界に帰れます。
   勇者の泉へ行って呪いを解いた後、
   この世界異変の原因を突き止める旅に出ようと2人は言ってましたが、
   しなのさんがその石版を必要とするなら僕はしなのさんを手伝いたいと思ってます。

   でも正直僕は嫌な仕事が待っている世界にしなのさんを帰したくはありません。
   だから今僕は僕らしくないんでしょうね。
   こうやって焦ってしまうくらい、僕はあなたが好きなんです。
   その髪形が似合ってる事でアレルさんに嫉妬してしまうくらいに、好きです。

   こんな時に色々と言ってしまってすみません……
   もう行きますね。
   おやすみなさい、しなのさん」



○第十二話
   『気持ち』

ひんやりとした空気が少しずつ私達の体を包んでいく。
吐く息が白いのだから洞窟の中には寒い空気が蔓延しているはず。
実際アレフ達は時折体を擦り、体温を保とうとしていた。

しかし私自身は洞窟が寒いと思わなかったし、自分の肌に触れても熱いとは思わなかった。
通常の体温としては熱を持ちすぎているとアレン達は言うのだが、
呪いのせいで感覚が狂っているのかもしれない。
まぁ感覚も何も既に私には痛み以外はよく分からなくなってるようだったが。
そのうち思考するだけで頭が悲鳴を上げだすかもしれない。

三日間も気を失った上に、ようやく辿り着いた教会でベッドを使わせてもらった私。
けど少しも体調が良くなるという事はなく、むしろ体の不調は増していくばかりだった。
動かせば動かす程にボロボロと崩れ落ちていく砂の体。
すっかり弱ってしまった私にはそんな表現がぴったりだと思う。

しかし聖水によってその身を固めて形を保つ事ももはや出来ない。
その程度の応急処置では返って私の中の呪いが過剰反応を起こし、
返って辛さが増すだけだからだ。

呪いを解く為にはこの洞窟にある勇者の泉で清めてもらわなくてはいけないらしい。
しかしこんなにも呪われたパーティーはきっとここだけだろうな。
そんな私達を快く受け入れてくれた神父には感謝してもしきれない。
喋る事の出来ない今の私にそれをきちんと伝える事は出来なかったが。

私が話せないのとは別に旅の疲れも溜まってか沈黙が多くなっていた私達だが、
いつしか四人の息遣いだけがお互いのコミュニケーションになっていた。

痛みはあるか?  何か見つけた。
水が飲みたい。   休憩しようか?

そんな風な会話を言葉を交わさずに成していく。
それが成り立つのは幾らかの時間を共にしてきたからだが、
そこにある種の安堵感を見出していたのは私だけではないと思う。
苦しい時に頼れるものがあるのは嬉しい事だ。

アレンとアレフとアレル。
私と同じように呪われた身でありながら魔を退け続ける強き者達。
私の心が砂漠のように枯れてしまわなかったのは彼らのおかげだと思う。
彼らと出会わなければこのような苦しい状況になる事はなかったのだろう。
でもその代わりに私はどこにも行けず、ただモンスターに食われていたに違いない。
そして何よりこの辛く楽しい旅を経験する事も出来なかったはずだ。
だから彼らには感謝している。

もしこの三人が兄弟なら、アレルが兄、アレンが次男、アレフが三男という感じだろうな。
問題は名前が似過ぎて覚えづらい事か。
あとはアレルもアレンやアレフと同じように勇者だったら完璧だったのになぁ。
呪いを解いた後に世界異変の原因を突き止めようとしている三人だ。
勇者だらけのパーティーなんて強そうだし、何でも解決できそうな気がする。
まぁアレルが勇者でなくても、それだけの力が彼にはあると思う。

世界異変の原因、それが分かれば私も元の世界に帰れるのだろうか。
けどそれを待つまでもなく、ある石版があれば元の世界に帰れるという噂もある。
正確には、石版を神殿に持っていく事で願いが叶うという事みたいだが。
もっとも石版や神殿がどんな物でどこにあるのか全く分からないし、
その噂自体が本当に信じていいものなのかも判断しかねる。
嘘を付く事を許されない教会で訪れる者皆がみんなその話をすると言うのが
噂の信憑性を高めているとアレンは言っていたような気がする。
そこに望みを託してみるかどうかは考慮しなくてはいけないな。

しかしそういった問題に平行して私を悩ますもう一つの問題があった。
今肩を貸してくれているアレンの事だ。
彼は出会った時から私を良く思ってくれていたようだが、
昨日初めてしっかりと好きだと聞かされた。
それを問題だと認識しているのは、
彼に対しての自分の気持ちがどういうものか分からないからだと思う。

