目の前に広がる光景をどう理解したものか。

…と、言っても薄暗くカビ臭い部屋…波の音が聞こえるから船の中なのだろうか?
体を動かす事すらままならない今の俺にはその狭い部屋の一部しか見えないのだが、
なんとか周囲に目をやると、なんとも暗~い表情の人が十余名。
老若男女分け隔てなくそれぞれ後ろ手に腕を縛られ、両足首も拘束された状態で
ここに押し込められている。当然、俺の体も同じように拘束されている。
まぁとにかく俺は今そんな所にいるわけだ。

昨日の記憶を思い返してみてもこの状況に繋がる要素は全くなし。
いつも通り大学に向かう電車の中で一眠り。
そして目が覚めたらこの光景。

ふむ、これはひょっとすると北の国の『アレ』に巻き込まれたかね?
もしくは俺の新鮮な『中身』を移植用に切り売りされるのかね?
はたまたどこかの無人島に投げ出されて『殺し合い』でもさせられたり?
ハハハ…ファンタスティック。

「…って、落ち着いてる場合じゃねえ!」

そうだ、これは明らかにヤバイ。
平和ボケした日本人の俺でも生命の危機をビンビンに感じる。
何とかしないと…
そうだ、まずは今の状況の把握だ。
横で同じように拘束されている男に声をかけてみる。

「おい、あんた。教えてくれ。ここは一体どこなんだ?」
我ながらマヌケな質問だと心の中で自嘲する。
しかし今はなりふり構っていられない。
男は一度こちらに顔を向けるとすぐに目線を元に戻して語りだした。
「…わからない…一体何が…行商の旅の途中にモンスターに襲われて意識を失って…」

ダメだこいつは…
モンスターだなんて完全に錯乱している。
恐らく屈強な悪の組織(仮定)の連中に襲われたショックでアヒャになっているのだろう。
だいたい科学の発達した近代世界にモンスターだなんてドラクエじゃあるまいs…
ガチャ…ガチャリ

不意に扉の方から金属音がした。
反射的にそちらに目をやった先には
悪の組織にふさわしい覆面で顔を隠した人影(両手は大蛇)に
その周囲をふよふよ飛び回る顔が多数付いた球体。

どう見てもモンスターです。本当に(ry

「…って、落ち着いてる場合じゃねえ!モンスターだあ!!」

錯乱なんかじゃない。現実だ。
部屋の中のあちこちでキャーとかウワーとか悲鳴が上がる。
かく言う俺も腹の底から絶叫したわけだが…

「チッ…暴れられて傷物にでもしちまったら厄介だな…エビルスピリッツ!」
低い声で覆面が言い放つと、浮遊していた球体が前に進み出た。
瞬間、鼻腔をくすぐる甘い香りに包まれて俺の意識は再びまどろみに消えていった…

……き……ろ………きろ…

心地良い眠りを妨げる雑音は俺の大嫌いなモノの一つだ。
強制的に眠りを覚まされた直後の俺はハッキリ言ってとても機嫌が悪い。
単に『寝起きが悪い』のだが、その性質が災いして目覚まし時計を何度投げ壊したか…
まあ最近では体が学習して、設定した時刻の数秒前に自然と目が覚めるようになった。
これも人体の神秘…そもそも睡眠とは生命の維持にとって不可欠な脳の休息であり…

「起きろ!」

――目が覚めた。
自分でも驚くくらいにパッチリと目が覚めた。
何が起こったのかすぐには理解できなかったが、次の瞬間には体で理解できた。
ヒュッという風きり音に続けてバシィッという乾いた音。
背中の一部が一瞬冷たくなり、一瞬遅れて灼熱したような痛みが走る。

「新入りの分際でいつまで寝てやがる!」

ピエロのような格好をした男が叫びながら手に持った鞭を振るう。
その度に俺の体が乾いた音をあげ灼熱する。

「…ってぇ…いきなり何をする!」
突然理不尽な仕打ちを受ければ、いくら温厚な日本人の俺でもキレる。
だが、怒りに任せて掴みかかった俺の突進は次の鞭の一撃で止められる。
ボロボロの服から露出している胸元に鞭を受け、俺はたまらず倒れこむ。
俺のお気に入りの白いライダーズブルゾンがいつの間にか子汚いボロの服に変わっているショックも忘れるくらいの衝撃。

…ゴメン、忘れられないや…

…って、服を気にしてる場合じゃねぇ!

