「なんだ…お前は」 「下衆に名乗る名などない」 力と力の真正面からの拮抗。 純粋なそれだけならば、バルザックの方が勝るのだろうか。 僅かずつ押されていく中で、それでも騎士は左手でバルザックの動きを封じながら、右手でアリーナに上位治癒(ベホイミ)をかけた。 「あ…」 「治りきらないか。こっぴどくやられたようだな…君らしくもない」 騎士の言葉が少女の五感に浸透していく。 ハッと気付いたかのように、アリーナはその場を飛び退った。 それを見て、騎士もまたバルザックの力を受け流し横に逸らす。 「醜いな…貴様は俺が見てきたどんな魔物より、どんな人間よりも醜悪だ…」 「ほざくな小僧!この私を愚弄するか!!」 バルザックの怒りが大気を振るわせる。 そして騎士に、竜巻のような棍棒の乱舞が襲い掛かった。 上から、右から、左から、正面から、ありとあらゆる方角から打ち込まれる打撃の雄々しき独唱。 響く音は次第に大きくなり、やがてそれは爆砕音とすら言える程に高まっていく。 「――くっ!!」 アリーナの鉄の爪がぶよぶよとした腹に突き立てられる。 だが、その脂肪の壁を貫くには到底及ばない。 それでも、かろうじてバルザックの手を止める事は出来たようだった。 「ぐふぅ…蚊に刺された程度の痛痒よな…。 それに比べて、ほれ。あの男は爆心地に居たかのようではないか」 少女が、騎士の方向へと振り返る。 そこには砕けた床や埃が舞い上がっており、何も見通す事ができない。 「絶望したか?小娘よ。お前やあの小僧程度の実力で私に歯向かうとは、役不足というものだ」 バルザックの耳障りな笑い声が玉座に響く。 だが――アリーナは、その何も見えない空間に、何かを見通していた。 誇り高き――魂の輝きを。 「――――その通りだ。俺にとっては貴様の相手など、役不足で物足りない」 噴煙が晴れる。 何事もなかったかのように、その場に立ち続けるその姿。 その姿はまるで―― ――の、ようであった。 「うおらぁぁーー!!!」 ライアンが戦斧を振り回す度に、辺りに鮮血が舞う。 戦士は圧倒的な体力で前進を続けていた。 「範囲物理障壁(スクルト)!」 殿にいるクリフトからの支援が飛ぶ。 仲間全員に物理的な耐久力をつける、強度自体は多少劣るものの物理障壁(スカラ)の上位互換と言える。 それに加えて、流れるような槍捌きで犬のような魔物を屠る。 クリフトも中々どうして、見事な技量を披露していた。 確かに神官戦士を名乗るだけの事はある。 アリーナがいると、どうしても物理的な攻撃面では影が薄くなりがちだが侮ったものではない。 「ふむ。この場合の最適解は――そうじゃな。これでどうじゃ――速度上昇(ピオリム)!」 身体に羽が生えるとこうなるのだろうか? 突然の身の軽さに戸惑う。だが、これなら――駆ける事ができる。疾駆する事ができる。 ソフィアが、ミネアが、マーニャが階段に取り付いた。 ライアンが切り開いた隙間に細い身体を滑らせる。 僅かに遅れていた俺の前に紫色の土偶が立ち塞がった。 「させませんよぉ!」 トルネコが、その体型からはちょっと想像できない俊敏さで横から土偶を打ち砕いた。 首がすこーん!と遥か遠くにかっとんで行く。見事なホームランだ。 「すいません!」 俺は短く礼を言い、階段を駆け上がる。 その間際に見た男たちの表情は、皆一様に頼もしく、なんだか異常にカッコ良く見えた。 「さて――」 階段を背に、ブライが立ち、老人を守るかのようにライアンが正面に、クリフトとトルネコが左右にそれぞれ立った。 半円の陣で魔物達を迎え撃つ。 そして魔物達もまた、それほど積極的に動かなかった。 