「あ…あぁ…姫様…姫様ァァァァ!!!」 クリフトの叫びに反応し、視線が集中する。 最初は、それが何か解らなかった。 何が居るのか、何が起きたのか、何が進んでいるのか。 何一つとして解らない中で、それでも今迄の経験が俺にドラゴンキラーの柄を強く握らせる。 ズルリ。何かを引き摺るような音。 アリーナの腹から生えていた腕が見えなくなると同時に、かくん、と、彼女の足が崩れる。 皮肉にも、腹を突き破っていた腕がそれまで彼女を支えていたのか。 支えを失った彼女の身体は、力無く神官へともたれかかり――そのまま、二人とも倒れこむ。 「姫、様――ウワァァァァァ!!…お前はあああ!!」 クリフトが術の詠唱を始める。 今まで聞いた事の無い、言葉。渦巻く怨嗟、滅びの念! 「待て!クリフト、先に――」 ソロの制止の言葉も届かず、呪文は完成する。 それこそ――。 「集団即死(ザラキ)ィィィィィィィ!!!」 組まれた手が方向を定め、神官の背から吹き上げる黒い炎! とぐろを巻くように頭上で一回転した後、一直線に突き進み、アリーナを傷つけた腕の主を包み込む! ぐらり、と。はっきりと目に見える。ヤツの身体が傾ぐのが。 「――やった!」 快哉の声を上げるクリフト。そんな彼に――駆け寄る、ソロ。 「……なるほど、ザラキ、か……」 響く声に、クリフトの身体が固まる。 「一瞬で対象の血液を凝固させる…決まれば必殺の術か…かなりの錬度が必要であろうに、その若さで中々優秀では無いか。 だが、惜しいかな…魔族の王たる私には、効かぬ。――極大、焦熱(ベギラゴン)」 無造作に払われる魔王の腕。 たった、それだけで。漆黒の炎は吹き散らされ、新たに生み出された、留まる所を知らない灼熱の業火が大きく顎を開きクリフトを呑み込まんとする。 動けない。今、自分が動けば――その炎は、足元のアリーナを灼き尽くす。だから、クリフトは動けない。 倒れたアリーナを抱え、棒立ちのクリフトに飛び掛り、何とかその範囲外に弾き出したのは、ソロだった。 だが…無傷とはいかず、足が真っ黒く炭化してしまっている。 「…ソロさん…!」 「ぐっ…俺は、大丈夫だ、自分で治せる…クリフト、アリーナを治してくれ…」 その言葉にはっと我に返ったか、すぐにアリーナへと治癒呪文をほどこす。 「う、っく…はぁ…はぁ…ベ、上位治癒(ベホイミ)…」 まるで命そのものがこぼれていくかのように流れ出ていく真っ赤な血液を、クリフトは少しでもアリーナの身体に戻そうとする。 赤黒く染まったその両手を、腹に当て、しきりに治癒呪文を唱えている。 それに、興味を失ったかのように全く頓着せず…悠然とフロア内を進む、その、男。 誰一人として動けない。彼の者が発するプレッシャーに押し潰されないようにするのが精一杯で――俺は勿論、ソフィアすらも――。 やがて、男が眠りに就いたエスタークの前に立つ。 「……エスターク帝が敗れたか。流石にやってくれるものだな……」 ちらり、と見上げていた視線を横に逸らす。 そこには、マーニャがいた。 「――まさか、ベギラゴンだなんて……いやね……上には上がいるの……?……だけど! 私の妹分、弟分をこれ以上やらせはしないよ!」 鉄の擦れる音が響き、マーニャの扇が開かれる。 呪文一つの威力では、劣れども。その練り上げる速度での勝負に持ち込む。 その意図を、付き合いの長い俺は理解した。 刹那の間。 「メラ――」 「――遅い」 サッと中空に舞う血飛沫。圧倒的な踏み込みで、マーニャが十分と見た距離を踏破し、その剣を振るう――。 マーニャの呪文が遅い、だって? そんな事があるものか!違う、あの男が…疾過ぎるんだ…!! 