「……誰だ」
「それはこっちの台詞だぜ坊や。あンたこそ誰だい? ここでなにしてるンだ?」
 その狼男は大きな口から舌をだらりと出しこちらを見つめている。
 ――嫌な予感がする。
 俺はゆっくりと壁から離れた。狼男はそれに気づいたのか、じりじりと間合いを詰めてきた。
 手に汗がにじみ、心臓もドキドキと大きな音がする。
「アレフー! どこいったのー!」
 マリアさんの声が聞こえた。なんだか迷子の子供を呼んでいる見たいに聞こえる。
 それを合図に俺は声のした方向へとダッシュする。すると狼男も俺の後をついてきた。
「待て!」
「っ、マリアさん!」
 角を曲がるとすぐにマリアさんが見えた。
 こちらを向き困り顔を見せたが、俺の後ろの狼男を見てすぐさま顔を引き締めた。
「モンスターね!?」
「……もう一人いたのか」
 狼男が忌々しげに呟く。俺はそのままマリアさんのところへと思いっきり走った。
「アレフ、伏せて! メラ!」
 ボウッという音とともにマリアさんの指から火の玉が飛び出す。俺は慌てて前へと倒れ込んだ。
 間一髪火の玉は俺の頭上すれすれを通過。後ろから炎が燃え移ったような音がした。
 狼男に当たった音かと思い振り返る。するとそこには短めの剣を手にした狼男が無傷で立っていた。
「な、メラを弾くなんて……」
「お嬢ちゃン、魔法使いか」
 狼男の眼帯をしている方とは反対の目がギラリと輝く。金色をした、鋭い目付きをしている。
 どうやらこの狼男はマリアさんのメラを弾き飛ばしたらしい。なんて奴だ。
「俺にメラは効かねえ、ぜ」
 ぶんと剣を振って威嚇してくる。怖い。俺は立ち上がり、急いでマリアさんの方へ走った。
 ……この光景は漫画でもゲームのシーンじゃない。本当にすぐそこで起きていることなんだ。
「っ! それなら、ヒャドッ!」
 マリアさんが杖を狼男へと向けると、杖の先からキラキラしたものが飛び出した。
 そのキラキラは狼男目掛けて飛んでいく。狼男は直ぐさま避けたが、完璧に避けられず左肩へと命中した。
 すると左肩からみるみるうちに氷が広がり、狼男の左腕は氷漬けになってしまった。
「くっ、ヒャドも使えるのか」
 悔しそうに呟きながらその氷を忌々しそうに見やる。力を込めているようだが、左手はぴくりとも動かない。
「……おい、お嬢ちゃンたち。悪いことは言わねえ、早くここから立ち去りな」
「なんですって?」
 突然狼男は氷に向けていた目線をこちらに移し、俺たちに逃げろと言った。
「私たちを襲ったモンスターの言葉を信じるわけがないでしょう?」
 マリアさんが構えを解かないまま威圧感たっぷりの声音で話す。
 俺もマリアさんと考えることは同じだ。向こうから先に襲ってきたのに、逃げろって言うのはどうも信じられない。
 俺たちが逃げようと後ろを向いた瞬間、攻撃でもするつもりなんだろうか?
「モンスター、ね。まあ、信じないのは当然だよなあ。でもさっさと逃げてくれねえと、俺が困るンだよ」
 狼男は頭をボリボリと掻きながらそう言う。
「あなたの事情なんて関係ないわ」
 スッとマリアさんは杖を構える。戦闘態勢だ。
 狼男がこちらへ向ける目を一瞬細めた気がした。