決して嫌いな訳ではない。
だからアレンの告白は、嬉しかった。
好き、なんだろうな。
でもどのように好きなのかが分からなかった。
だからアレンの告白にどう答えればいいのか分からなかった。
アレン……私は君を利用しているだけなのかもしれないんだよ……


  「よくぞここまで辿り着きました」

水の上に立つという事が奇跡であるならば、
私は今それを目の当たりにしている事になる。
洞窟の一番奥までたどり着くとそこには泉があり、
人とは思えない程に端正な造形をした女性がその上に浮かんでいた。
水面は微かに揺れ、波紋が絶えず綺麗な円模様を描いている。
その紋様を崩さないように浮かぶ女性は目を閉じたまま無表情に佇んでいる。
何とも不思議な雰囲気を醸し出しているその姿を見るだけで、
彼女が精霊であると信じてしまえた。

  「アンタがここの主って訳か。
   んじゃあさっさと呪いを清めてくれや」

疲れているとはいえ、アレフが何とも失礼な言葉使いで頼む。
例え相手が神様であったとしてもこの態度は変わらないんだろうな。
しかしようやく呪いから開放されるという希望はすぐには叶わなかった。

  「あなた達が真に勇気ある者ならば、その証を今ここに示して下さい。
   さすればその呪いも解かしてみせましょう」

そう言うやいなや、精霊がその腕を横に軽く振る。
すると反論する暇も与えられない間にアレン達の前に靄のようなものが吹き出し、
そこからモンスターが出現して襲ってきた。

   「――!!」

さすがの反射神経で彼らはモンスターの攻撃を受け流し、三匹のモンスターと対峙した。

  「何なんだよっ!」
  「……ソードイド、サラマンダー、マントゴーアか」

骸骨に、龍に、ライオンの形をした怪物達。
六本の腕がある骸骨、ソードイドがかぶっている兜はアレルの不幸の兜と同じもので、
その中から骨むき出しの顔と不気味な目を輝かせている。
青いたてがみに緑の体をしたライオン、マントゴーアは羽を持っており、
振っている尻尾はアレンが装備している悪魔のしっぽと同じ形だった。
とすればアレフの呪いのベルトはあのサラマンダーに関係しているのだろうか。

  「呪いの具現化、か」
  「はっ、龍の皮で作ったベルトって訳だな」

アレルの言葉から推測した事実にアレフがニヤリと楽しそうに笑う。
つまり皆の呪いがモンスターの形をして襲って来たのだろう、という仮説。

  「倒して呪いに打ち勝てって言いてぇのかよ!」

怒りを込めて吠え、サラマンダーに向かって斬り付けるアレフ。
硬い印象の龍の鱗に見事傷をつける事に成功する。
同じようにしてアレンとアレルも電光石火の一撃をモンスター達に食らわせていた。

  「弱い弱い!」

得意気に、そして勝利を確信したかのように言い張るアレフ。
しかし彼らが傷つけた箇所は蜃気楼のように霞んだ後、
幻から覚めた時のように元通りになっていた。
見ている限り回復呪文は使っていないはずだった。

多少驚愕しつつ再度攻撃を試みるが、敵の傷がまた勝手に癒えてしまう。
三人の巧みな剣術は多大な結果を伴ってはいるのだが、
何故かその結果自体が消え去って最終的には振り出しに戻ってしまっている。
いや向こうの攻撃はこちらに通るし、攻撃するにしても疲れが発生するのだから、
振り出しに戻るのは常にモンスター側の方だけで、
こちらは後退しているような反則的な状況だ。

威厳を見せ付けるように唸り、火を吐くサラマンダー。
その激しい炎をかわしながら再び攻撃に転じようとするアレフ。
しかし急に彼の動きが鈍り、避けきれなかった炎に足を焼かれてしまう。
そしてベホイミを唱えようとする前にサラマンダーはその牙でアレンに噛み付いた。

  「チッ!」

アレンと対峙するマントゴーアは威嚇するようにして口を大きく開け、
そこから巨大な火の塊、メラゾーマを唱えた。
その威力がいくら大きくても真っ直ぐ飛んでくるものを避けない理由はない。
アレンはメラゾーマを飛び越してマントゴーアにカウンターを狙う。