これはブライ達が知る事はできなかったが、実の所魔物達にとっても女たちが階上へ進むのは決して悪い事では無かったのだ。 魔物達はバルザックの強さを知っている。女子供に倒される訳は無く、彼女たちはすぐに慰み者となるだろう。そう、予測した。 ブライ達は、ソフィア達の強さを知っている。此処で魔物の本隊を足止めできれば、彼女達がバルザックを斃すのは想像に難くない。 ライアンとブライは更に、階上に魔物がいる可能性も考慮していたが、それを考えたとしても今はまず、この魔物達を掃除しなくては援護にも行けはしまい。 「一人、10体と言った所ですかな」 「ハハ…いや、私はちょっとおまけで免除して欲しいですよ」 「そうじゃな。トルネコ殿の分の幾許かは、魔法使いのワシが負担しよう」 「ブライ様もご無理はなさらないでくださいね」 「馬鹿者!クリフト!ワシを年寄り扱いするでないわ!!」 戦士が、商人が、魔法使いが、神官戦士が、一様に笑う。 歴戦をくぐり抜けてきた男たちが一同に介し、一つの目的に邁進しようとしていた。 鋭く大気を裂く音が玉座の間に響く。 騎士の剣は柄に翼の飾りのついた、美麗な剣だった。 どちらかというと儀礼的な雰囲気すら醸し出している剣であったが、それは確実にバルザックの皮膚を傷つけ、血を噴き出させている。 ――ヒュン。 風斬り音は一度だけ。 だというのに、二箇所からほぼ同時に血液が舞う。 それはアリーナにさえ見切れない、隼のような速度の連撃だった。 「おのれ、ちまちまと小賢しい…!」 バルザックの苛立つ声が響く。 一撃自体は、決して重くない。だが、痛みは集中力を削ぎ落とす。 確実に蓄積していくダメージに、バルザックは焦り始めた。 棍棒で騎士を打ち据える。それでも、騎士は憎らしいほどに微動だにしないのだ。 ダメージは0ではあるまい。しかし、微々たるものであるのもまた、間違い無いだろう。 騎士の鎧兜は、頑丈過ぎる。異常とも言える頑強さは、何かを犠牲にしているのかもしれない。 バルザックの攻撃を、騎士はまるで避けようとしない。 避ける必要が無いのか、避ける事ができないのか。 例え後者だとしても、前者もまた同時に満たしていると考えた方が自然である。 ノーガードの打ち合いで遅れを取るなど屈辱の極みだが――だが、進化とは様々な状況に対応できるようになる事でもある。 そう考えれば、さほど悪い事では無い。 バルザックが凍りつく息を吐き出す。 騎士は、仮面の下で僅かに眉を寄せた。 自身の鎧は、物理攻撃だけでなく炎や吹雪、更には炎熱、爆裂系の呪文にすら耐性を持つ。 だが、その鎧でも氷結系の呪文にだけは、そこらの鎧となんら変わりない。 ヤツが冷気を得意とするなら少しマズイか。そう、思考したときには既にバルザックは呪文の詠唱に入っていた。 高速詠唱――それは進化の秘法故にか、それとも偉大なる錬金術師の元弟子故にか。 「広域氷結(ヒャダルコ)ォォ!!」 辺りの気温が下がると共に、大気の成分が変動し空気そのものが氷結する。 鎧と皮膚の隙間にある原子の振動が止まっていく。液状化。固体化。肉に突き刺さる、氷塊。 騎士は身体に走る痛みよりも、姫君の安否を優先した。 少女のダメージは大きかった。度重なった打撃に対する十分な治療が行われず、ブレス、呪文と続けばそれも致し方あるまい。 「――大爆裂(イオラ)」 炸裂音と共に、バルザックの頭上から瓦礫が降り注ぐ。 もうもうと立ち込める煙に一寸気を取られた隙に、騎士も姫もその姿を消してしまっていた。 「ふん…隠れたか。まあ、良いわ。ゆっくりと追い詰め、引き裂き、破壊してやろう…」 歪んだ愉悦を顔に張り付かせ低く嗤う。 破れた皮膚が、削がれた肉が再生していく。 