さらに倒れた俺に二度三度と鞭が振るわれる。
痛え…シャレになんねえ…

「威勢がいいじゃねえか…だがなぁ、逆らうヤツはここではこうなるんだ!
 俺様が直々にその体に教訓を叩き込んでやる!!」

四度五度六度…数えるのも嫌になるくらい同じ音を聞き、同じ痛みに襲われる。
生まれて初めて味わう激痛に俺はただうずくまるしかできない。



何分…何十分こうして鞭で打たれているんだろう…
相変わらず鞭が振るわれる乾いた音と半狂乱なピエロ男の声が聞こえているが、
目の前がチカチカしていたのはおさまっている…
むしろ目の前が暗くなってきた…まるで睡眠に入る直前の思考回路のようだな…

「そのくらいにしておいたらどうだ?」
背後から男の声が聞こえ、うるさく響いていた鞭の音が止んだ。
もう視覚も聴覚もグチャグチャだったが、彼の声はなぜか透き通って聞こえた。
「それ以上やったらその人は死んでしまうぞ。」

  死

…あぁ…死なんて実感した事がなかったなぁ…そうかこれが…


  死?


…嫌だ…


   死にたくない!!

飛び起きた俺の全身を痛みが走り、俺はその場にへたり込んだ。
それでも痛みを堪えて声のほうに目を向けると、ピエロ男に向かい合う二人の男の姿。
片方は紫の布(ターバンっていうのかアレ?)を頭に巻いた男。
恐らく彼がピエロ男を止めてくれたのだろう。

「なんだ?またお前か。いつまでも反抗的なヤツだ。」
ピエロ男が忌々しげに舌打ちをする。

「お前は何度痛い目を見ても懲りないらしいな。」
ピエロ男が鞭をしならせ、バシィッと地面を打ち鳴らす。
ヤツの照準は完全に俺からターバンの男に替わったらしい。

…助かった…けど、このままだとあの男が…

「まあまあ二人とも落ち着いて。」

険悪な雰囲気の二人の間に、ターバンの男と一緒にいた緑の髪の男が口を挟んだ。

「いつもすみませんね。本当にコイツは反抗的で、俺からも言って聞かせますので。」

…え?俺見捨てられた?…死亡フラグってヤツですか?

「でも、コイツの言うとおりそれ以上やったらその人たぶん死んじゃいますよ。
 今は神殿の完成が最優先ですよね?人手を減らすのはマズいんじゃないですか?」
緑髪がニコニコと愛想笑いをしながらピエロ男に語りかける。
その少し後ではターバンの男がピエロ男を睨みつけている。


数秒の沈黙を破ったのはピエロ男だった。


「ふん。気に食わんがお前の言うとおりだ。今人手を減らすのは得策ではないな。
 今日はこれで勘弁してやるが、お前はその二人にしっかり言い聞かせておけ。
 次に歯向かうような事があったらその時は容赦しないからな。」

ドスドスと乱暴な足音を立ててピエロ男が去っていった。
ターバンの男と緑髪は安堵した表情で顔を見合わせている。

…本当に助かったのか?

ボンヤリしている俺にターバンの男が声をかけてきた。

「酷い目にあったね。大丈夫だったかい?」
「あ…あぁ…ありがとう…」

差し伸べられた手を取り立ち上がろうとするも、足元がフラついてしまう。

「おっと…ベホイミ…よし、これでもう歩けるだろうけど無理しないほうがいいよ。
 アレの辛さは僕達もよく知っているから。」

ベホイミってあんた…それなんてドラクエ?
かめはめ波を出そうとする小学生じゃあるまいし、こんな場面でそのギャグは…

え?…痛みが消えてる…?

ほんの数秒前までまともに立ち上がることすらできなかったはずなのに、
彼が手をかざして言葉を発した瞬間、全身の痛みが全て消えていた。
あれだけ鞭で打たれたのに、今では痺れも残っていない。
ハハハ…ファンタスティック。
だいたい科学の発達した近代世界に魔法だなんてドラクエじゃあるまいs…

「おや?まだミミズ腫れが残っているね…ホイミ。」

彼が言葉を発すると赤く膨らんでいたミミズ腫れが飛行機雲のように消える。
どう見ても魔法です。本当に(ry

いやいや魔法だなんてそんな馬鹿な。
バミューダトライアングルだって科学的に証明できているこの近代社会に魔法って、
そしたらアレか?もし俺がここでイオナズンとか叫んだら凄い事になるのか?
就活の履歴書に【特技:イオナズン】とか【趣味:ザラキ】とか書けるのか?
ハハハ…それだったら使っちゃいますよ?イオナズン。良いんですか?
しかし、確かに今あれだけの痛みと傷が一瞬で…
いやいや…でも、船の中で見たモンスターとか、魔法とか…
モンスター…魔法…まさかね…