だがマントゴーアの顔に斬りかかろうとした瞬間、
背後からメラゾーマがアレンの体を直撃した。
確かに避けたはず、という思考はマントゴーアの二撃目の中に消えた。

  「そんな……」

そしてアレルと対峙するのは六つの剣を怪しく動かしているソードイド。
六対一と数の上では負けているがアレルの方が逆に押している形だ。
しかし決め手の一発がどうやっても外れてしまい、
体勢を立て直そうとしたところを何度も斬りつけられてしまう。

不幸としか言いようがないアレルの運の無さ。
そう言えばアレルの呪いは不幸の兜によるものだった。
呪いの具現化と先ほどアレルが言っていたのが関係あるのだろうか。
考えようとしてもアレルの腕に剣が刺さるのを見れば頭が真っ白になる。

  「くっ……!」

血が流れ、傷跡を炎が焦がしていく。
衣服と人と土の焼ける臭いが鼻を突き刺した。
これでは勝てない……
そう思い始めた時、精霊は再び語りだした。



○第十三話
   『勇者ってなぁに?』

  「あなた達の勇気、こんなものですか」

さも残念そうにして言葉を紡ぐ精霊。
アレン達がモンスターを倒せない事を本気で嘆いているように思えた。

  「僕達の勇気が、足りないと言いたいんですか……」
  「いいえ、この戦いであなた達に勇気などない、と証明されたのです。
   勇気とは何ぞや? それは絶望への糧でしかない。
   少なくともそういう答えしか用意出来ないのであれば、
   いくらその問いに理性で反論しようとも無意味です」
  「なら用意して突きつけてやるよ!!」
  「ベホマズン!!」

アレフがいきり立ち、アレルが両手を天に掲げて呪文を唱える。
すると私達の体を光が包み込み、その傷を完全に癒していった。
メラゾーマの火傷を、魔の牙にえぐられた咬創を、六本の剣による切創を。
その全てを完璧に復元した勇者達は魔物に三度戦いを挑む。

まずアレフがマホトーンでマントゴーアの呪文を封じ、
ラリホーでソードイドを眠らせる。
次いでアレンが会心の一撃でサラマンダーの首をはね、
ソードイドの腕を切り落とし、マントゴーアの翼を引き千切る。
最後にアレルがありったけの魔法力を込めたギガデインを放った。

動きの鈍いアレフは後方支援、
敵の呪文の心配が無くなったアレンが直接攻撃、
そして攻撃の当たらないアレルは呪文による全体攻撃という
時間にして十秒にも満たない素晴らしいコンビネーション攻撃。
見ていただけの私にも感じ取れるくらいに三人には手ごたえがあった。

  「グググ……」

それなのに、モンスター達は無傷の姿で土煙の中から現れてきた。
あの凄まじい攻撃を受けてなお無傷。
心が折れる音が聞こえた気がした。

  「呪いのベルトは体を締め付ける鎖。
   悪魔のしっぽは無条件で呪文を受け入れる磔。
   不幸の兜は悪運を呼び込む器。
   それらを背負いし弱き勇者達よ、いや愚か者達よ。
   あなた達の心を私が食ろうてやろう」

発せられた言葉と共に精霊を包んでいた不思議な雰囲気の色が変わる。
彼女の雰囲気は神聖さを感じさせるものだと思っていたが、
今思えばそれは神聖さとは真逆な邪悪さだと気付いた。

彼女の顔が醜く崩れ、とうとう本性を現したというところだろうか。
女の本性は怖いというが、女の私でも怖く感じる程に精霊はおぞましかった。
いや、もう精霊と呼ぶより悪魔と呼ぶべきだろう。
ストレートだった髪が今や乱れに乱れ、眼つきは鋭く口からは牙が見え始めた。
水面が落ち着き無く波立っていた。

  「さてさて、ロトの血肉はどんな味がするのかのう」

舌なめずりをする悪魔の顔は紅潮し恍惚としていた。
このままではアレン達が……
しかし私は呪いで動く事も出来ない。
いや、それが出来たところで私に何が出来るというのか。
結局呪文も使えるようにはならなかったし、
勇者に勝てない怪物達に私が対抗出来るとは到底思えない。
呪いを解く希望の地であったこの場所で旅は終わりか。
そんな思いが私の頭をもたげた。

その時、微かな金属音を耳が捉えた。
アレンに貰ったスライムのアクセサリーだ。
そのピアスに意識が及ぶと、教会でアレン達が見舞いに来てくれた事が思い出された。

素直になれと言ってくれたアレフ。
君の真っ直ぐさを全部真似する事は出来ない。
けど私の持っている問題を解決するには素直になるのが一番なんだろう。
切羽詰った今なら出来そうな気がする。
いや、あの時のようにまた後悔するよりは素直になった方がいいと教えてくれたんだな。