ああ――それにしても。 腹が減った。女を抱きたい。惰眠を貪りたい。もっと偉くなりたい。全てを支配したい。 先ほどまでの戦いなど忘れてしまったかのように、気だるい欲求不満がバルザックを苛む。 もっと欲しい。もっと満たされたい。 ――わたしは、何を望んでいたのだろう? 権力を手に入れ、それに付随する金も、女も、手に入れたというのに。 進化を極めたと言うのに――何故、満たされない。 とろとろとした白昼夢を見ているかのような感覚に、バルザックは苛立ちながらも身を委ねている。 「――見つけたわよ。バルザック」 そんな彼を現実に引き戻したのは――美しき、ジプシーの姉妹であった。 城の廊下を駆ける俺は、余りの嫌悪感に気が狂いそうになっていた。 至る所に元は人であったらしき物体が散乱し、鼻が曲がりそうな腐臭を放っている。 ――進化の秘法の実験体。 キングレオにいた、魔法の実験を繰り返していた人間の話と符合する事実。 コーミズ村より更に南に位置するモンバーバラから、或いはハバリアから集められた人々の成れの果てがキングレオ城で、そしてこのサントハイム城に集結している。 これが…こんな、これが…人の所業だと言うのか。 事実そうである筈だ。これまで魔物の仕業にしてしまう事はできない。 バルザックもキングレオも、元は人間だったのだから。 人間と、魔物。それらがどれだけ違うというのか。どちらも――どちらも同じように、醜悪じゃないか。 突如響いた呻き声に、俺は飛び上がらんほどに驚いた。 まだ――生きてる、のか。 言いようの無い恐怖を覚え、全力以上の力で駆け抜ける。 死ぬよりは、生きている方が良い。そう、思っていたのは既に遠い過去のものになりそうだった。 「――見つけたわよ。バルザック」 奥に見える巨大な扉。 開け放たれた扉の近くに、マーニャの、ミネアの、そしてソフィアの後姿が見える。 俺はそれに少しでも早く近づきたくて、大量の荷物を背負っているため満足にとはいかないまでも、懸命に足を動かした。 「姿が変わっていても解るわ。今こそ…お父さんの仇…」 「おお…誰かと思えば懐かしい顔では無いか。マーニャ、そしてミネア。我が敬愛する愚かな師、エドガンの娘達!」 グフフ、と不気味な笑みを浮かべるバルザックに、 マーニャもミネアも、嫌悪感を少しも隠そうとしない。 そのぶよぶよとした姿を目の当たりにしたミネアがぽつりと呟いた。 「なんて禍々しい姿…」 「どうだ、見違えたであろう! 既に私は究極の進化を極めた。この肉体は――神に近い。 最早、デスピサロ様…いや!デスピサロのヤツすらも私には及ぶまい!フハ、グハハハハ!!」 ソフィアの身体がぴくりと揺らぐ。その、名前を聞くだけで。少女の心身は燃え上がる。 「ハッ!笑わせるんじゃないわよ!あんたみたいな小物が、神に近いだなんておこがましいわ!!」 マーニャが呪文の詠唱に入る。ソフィアとミネアが、剣と槍でそれぞれバルザックに迫る。 それが、戦いの合図となった。 俺もまた、物理障壁(スカラ)の準備を始める。先行したはずのアリーナの姿が無い事が少し気になった。 暖かい光を感じ、アリーナは眼を覚ました。 どうやら自分はベッドに寝かされているらしい。――このベッドは、懐かしい気がする。そうだ、自分のベッドだ。 翳される掌。上位治癒(ベホイミ)の光。クリフト…?否、彼では無い。 「――バルザックは!?」 一気に覚醒した少女はベッドから跳ね起きる。 騎士はソレを見て、一つ息を吐く。どうやら安心した様子だった。 「一度、玉座の間から上階に避難した。都合よくベッドがあったんで君を寝かせた。