「…術に関する天賦の才があるようだな、女…だが、それは武術を疎かにして良い理由にはならん。…惜しいな、その才能すらあるというのに」 スローモーションのように、ゆっくりと倒れるマーニャ。 一撃、だ。アリーナも、マーニャも、女性の身であるとはいえ、彼女たちを一撃で昏倒させる事が出来るヤツなんて…。 「…予言は成就しエスターク帝は敗れたが、好都合と言えば好都合か。幸い、勇者はこの場に居るのだからな」 びっと剣から血を払い、再びゆっくりと歩き出す。 「――デス、ピサロ……」 ソフィアが、ぽつりと名を呟く。 ダメだ、と押し止めるには、余りに距離があり過ぎた。それに、この重圧の中、何か行動を起こせたとも思わない。 「デスピサロ!!!!!」 引き伸ばす事無く、すぱっと響き渡る言霊で魔王の重圧を打ち破る。 それはあたかも、言葉をぶつける、のではなく、言葉で相手を斬りつけるかのように。 タンッ、重力に反発し空を舞う音。 デスピサロが、上空からの強襲を受けるべく剣を構える。 ッキーーーーーーーーーーン!!!! 金属と金属がぶつかり、弾かれ合う音が響く。 着地、二の太刀三の太刀と、ソフィアは止まる事無く剣を繰り出す! 「お前が…!お前が……!!」 「……!?バカな。何故貴様――」 「お前が、殺した!父さんも、母さんも…師匠も長老も…!!シンシアモォォォォ!!!!」 初めて見せる魔王の動揺。呟かれる疑念は即座に慟哭でかき消され、デスピサロもまたすぐに正気に返る。 唐竹、袈裟、逆袈裟、上から叩きつけるような斬撃。 打ち下ろし、打ち下ろし、打ち下ろす、単純な動きにデスピサロは全く揺るがない。 いつものソフィアなら、それはフェイントだ。上へ注意を引きつけておいて、足元を崩す。 デスピサロもそれを見越してか、反撃らしい反撃を行わない。 だが、俺は――いつも彼女の姿を眼で追っていた俺は、いち早く気付いていた。 彼女の剣にあるのは、怒りと迷いのみ。そこに駆け引きなどありはしない。 すぐにデスピサロもそれに気付くだろう。だから、自分の足を拳で叩き、震えを止めて、俺は駆け出した。 「シンシア?…誰の事だ。いや、大方それもあの村の者の名か。 そういえば、擬態(モシャス)で貴様に化けた娘がいたが…」 ソフィアの剣が軽いのは、確かにあるだろう。 だが、それにしたとしても――例えそれがライアンやソロであったとしても、デスピサロが傾ぐ事は無いのでは無いか。 彼奴の強さなどというものをこの俺が計り知れるとも思わないが、今迄の戦いでソフィアをああも簡単にあしらう者はいなかった。 「なるほど、それ故に私を殺すか…道理だな。 だが、妙だ。筋が通っているというのに、何故、そんなにも貴様は迷っているのだ?」 打ち下ろした剣が迎え撃つ剣と噛み合い、鍔迫り合いが発生する。 それも、デスピサロは受けるだけ。ソフィアが押し込むが、デスピサロはそれに対抗する為の力のみを発揮している。 ソフィアを覗きこむかのように顔を近づけ、瞳を見据える魔族の王。勇者と、魔王の、邂逅。 口を開くソフィアだが、言葉が続かない。 彼女は未だ失語の影響で、咄嗟に雄弁なる言葉を紡ぐ事が出来ない。 「……ソロが居るという事は、貴様たち、ロザリーに出逢ったな。 何か吹き込まれたか……」 ちらりと視線をソロへと向けるデスピサロ。 ソロは、雷撃招来(ライデイン)の術を練り上げ解放するタイミングを計っている。 ソフィアが長く時間を稼げると考えれば、マーニャの治癒へと向かうのだろう。 それをしていないという事は、つまり――そういう事、だ。 「…どうして、人間を滅ぼそうとするの!?ロザリーと一緒に、二人で…ロザリーヒルの皆と一緒に、幸せに…暮らせば良いじゃない!?」 