髪を切って私の気持ちを後押ししようとしてくれたアレル。
アレルと同じように強い精神を持つ事は私には出来ない。
けどアレルの話してくれた女性のように私は変われるだろうか。
いや、変わってみせようか。
無口なあなたは私の心を軽くし、変われると教えてくれた。

そして好きだと言ってくれたアレン。
君の隣はとても居心地が良いと私は感じている。
この何も分からない世界で私の居場所を作ってくれた君の優しさに
思わず甘えてしまうくらいに私は君に心を許しているみたいだ。
だから君には一番死んでもらいたくない。
だから私は勇気を出すよ。

私に出来るのは、私の気持ちを伝える事。
私の気持ちをアレン達に伝える事――

  「アレン! アレフ! アレル! 頑張れ! 負けるな!!」

声が、出た。

そしてアレン達の体に小さな光が降り注ぐ。
私が唱えた回復呪文だ。
数字にすれば10も回復したかどうか分からない程の効果だろう。
アレルのベホマズンには到底及ばない。
だけど、しっかりと私の光は彼らに届いたんだ。

  「な、なにぃ?!」

うろたえる悪魔をよそにアレン達はしっかりと立ち上がる。
呪いが呪いを呼ぶなら、勇気は他人へと伝播する。
そして元々持ち合わせていた勇気と合わさりさらに大きな勇気を生む。
私の勇気と彼らの勇気が溢れ出す。

  「これは……」
  「よっしゃぁ! ナイスしなのっ!!」
  「行きますよっ!」

アレン達は剣を交差するように掲げ、同時に振り下ろす。
その切っ先から放たれた聖なる光がモンスター共々悪魔を飲み込んだ。
まばゆいけれど、暖かい光が呪いを打ち消していった。
悪魔の断末魔さえもその光が包み込んでしまった。
勇気ある者達の勝利だった。

  「勝った、のか……」
  「ざまーみろ! てめーら何かに負けるかっての!!」
  「やりましたね、しなのさん!」

あぁと言おうとした時、聖なる光が消えていきその中から何かが地面に落ちた。
拾い上げるとジグソーパズルのピースのようにいびつな形をした石の板。
これは……

それが何なのかを調べようとした時、澄んだ綺麗な声と共にまたもや女性が現れた。

  「ふぅ……ようやく出れました……
   ……あぁ、そう構えないで下さい。
   私は本物の精霊です。
   迂闊にもあのモンスターに閉じ込められてしまったのです」

彼女はあの悪魔と同じように泉に立っていたが、以前のように水面に波紋は現れず、
泉はまるで鏡になったかのようにぴたりと動きを止めていた。

  「信じられないのなら、呪いを解いてみせましょうか?」
  「チッ! もう遅ぇんだよ……」

精霊は私達が自分の力で呪いを解いた事を分かった上でそんな事を言ったのだ。
先ほどの悪魔よりは好感が持てた。

  「ありがとうございます。
   人間にお礼を言うのは久方振りで少し恥ずかしいですが……」

こんな風に顔を赤められてはこちらが困ってしまうな。
可愛い精霊だ。

  「礼なんかいいから何かくれよ」
  「そうですね……では何か希望はありますか?」
  「……しなの」

え? わ、私か?

  「そうだな、今日のMVPはお前だ!」
  「僕もそれに賛成です」

ありがとう。それじゃあ――

○第十四話
    『さよなら、ばいばい』

  「ではでは、乾杯!」
  「イエー!!」
  「乾杯」

乾杯!
その声をかき消すようにグラスを叩き合う。
晴れて呪いから開放された私達は、いの一番に飲み屋へと直行して祝杯を上げた。
アレフのテンションはいつもに増して高く、ビールを一気飲みしてしまった。
けれどアレンやアレフもまた嬉しそうにグビグビと酒を飲み干す。
久し振りの人間らしい食事と飲み物にありつけた事もそうだが、
やはり苦難を乗り越えた後というのは達成感でいっぱいになる。
それはグラス一杯では到底満たせるものではない。
だから今日はたくさんたくさん注いでやろう。
酒の席を共にしようという約束がようやく果たされた訳だしな。