あれから時間はさほど経っていない」 「そう…」 悔しそうに歯噛みする少女。これでは――足手まといもいい所では無いか。 騎士が上位治癒の対象を自らに変える。 だが――光は、鎧兜の上からでは中々届かなさそうに見えた。 「私、征くわ」 「――君一人では……」 「大丈夫。もう、あんな風に我を忘れたりしないし、それに――今頃、きっと私の仲間たちが来ていると思うから。 このお城は、私のお父様のお城だもの。お父様が居ない間に勝手に侵入した不埒者は、私が成敗しないと」 少女の言葉と決意に、騎士は小さく頷く。 「……解った」 「貴方は、傷が治るまでここで休んでいてね。――此処、私の部屋なんだ」 小さく微笑む姫君に、騎士はなんと言葉を返したものか迷う。 …やはり、一箇所だけ穴が開きっぱなしになっている壁について尋ねるべきなのだろうか。 なんとなくそれは問うのを憚られたので、咄嗟に何の関係も無い疑問を口にする。 「……ところで、どうしてレオタードに網タイツなんだ?」 「――!?い、良いでしょ、どうしてでも!丈夫なんだから!!」 顔を真っ赤にしたアリーナは騎士に手加減なしのツッコミをいれて部屋を飛び出していく。 あれじゃ、手の方が痛いだろうなと思いながらも騎士はその後姿を見送った。 俺から見ても、ソフィア達は圧倒的に押していた。 彼女たちのモチベーション、新たな武具、そしてどうやらバルザックは手負いらしいのも要因の一つであろうか。 バルザックのタフさも特筆に値するものの、マーニャの火焔球(メラミ)が連続で着弾するのには耐えられないようだ。 「ぐぅぅ…広域氷結!!」 辺りに氷塊が浮き上がり、縦横無尽に暴れ狂う。 俺たち全員の肉体を、その鋭利な刃で傷つけた。 「ハハハ――どうだ。今なら、まだ命乞いを受け入れてやるぞ?私のものになるが良い。最高の富と快楽を与えてやるぞ」 なんだか卑猥な事を言うヤツだ。 多分、俺は入ってないだろう。入ってたら逃げる。一目散に。 「ふん。バカ言ってんじゃないわよ。あんたなんかに傅く位ならねえ。こいつの方がマシよ!!」 マーニャが、俺の右腕に身体を絡ませる。 師匠(マスター)挑発っすか。 「同感ですね。バルザック、貴方なんかに触れられる事になろうものなら私は舌を噛みます」 ミネアが、俺の左腕を取る。 みみみみみミネアさんまで!?か、勘弁してくださいっ。 「みんなー!」 後ろからアリーナの声がしたかと思うと、背中に体重を感じる。 コイツは何も解っていないんだろうが、多分雰囲気だけでなんとなくやってるんだろう。 「アリーナさん、無事だったんですね!」 「もちのロンよ!!」 女たちが無事を喜びあっている。 いやまあ、俺も嬉しいけど。 「――――!」 最後にソフィアが俺の傍で困ったような、尚、つーんとしているのを継続しているのだと言うような顔をしていた。 自分は怒っているのだ。それを忘れるな、これはあくまで挑発の為なのだと言わんばかりである。 暫し考えた後、ソフィアは俺の正面に立ち、首に腕を絡めてきた。 ――ああ、そうか。これが、俺の人生のクライマックスか。 「貴様ら…この私をコケにしおって…許さんぞ!!その貧弱貧相貧賤な男が、私の何に勝るという!! バルザックが棍棒を頭上でぐるぐると回している。 怖い…というか嫌な予感がする。 「あ~ら?自称神様なのにそんな事も解らないの?じゃあ、このマーニャ様が教えてあげるわ。 ――全部よ。全てにおいて、あんたよりは マ シ なの!!!」 あは。マシっすか。いやまあ、そんな程度だとは思ったけどNE!! 消去法の結果に、ショックを受けるなんて事は無い。そんなのは自惚れだからだ!! 「――シネェェェェ!!」 