「それは…今更だ。もう、遅い。 それに人間を滅ぼさねばならぬ事に、変わりは無い。…人が生きていれば、いずれロザリーは…」 「そんなの…そんなの解らない…」 「解らない?本当に、そう思うのか?違う。これは確定した事象だ。 人が存在する限り、ロザリーは常に怯え、危険を感じながら暮らさねばならぬ」 「だけど、私達は違う!」 「そう、お前達は。だが、そうじゃない者達もいるだろう?」 「大多数の関係の無い人達まで、滅ぼそうと言うの…!?」 「そうだ。…そう、お前達は関係ない、というのだな。自分たちと違う人間の仕出かす事は、与り知らぬ事だ…と」 「――それは……」 「案ずるな。間違っている訳では無いさ。…だがな、勇者よ。獣も、鳥も、ホビットも…魔物すらも。喰らう為以外には、必要以上には、殺さないのだ…。 愚にもつかぬ、蒐集欲を、見栄を、満たす為に…他者を傷つけるのは、人間というカテゴリーに属するモノだけなのだ。 欲深い人間と、そうではない人間と、どう区別をつける?貴様たちで隔離してくれるのか? ロザリーと四六時中離れずにいる、というのは現実的では無い。永い時を共に生きれば、数日、数時間、数分、数秒…離れる事にもなる。 愛しい者一人守るという事は…存外に難しいのだ。それは人間を滅ぼす事以上に、な」 「嘘!狂った魔物は享楽に耽る為に人を殺すわ!それに――お前は、私の大切な人達を喰らう為以外に、殺した!」 「その理屈で言うならば私は狂っているのかもな?…魔に、とて。護るべきものはある。それが可笑しければ嗤うがいい」 「私にだってあったのよ――貴方は……貴方は、誰の気も知らず、自分の事ばかり…。 だから誰かを殺せる、ロザリーを悲しませる!ロザリーは、そんな事…望んでいないのに…」 「他人の気を知っているかどうかは興味が無いが……何も知らぬのは貴様達だよ、天空の勇者。 雑兵ですら察している事にも気付かず、こうも向こう見ずでは、な」 デスピサロがすっと体を横にずらす。 押し込んでいたソフィアは力をいなされ、数歩たたらを踏んだ。 一閃。 ぱぁっと、場違いな音がする。 そう、思った。だって、こんな鮮やかな。 鋭利な刃と、使い手の技量次第では、こんなにも――死、とは。綺麗な音がするのだろうか? 「――イヤァァァァァァ!!!」 ソフィアの絶叫が聞こえる。 ああ…何度目だろうか…俺は、また…彼女を守れなかったんだ…だって、彼女に、こんな…悲痛な声を出させてしまったんだから…。 むかむかと、胸をせり上がってくるものを、びちゃりと吐き出す。 どうやら、腹、のようだった。 止め処なく溢れる俺の血液が、だくだくと地面とソフィアを汚していく。 「………ご、めん………汚しちゃっ………て………」 「勇者よ。これも、私の責だと思うか?」 頭上から、声がする。 俺はソフィアに抱えられているのか。 これは、ダメだ。なんとか彼女に距離を取ってもらって……頭を、冷やしてもらわないと……。 「違う。それは違うな。その雑兵が死に瀕しているのは貴様の責だ。 何も出来ず、駒に甘んじている貴様の、な。…だが、それを責めるのすら酷なのか、最早…我等には、何も…」 苦悩に満ち満ちた声。 既に痛みすらも消え果た世界で、俺にはそう聞こえた。 「……栓無き事か。良い。ここで楽にしてやろう。せめて、貴様だけでもな」 ズンッ。 魔王の剣が。 無造作に、余りに簡単に、俺の頭上にある彼女の心臓を――貫きせしめた。 ああ。 あああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!! ――あ、ぁ。 