「知ってて何でお前は毎回歯向かうかなあ。その度に止める俺の身にもなれっての。」

混乱している俺をよそに緑髪がターバンに茶々を入れる。

「…って言うか、お前もいきなりムチ男に殴りかかるなんて何考えてんだ!
 俺達が間に入らなかったら本当に死んでてもおかしくなかったんだぞ?」

そうだ。死ぬところだったんだ…俺…
いまさらの様に思い出して背筋がぞっとする。
あの時、視覚も聴覚も痛みも感覚も消えて意識も手放してたら今頃は…

「本当にありがとう。二人が助けてくれなかったら俺は今頃…」
慌てて立ち上がり、俺は二人に心からの礼を言う。

二人は一瞬驚いたような表情を見せ、次の瞬間には笑顔になっていた。

「気にしなくていいよ。でも、ヘンリーの言った事は覚えていてくれないかい?
 君の命は君自身にとっても、君の大切な人にとってもかけがえのない物なんだ。
 ここの生活でどんなに辛い事があっても、どんなに理不尽で悔しい思いをしても
 まず生きる事を考えて欲しい。君に何かあったら悲しむ人が絶対にいるから。」

ターバンが諭すように僕に語りかける。
表情は笑顔だったが、その瞳は真剣だった。
俺はただ黙って頷いていた。

俺が死んで悲しむ人か…
親父やお袋はやっぱり悲しむのだろうか?
大学の飲み仲間やバイト先の人間はどうだろう?
もう数年連絡を取っていない中学、高校のクラスメイトは…
もう俺の事を忘れてしまっているだろうか…

「ま、新入りのお前もすぐにここでの立ち回りがわかるようになるだろうさ。
 そうすりゃ二度とあんな無茶をしないに決まってるぜ。な?」

ヘンリーと呼ばれた緑髪が馴れ馴れしく俺の肩をバンバン叩く。
普段ならウザイと思う所だが、何故か今は心地良い。

「おっ、そうだ。なんならお前もこのヘンリー様の子分にしてやろうか?
 ヘンリー様が直々に奴隷生活のエンジョイの仕方をレクチャーしてやるぜ?」

前言撤回…
普段ならウザイと思う所だが、今でも普通にウザイ。
緑髪の後ろではターバンがこちらに向かって申し訳なさそうな笑顔を浮かべながら、
顔の前で両手を合わせている。『ゴメン、合わせてやって。』…といった感じか。
これも恐らく毎回の事なのだろう。思わず苦笑がもれる。

「あ~ん?何笑ってるんだ?新入り。そう言えばお前の名前を聞いてなかったな。
 お前、名前は何て言うんだ?」
「あ…俺の名前はイサミ。村崎 勇。」
促されて慌てて自己紹介をする。

勇…勇ましい…勇気…
温厚な小市民には不釣合いで好きではない自分の名前。

「イサミ…変わった名前だな。俺はヘンリー=ブローマ=ベルデ=ド=ラインハット
 ヘンリーと呼んでくれ。よろしくなイサミ。」
「そう言えば僕も自己紹介がまだだったね。僕はサトチー。」

前言撤回…
少しだけ自分の名前が好きになりました。

拝啓 お父様、お母様。
 素敵な名前をありがとうございます。

「よ、よろしく。ヘンリーに…えっと…サトチー…?」

半ば引いた笑みを浮かべているのが自分でもわかる。
うん、あえて触れないでおこう。それがオトナの付き合い方ってヤツだ。

「いつまでサボってやがる!新入りの手当てが済んだならさっさと持ち場に戻れ!!」

石壁剥き出しの粗末な部屋の外からムチ男の怒鳴る声が聞こえる。

「あ~あ、またヒステリーだよ。仕方ない、今日も適当に仕事を終わらせますか。
 ホラ、イサミもついて来い。親分が直々に仕事を教えてやるよ。」

いつの間にか子分になっていた俺は、二人に誘われるままに部屋を後にした。

部屋の外で待っていたのは俺の新しい職場。
就職先が就活もせずに決まるなんて大学生にとってはまるで夢のよう。
皆さん額に汗して一心不乱に石や木材を運んでいます。実に健康的です。
上司のムチ男さんは俺達に対して常に真剣に愛の鞭を振るってくれます。
しかも食事付の寮完備。今日の夕飯は腐りかけたジャガイモでした。ヘルシーです。
湿ったゴザに疲れた体を横たえると明日への希望が徐々に失われてゆきます。
どう見てもタコ部屋です。本当に(ry
悪夢のような内定(辞退不可)に目の前が滲んでよく見えません。


イサミ  LV 1
職業:大学生 改め 建設作業員
HP:18/18
MP:0
装備:E奴隷の服

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