何やら物騒な雄叫びと共に、棍棒が振り下ろされる。 マーニャがさっと身を離し、ミネアもまた距離を取る。 アリーナとソフィアがほぼ同時に飛び退いた。俺はといえば当然それらの後に行動する訳だからして出遅れ必至な訳でちょっとまてリアルクライMAX!? スゴン!! 物凄い衝撃が頭に走った。次の瞬間目の前が真っ暗になる。 既に何も見えない。ソフィアの悲鳴が聞こえた気がしたが、それも気のせいかもしれない。 思考の経路がぷちぷちと寸断していく感覚。しまった。物理障壁を自分にかけるのを忘れていた。 砕かれた頭から何かが噴き出していくのが解る――ああ、だけど――ほぼ、即死なら、あんまり苦しまないで済むと言えばそうなのかもしれない――。 ・ ・ ・ 「バルザックにサントハイムをくれてやった」 此処は、何処だ。 ――王宮?そうか、いつか見た夢と同じ光景。 そこに居るのはあの時と同じ、銀髪のDQNと黒い騎士だけだ。 俺はそれを、ふわふわと浮かび上空から観察している。 「…あの城もお前がやったのか?」 「さて、どうだろうな?」 銀髪の男が愉快そうに笑い、言葉を続けた。 「――貴様はどうしたい?」 「……。サントハイムに魔物が住み着くなんて認めない。皆殺しにしてやる」 「そうか。まあ、好きにするが良い」 ――その方が、都合が良い。実験の結果を見定めるためには。 どうせあの城にはバルザックの飼い犬しかいない。 「ああ、これを持って行け」 騎士に向かって何かを放り投げる。 それは――剣、だった。 「ロザリーが風邪を引いた時、わざわざパデキアを探しに行ってくれたそうじゃないか。 その報酬だと思え」 「……」 パシッと乾いた音を立てて剣を掴む。 抜き放ち、二度、三度振ってみた後、無造作に腰に差した。 「そうだ。それで良い。目的を達成する為には手段を選んでいられないのだからな」 ばさっとマントを翻し、銀髪の男が騎士の傍らを通り過ぎて部屋を出て行く。 騎士は、怒りとやるせなさに震えていた。 次の瞬間、外から見下ろしていた騎士に俺の姿が重なる。 これは俺の意思では無い。重なって、しまった――なんだ!?抜けられない――。 俺は、誰だ?俺は、俺だ。俺は、あの騎士と違うのか? 引き摺られる――俺が俺じゃなくなってしまう。 そうだ、俺はこれを最も恐れていた。 今、この時にしか解らない恐怖。この場以外では忘れてしまう感情。覚えていられない焦燥。 死そのものの先にある、俺が融けてしまう感覚。 嫌だ。これが、死、か?嫌だ――。 ――誰かが、俺を呼んでいる。 その声に引き上げられるかのように騎士から抜け出、上を見上げた。 王宮の天井――それより更に上空から、誰かの声が聴こえる。 俺の姿は上へ、上へと昇って行く――。 暖かい腕に包まれるような感触。 温もりがあまりに心地よく。 何時の間にか、俺は誰かに抱かれているようだった。明るいシルエットで、誰かまでははっきり解らないが、身体のラインを見る限りどうやら女性のようである。 そのまま、ゆっくりと、次第に加速して場所を、時間を越えていく。 ――これは――ミネア? ・ ・ ・ ゆっくりと意識が覚醒していく。 ぼんやりとした視界に最初に飛び込んできたのは、一心不乱に術の維持を行うミネアの姿だった。 彼女の組んだ両手からは、まるで生命力そのもののような光が溢れている。 ――擬似蘇生(ザオラル)の光。 ……死んでたのか、俺は。マジかよ……ヤバイ……あれだけ死なないよう頑張ってたのにこうもあっさり……なんか癖になりそうだ……。 一撃死だと苦しむ暇が無いとか、そういう問題じゃないわ……。 嫌な感じだ。死ぬってのは。