「今度はこれをくらいなさ……」
「グレッグ」
 マリアさんが呪文を唱えようとした瞬間、狼男の後ろからしわがれた声が聞こえた。
 狼男はそれに驚いたのか目を見開き、ゆっくりとその声の主の方へ向いた。
「グレッグ……どうした、そんな大声を出して」
「……ボス」
 のしのしと俺たちに近づいてきたそいつは、緑色をしたしわくちゃの肉の塊でとても気色が悪い姿をしている。
 この緑肉は狼男をグレッグと呼んでいる。だとしたらこの狼男の名前はグレッグというのだろう。
 グレッグは俺たちの方に目線を向けた後、耳を掻いて下を向いた。
「ん? グレッグ、こいつらは旅人か?」
 緑肉は俺たちに気づき、そのたぷんとした肉に囲まれた目玉をギョロリと動かす。死んだ魚のような濁った目玉だ。
「そうか、お前たちが迷い込んだ旅人だな? フェフェフェ、そちらから出向くとは……実に好都合。手間が省けたわ」
 なんて耳障りな笑い声だ。
 顔をしかめていると、マリアさんが緑肉を睨んで言った。
「もしかしてあなたたち、迷い込んだ人たちを……?」
「フェッ、お前たちのような旅人はなかなか良い魔力を持っているのでな……よい栄養になるわ」
「っ!」
 こいつら、旅人を食べて……! なんてやつらだ!
「……なら、ここであなたたちを始末しておかなきゃ、犠牲者は次々と出るって訳ね」
 マリアさんが一歩踏み出す。その声音は淡々としているが、怒気が含まれており威圧感がある。
 それを馬鹿にしたようにふふんと緑肉は鼻息を噴き、手に持っていた杖を振る。
 一方グレッグは動かず、このやりとりを見つめているだけだ。俺も見つめているだけだが。
「お前に我らが殺せるか? 小娘」
「もちろんよ! ギラ!」
 先制攻撃! マリアさんの両手から発された炎は帯状になり緑肉へと向かっていく。
 俺は戦闘の邪魔にならないよう脇に離れる。戦力にならなくてすみませんね! ふんだ!
「ギラか……甘いわ!」
 緑肉はしたり顔(肉で表情はよく読めないが多分)でマリアさんを見つめ、杖を振った。
 すると炎は風に巻かれたように一瞬でかき消された。
 嘘だろ、呪文が消されるなんて!
「なっ!?」
 マリアさんも今の光景が信じられないという表情をしている。
 すると緑肉は俺の方を見てからグレッグの方を見やり、手を振ってなにか合図をした。
 その合図を受けたグレッグは、指を口に当て口笛を吹いた。ピィーというその口笛独特の音は森の中に響いていった。
「これでいいですかい、ボス」
「……なにをしたの?」
「なあに、ちょっとした余興よ」
 余裕といった表情(多分)で俺たちを見つめる緑肉。くそ、馬鹿にしやがって。
「よくわからないけど、まあいいわ……くらいなさい! ヒャド!」
 杖から出たキラキラが緑肉の方へと向かう。緑肉はその場から動く気配がない。やった、命中する!
 しかしキラキラは緑肉との間に突然飛び込んできた影に当たった。
 そいつはグレッグによく似た狼男だった。その狼男は両腕が氷に包まれたまま緑肉の横に立った。
「おお、来たか」
 緑肉は手にしていた杖をカツンと地面に一打した。
 するとマリアさんの周囲に狼男たちが出現した。数はグレッグを入れて6匹。
 マリアさんのところへ行こうと足を出した時、背後から羽交い締めにされてしまった。
「アレフ!」
 しまったと思ってももう遅く、俺はグレッグに捕らわれてしまった。
 凄い力だ、片手で押さえられているのに苦しい。潰れてしまいそうだ。
「くっ、卑怯者!」
「フェッ、なんとでも言うがいい……食料よ」
 噛みつくように声をあげるマリアさん。しかし緑肉は勝ち誇ったように高笑いをあげる。
 マリアさんの周りには5匹の狼男がいる。危ない!
 グレッグの手を引き剥がそうともがくが、手応えがない。逆に力を入れられて押さえつけられる。
「大人しくしてな、坊や」
 おまっ、坊やって呼ぶな! そう言おうとしても声が出ない。
「……だから、早く逃げなって言ったのによ」
 グレッグはそう小さな声でボソリと俺の耳元で呟いた。……グレッグ?
 ふと狼の鳴き声が聞こえてきた。俺はハッと顔を上げ、声のした方へ意識をやった。
 狼男たちが剣を抜き、マリアさんに近寄っていく。緑肉は祭壇の上の方で高みの見物を決め込んでいるようだ。
「っ……ギラ!」
 マリアさんはギラを放つ。炎は大きくうねり狼男たちを包み込んだ。
 しかし火力が弱かったのか、炎は狼男たちの服を一部焼くだけだった。
 俺はグレッグの脇腹にエルボーを喰らわした。何度も打ったが、角度が悪いらしく力を込めて打つことができない。
 野郎! このままじゃマリアさんが、マリアさんが! くそッ! 放せッ! 放せよッ!
「この……っ、は!」
 もう一度呪文を唱えようとマリアさんが杖を構えた瞬間、背後からの剣撃が降り注いだ。
 そしてそのまま崩れるように地面へと倒れていく。その光景がまるでスローモーションのように感じる。
 背中から流れ出る血が白いローブを真っ赤に染め上げた。

 ――ドクン

 その光景を目にした刹那、俺の中で”なにか”が動き出した。

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