  「いや~それにしても楽勝だったな! 一発で消し飛んでやんの」

戦いに勝ったから言える台詞だとツッコミを入れる者はいない。
酒の力も手伝ってか、そんな冗談が心地良い程に私達の気分は高揚していた。

  「あそこで君が呪文を使うとは思わなかったよ」
  「そうそうそれそれ! よくやったぞしなの!
   やっぱ俺の指導が良かったんだな!」

まったくその通りだな、ありがとうアレフ。
と、おだてるように言うとアレフはうんうんと満足そうに頷いた。
ホントに面白いヤツだ。

いやしかしアレルの呪文には到底適わないよ。
あれは凄かった……

  「そりゃそうだろー、何たって伝説の勇者ロトの称号を持つお方だぜ?
   ベホマズンにギガデインの二連発だなんて俺でも適わねぇよ」

え?! アレルが勇者?!
アレルに目をやるが、黙って酒を飲むだけで否定しなかった。

  「そうですよ、しなのさん知らなかったんですか?」

……誰もそんな事言ってくれなかったじゃないか。
そうやって拗ねてみせると三人に笑われてしまった。
しかしその割にはタメ口で話すんだな。
とても敬ってるようには見えないが。

  「まぁ同じ勇者としてそういうのはあんまり好きじゃないって分かってるからなぁ」
  「血の繋がった親子関係にあるのに、どういう訳か歳も離れていないようですしね」
  「私としては孫の孫が目の前にいるというのはとても不思議に思うよ」

そんな風にして目を細めるアレル。
伝説の勇者か、どうりで強い訳だ。
しかし勇者だらけのパーティーに私が入っていたなんてな。
場違いにも程があると今更ながら思ってしまった。

  「しかしなぁ、もうしなのとはお別れか」

時が経ち、馬鹿騒ぎも落ち着いたところでそんな話になった。
あの悪魔が落としていった石版は、例の噂の石版のようだった。
この石版を神殿に持って行きさえすれば願いが叶うという。
その神殿がある場所は精霊さんに教えてもらった。
それはつまり私は私の世界に帰る事にした、という事だ。

  「けどその噂、本当なのか?」

ん……まぁその真偽を確かめる為にも神殿に行ってみたいと思う。
そう遠くはないしな。

  「そっかそっか、んじゃあ明日キメラの翼を山ほど買ってやるよ。
   それがあればまた会えるだろ」
  「キメラの翼で世界を行き来できる訳ないでしょう」
  「そうなのか? じゃあしなのがルーラを覚えてだな」

もう二度と訪れない四人の夜が更けていった。



宿屋への帰り道。
アレフとアレルは疲れたと言って先に帰ってしまった。
だから今はアレンと二人きりだ。
彼の手を取ってみる。

  「……しなのさん、酔ったんですか?」

うぅん、私はそうそう酔わないよ。

  「でも顔が赤いですよ」

そうか、それは誰かに見られたらマズいな。
隠さないと。
そんな事を言ってアレンに身を寄せた。

  「そうやって心の中も隠しちゃうんですか?」

それはきっと返事を聞きたいって事なんだろうな。

……アレン。
君は世界を救った後、やがて一国を担う者となるんだろう?
妃として私は到底相応しくないはずさ。

  「そういう逃げ方はズルいです」

当然本心ではないのだからアレンは納得しない。
でも結果としては君の手から逃げるんだから同じだろう?
そんな風に返してしまうのは、まだもう少しでも一緒にいたいからか。
アレンが納得しない限りは側にいれるのだから。

  「他の人のところへ帰るんですね」

背中に手を回して逃げれないように捕まえられてしまった。
それで言葉遊びは終わりだと感じる。
だからその胸に顔をうずめた。

  「しなのさん……」

アレン、私も好きだよ。
でも君とは一緒に行けない。
やり残した事があるんだ。
だから、帰るよ。

  「しな――」

何か言いかけたアレンの口を塞いだ。

  「……」

私のファーストキス。
受け取ってくれたかな。

  「……やっぱりしなのさんはズルいです」

アレンの話を遮ったからか、一緒にいる事を断られたからか、
それとも明らかな嘘をつかれたからか、アレンが寂しそうに目を閉じる。

勇者でも女がズルい生き物だって事は知らないんだな。
私が茶化して言うと、そのセリフには少しだけ笑ってくれた。
しかしな……本気にはしてくれなかったか。
残念だな。

  「元の世界に帰ったら、たまに僕の事を思い出して下さいね。
   僕もそうします」

あぁ、分かったよ。
そう言って彼の体温をいつまでも忘れないように確かめた後、
私はアレンの腕からするりと抜け出した。
ありがとう。
さよなら、ばいばい。


――最終章へ――

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