なんだか解らんけどヤバイ気がする……って、ああ、くそ!内に篭もってる場合でもねえのか。 「ミネア…」 ゆっくりと腕に力を篭め身体を起こす。 ミネアは、脂汗を浮かべながらうっすらと笑んだ。 ――その瞳には、安堵と、何故か戸惑いのような光があった。 「良かった…何とか成功しましたね…。――行きましょう」 精神を消耗したのか、ふらふらとした足取りで歩むミネアに手を貸して俺たちは進む。 どうやら大きな柱の影に隠れていたようだ。 前方では未だ、戦いが続いている。俺がどれだけの間倒れていたのかは解らなかったが。 「――!?あんた、ほんっと使えないわね!!」 俺の姿を見るなりマーニャの罵声が飛んできた。 お前、それはあんまりじゃないか!? 「何言ってんのよ!あんたがあそこでちゃんと避けてたら、一斉攻撃で終ってたのに、とんだ計算違いだわ!」 そんな事言ったって――見てみれば、マーニャの身体からも酷く出血しているようであった。 みかわしの服に長いスリットを入れた為相変わらず太ももなんか丸出しなのだが、そこにも深い裂傷が刻まれていた。 アリーナも、ソフィアもボロボロである。 事、ここに至り、既に口論をしている場合では無いと悟る。 「ミネア!治療はいいわ、あんたも手伝って!」 「え、でも――」 治療に駆け寄ろうとするミネアをマーニャが押し留める。 ミネアには多少迷いがあるようだった。それと言うのも、ミネアはソフィアやアリーナに比べると単純な力で劣る。 それ故に、バルザックのような脂肪の塊のような相手では、有効な打撃を与えにくいのだ。 「大丈夫よ!――あんた、此処で失敗したら一生あたしの奴隷だからね!?」 マーニャのひどい発破が俺に向けられる。 俺は、ミネアにしっかりと頷いて見せた。 バルザックが改めて姉妹が揃ったのを確認し、喜びの声を上げる。 「――そうだ、それで良い。マーニャ、そしてミネアよ。私は、お前たちと戦いたい。お前たちをこそ――この手に――」 ソフィアがバルザックの正面に立ち、ヤツの意識を自身に向けさせる。 煩わしい虫を潰そうと、振り下ろされる棍棒を破邪の剣で受け止めた。 「今までのお返し…!三倍返し、返品不可!!」 後ろに回りこんだアリーナが、今度こそとばかりに跳躍し、バルザックの後頭部に渾身の回し蹴りを放った。 鈍い音を立てて、陥没する頭蓋。だが、だと言うのに――何故か、俺にはバルザックの瞳に理性が宿った気がした。 一つ、二つと大きく息を吸い、吐き出して、自身と界を接ぐ。 ミネアの槍が、化け物の肉体ごときに敗れない映像。 彼女が俺を包み、引き上げてくれたように。今度は俺が、彼女に手を添え力になろう。 筋力の増強、武器の補強、骨子をそれらとして更にインパクトの瞬間に干渉する呪。 「――攻勢力向上(バイキルト)!」 背を押されるようにミネアが疾駆した。 彼女の聖なる槍が、バルザックの胴に突き刺さる。 異物の侵入を阻もうとする脂肪と筋肉に対し、更にそこからもう一押しを可能とする力が今の彼女には満ちていた。 見事、仇敵の胴を貫きせしめる槍。 バルザックの口の端に血塊が浮く。 ひゅーっ、ひゅーっ、と異音を漏らしながらヤツの上体が揺らいだ。 聖槍が引き抜かれる。穿たれた穴に、更にマーニャの火焔球が叩き込まれた。 ――身体の内からその大量の脂肪を焼き尽くしていく。 「バカな…。完璧な筈の私の身体が…崩れる…? 進化の秘法がある限り…私に滅びは訪れない筈…今に…今に…いま、に…」 バルザックの身体が歪み、ざらざらと崩れ落ちていく。 その様子を一時も眼を逸らさずに見据える、ジプシーの姉妹の姿があった。 「……私は……何を望んだのか……。 