ソフィア、ソフィア、ソフィア!!! 俺を抱えていた腕からふっと力が抜ける。 後ろ向きに倒れていく少女を、支えようと身体をよじるが、それは丸っきり動きとして反映されない。 とさっと、小さく軽い音がする。 何度も何度も彼女の名を呼べど、それは声にならない。 ごぽごぽと、腹から逆流してくる血泡を散らす結果となる。 「……」 地に這い蹲る俺たちを見遣る魔王の慧眼。 それは、冷たく、哀れみが宿っており。 「…そうか、ソロと…貴様か…勇者に声を与えたのは」 「――……は……?」 「雑兵と言えども侮れぬものだ…これで、変わるのか、それとも何も変わらないのか。…今はまだ、その答えが出る時では、無いのか――」 ッガァァァァン!! 耳を劈く怒号と共に、俺の視界が白濁する。 白んだ世界は容易に光を取り戻す事はなく、出来る事といえば熱を失っていく彼女を、抱き締めるのみで。 少し吹き飛ばされたのかもしれない。だが、今は意識を手放してしまわないようにするのが精一杯で周りを確認する事もできない。 「…ピサロ」 「フ…ライデインか。まだ、そこ止まりなのか?」 「ああ。本当は、今少し――時間が欲しかった所だが。なに、人生はいつも転機の連続だし――肝心な時にいつも間に合うかと言えばそうでもない。 お前が、俺とソフィアの村に来た時と、同じに」 「そうだ。…私達は、いつも間に合わぬ」 「だからこそ、今あるもので、出来る限りをやるしかない。嘆いたって、仕方が無いのだから」 「…同感だ。私と貴様は…似ているのだろうか?」 「止めてくれ。そんなの、お前も不本意だろう?」 デスピサロの剣が持ち上がる。それを受け、下段に構えるソロ。 それは、まるで一枚の壁画のよう。 碧髪の、鋭い目つきをした美しい青年と、長い銀髪に紅い瞳の、魔族の王。 二人が対峙する周りには、眠りについた地獄の帝王と、累々と横たわる青年の仲間たち。 決着が――つく。 永かった旅の目的の一つが、今――。 「デスピサロさまぁ!」 が、張り詰めた空気を、ミニデーモンの幼い声があっさりと破ってしまう。 デスピサロもソロも、視線を外さぬままではあったが。 「たいへんです!ロザリー様が…ロザリー様が、人間たちの手に!」 「…なんだって、ミニモン!それは本当か!?」 「え?ソ、ソロ様…?」 その報を聞き、真っ先に驚愕の声を上げたのは、ソロだった。 対して、デスピサロは――既に剣を鞘に収め、部屋の出口へと歩みを進めている。 「待て、ピサロ!俺も――」 「…それには及ばん。お前は、その者達を救ってやるんだな。 まだ…独りで戦っている時の癖が抜けていない。それでは、これから先…立ち行かんぞ」 マントを翻し、それきり足を止める事無く、姿を消す。 ミニモンが、ちらちらとソロを気にしながらも、続いて行った。 後に残されたのは。 浅い呼吸を繰り返すアリーナ。かろうじて出血だけは止められたマーニャ。二人の治癒でついに力尽きたクリフト。 俺と何よりソフィアの状況に、顔面を蒼白にしながらもすぐに脱出(リレミト)の準備をするソロ。ソフィアに、ありったけの治癒呪文をかけ続ける俺。 そして、呼吸が止まり、その肌の温もりを失ったソフィア。 あまりに静かで、惨憺たる光景。 初めてだった。 これほどまでに、打ちのめされたのは。 最早何も考える事もできず、ただ、ひたすらに術を練る。 やがて、それすらも出来なくなった。もう、俺に出来るのは…自分の失われていく体温で、少しでもソフィアを暖めようとする事だけだった。 HP:2/105 MP:3/48 Eドラゴンキラー Eみかわしの服 Eパンツ 戦闘:物理障壁,攻勢力向上,治癒,上位治癒 通常:治癒,上位治癒