金……権力……進化の秘法を封印すると言った師を許せず……欲しかったものを手に入れたのに満たされず……。 そうか……わた、しは……お前たち姉妹を……待――」 そうして、バルザックは跡形も無く滅び去った。 彼の男が果たして何を望み、最後に何を見たのかは俺には解らなかったが――少なくとも。これで一つの区切りがついたという事は解った。 「やった…遂にやったわ…!バルザックを…お父さんの仇を…!!」 マーニャがミネアに抱きついた。 ミネアの方は、最早声にならないらしい。 ぽろぽろと零れる涙。それを見て、マーニャの瞳にも同じものが浮かんでくる。 「やだ、ちょっと、こっち見ないでよ!!泣き顔はブスなんだから!!」 マーニャが珍しい事を言う。泣き顔がブスには見えなかったが、後でからかってやろうと思いつつ、ソフィアに近づいた。 バルザックの一撃を受け止め、へたりこんでいた少女に手を貸し立ち上がらせる。 アリーナが、バルザックの消えた跡を暫し黙って見詰めた後、隅の方の昇り階段へと駆けていった。 まあ、兎に角。とりあえずは――終ったのだろうか。 俺はソフィアに、お疲れさん、と労いの言葉をかけた。 「ふむ…どうやら、向こうも決着がついたようじゃな」 ブライが髭をしごく。 辺りには、夥しい数の魔物の死体が散乱していた。 「流石勇者殿達ですな」 「いやあ、流石なのはどっちもでしょう。信じられませんよ。まさか本当に、王宮の魔物全てを殲滅してしまうなんて」 トルネコがライアンに賛辞を述べる。 ライアンは、戦斧に付着した血液を拭いながら軽く笑った。 「なに、ブライ殿の氷結呪文とクリフト殿のお陰ですよ。やはり、治療の呪文を使える方がいるのは心強い。 …ホイミンを思い出しますな」 だが、褒められた当のクリフトは浮かない顔をしている。 いや、それ以上にはっきりと顔色が悪かった。 彼の前には、命を絶たれた『人』が転がっている。嘗ては人であったものが。 ライアンが心配そうに声をかけた。 「…あまり思い詰めない事です。私たちが彼らをあのような姿にした訳では無い」 「大丈夫…大丈夫、です…。ただ…ライアンさん、ブライ様、トルネコさん…。 ほんの、ちょっとだけなんですが――消えたサントハイムの人々じゃなくて良かった、なんて、思ってる自分が居て…自己嫌悪してしまって…」 老人が、若者の肩をぽんと叩く。 「このような事があってはならぬと思うのなら、探さねばな――元凶を。そして、戦わねばならぬ」 この面子の中では格段に若い神官戦士は、沈痛な面持ちで頷いた。 墓を作ってやらねばなるまい。それが、己の責務である、と。 城の廊下を歩くアリーナ。 先ほどは観察している余裕も無かったが、どうやらこのフロアは魔物達に荒らされていないようであった。バルザックが上がらせなかったのだろうか。 父王の寝室。やめておけ、と心が命じるのに逆らって、少しだけ覗いてみる。 そこには、誰もいない。 解りきっている事だ。それなのに、わざわざ確認して、後悔までしているのだから詮の無い話で。 がらんと静まり返った城の中。 戦いが終れば、こんなにも静寂に包まれてしまう、無人城。 少女の足が次第に速まる。そうして、少女自身の部屋の前にまでやってきた。 恐る恐る、扉を開ける――。 そこには、誰もいない。 ああ――誰も、いないのだ。 言いようの無い哀しみが少女を襲った。 ゆっくりと部屋の中を見回す。 ベッド――鏡台――箪笥――そして、破壊された壁。 あの頃が酷く懐かしい。お父様がいて、大臣がいて、兵士がいて、城の至る所に人が溢れていて。 皆に愛されていて、アリーナ自身も皆を愛していた。もう――あれから長い時間が過ぎ去っている。 静かに穴の縁に立ち、そこから空を見上げた。 いつのまにか日は落ちて、既に月が夜空に浮かんでいる。 少女はただじっと耐えた。 この、津波のように打ち寄せる感情をやり過ごす為に。 だが、それは、独りで凌ぐには余りに――過酷で。 ミー。 小さな小さな鳴き声。 アリーナは思い出した。この城に残された存在がいた事を。 壁に開いた穴から飛び出して、城の屋上に降り立つ。 少女が探すのは小さな猫だ。だが――そこにいたのは、猫を腕に抱く黒い騎士だった。 「あ――」 一寸、言葉に詰まってしまう。 騎士は、そっと猫を地面に降ろし、ゆっくりとアリーナに近づいた。 「――首尾はどうだ?」 「え?あ、うん。…バルザックは、斃したわ」 その返答に、騎士は頷いた。 そしてアリーナは、自分でも不思議な事に言葉を続けていた。 「だけど、ダメだった。バルザックを倒しただけじゃお父様は帰ってこなかった。 ……ううん、平気。大丈夫。デスピサロを倒せば今度こそきっと……」 溢れる想いが言葉になる。 それは騎士に言う、というよりかは己に言い聞かせるかのようでもあった。 黙って聞いていた騎士は小さく頷きながら、少女の頭を撫でた。 「……本当の事を言うとね。お城に来るのは怖かったの。 誰もいないって解っているのに、どうしても期待してしまう。そうして、勝手に期待して、勝手に裏切られて――悲しくて、怖く、て。 だけど――。 ありがとう……。此処に、一緒に、居てくれて……」 月の光芒が嘗て栄華を誇った城を照らす。 屋上でその光を浴びるのは、城の主たる姫君と、黒い騎士。 その情景は、どこか物悲しく、どこか――儚さを感じさせるものだった。 「ピサロナイト様ー!!」 情動的な空気を破る甲高い声が響いた。 アリーナは驚いて身構える。 城の壁を登りぴょこんと顔を出したのは、ミニデーモンだった。 「実験は失敗だったみたいっすね。 うーん、やっぱり進化の秘法を完成させるには、黄金の腕輪が必要っぽいすよ。 ま、ピサロ様に報告しましょ――ってうわ!?こ、こいつは!!」 初めてアリーナに気付いたのか、ミニデーモンはぱっと飛び退った。 だが、当のアリーナは眼中に無いと言った按配で、呆けたように騎士を見ている。 「――ピサロ、ナイト?……ピサロの……デスピサロの、騎士……?」 騎士――ピサロナイトはアリーナに背を向け、歩き出した。 アリーナはそれを引き止めるかのように手を伸ばす。だが、肝心の足が動かない。 ピサロナイトとの距離がどんどん開いて行く――だが、それは突然ピタリと止まった。 闇夜に、白刃が閃く。 騎士が素早く隼の剣を引き抜き、受け止めた。 鍔迫り合いが起こる。隼の剣と――破邪の剣の。 「――ソフィア!?」 アリーナが驚きの声を上げる。 それでも、ソフィアは意に介さずに剣雨を振らせ続けた。 「…醜いな…お前も…お前の心も身体も…憎しみに塗れて見るに耐えん…」 仮面の下の瞳が剣呑な光を帯びた。 「――やめて!」 少女の絶叫が響く。 騎士は、振り下ろしかけた剣を逸らし、ソフィアに体当たりを仕掛けた。 バルザック戦の疲労もあったか、単純な実力差故か、少女は軽々と吹き飛ばされる。 「置いて行くぞ、ミニモン」 「あ、待ってくださいよ!!」 ――瞬間転移(ルーラ)。 騎士とミニデーモンの姿は、跡形も無く消え去った。 「――……」 残されたのは、少女が二人。 一人は呆然と、一人はピサロの名を冠する者を逃がした事に唇を噛み。 それぞれ、まるで違う心境で騎士のいた場所を見詰めていた。 HP:78/78 MP:36/36 Eはじゃの剣 Eみかわしの服 Eパンツ 戦闘:物理障壁,攻勢力向上 通常: