ソフィアが死んだ。 たった、それだけ。たったそれだけの事で、どうしてこんなにも俺は虚ろなんだろう。 全身の感覚がソフィアの後を追ってしまい、視覚も聴覚も正常に動作していない。 歪む視界、遠い音。自分が今何処に居るのかも解らない。 ただそれでも、どうやら眼の前にはベッドがあって、そこにソフィアが横になっているらしい、という事だけは解る。解っている気がする。だから動かない。此処から。 次に気がついたのは、隣で擬似蘇生(ザオラル)を唱えるミネアの姿だった。 彼女がいつ入ってきたのか。解らない。扉が開く音がしたとしても聞こえなければ意味も無い。 視界にいつ入ってきたのか。覚えていない。気付いたら、もう呪文を唱えていた。 小さく息を吐く。結果は…同じ。 ミネアとクリフトが何度呪文を唱えても、ソフィアは蘇らなかった。 どうして。いや、疑問を挟む余地など無い。死者は、蘇らない。 そんなものは当たり前の事だ。そう、当たり前の…。 何処かで感覚が麻痺していたのだろうか。 そうなのかもしれない。仲間達は皆強かったから、死ぬなんて事を考えられなかった。 いや…。 考えようとしてこなかったのか。 喪って、初めて気付いてしまった。 俺は、ソフィアが好きだった。大好きだった。どうしようもなく――。 どうして、どうして気付いてしまったんだ。気付きさえしなければ、こんなにならずに済んだのに。 失くしてから気付くなんて…遅すぎるじゃないか…。 ずっと続くような気がしていた。 だから、きちんと考えてこなかった。自分の心を。 その挙句が、これか――。 白く透き通る、綺麗な少女の顔にそっと手を当てる。 その冷たさに、言いようの無い悲しみを感じ。 いつかの誓いは破られる。 ぽろりと、一粒、二粒。涙が零れていった。 ・ ・ ライアンが深いため息をつく。 「困りましたな…」 「ええ、そうですね…」 相槌を打つのはトルネコだ。 宿屋の食卓には今は二人しかいない。 つい、思い返してしまう。 10人が円卓を囲み、賑やかに行われた食事を。 明るく、楽しく、時に喧騒にもなったけれど。あれは、楽しかったのだ。 だというのに。 アリーナが、マーニャが傷つき、そしてソフィアが斃れ――。 「もう…あの頃のような時間は過ごせないのでしょうか」 「そんな事は…だが、皆が立ち直らない事には…」 そこで二人は嘆息する。 何も考えていない訳では無い。彼女たちは、恐らく再び立ち上がる。 だが…。 「ネネを喪ったら、私は…考えたくもないですよ…」 悲しげなトルネコの言葉に、ライアンもまた、瞑目した。 ・ ・ 木に拳を打ちつける音。 アリーナ。彼女の、慟哭の音。 「私は…私は何もできず…あの男が!デスピサロがいたのに!あんな…」 ドン。 男の胸に拳を打ちつける音。 ソロ。彼は、彼女の慟哭を受け止める。 「あんなに力の差があるなんて…私じゃ…」 「…諦めるのか?」 「……」 「俺は諦めない。ヤツは間違っている。 生あるものはいずれ滅びる。それを恐れて、人の全てを殺すなら…人も魔も、動物も、虫も、自然すらも破壊しなければならない。 大切な人を奪うのは、何も人間だけじゃないのだから…ヤツは、臆病なだけだ」 「……」 「アリーナ。君は、あんな男に負けるのか?負けたままで…良いのか」 「良いわけがないわ!許さない…ソフィアを殺したあいつを、許せるもんか!」 ぐっと、拳を強く握る。 だが、すぐにはっとしたような表情で、アリーナはソロを見上げた。そうして、自分の口を抑える。 「…ごめんなさい」 「いや、構わない」 「ソロは…私、バカな事を訊いてしまうけど…悲しく、ないの…?」 思わず、そう問いかけてしまっていた。 バカな事だ。バカな事。しかし、つい、とはいえそう訊ねてしまう程に――ソロは、静かに立っていたから。 「…俺は、二度目だから。前よりは、慣れたんだと思う」 視線を外して、夜空を見上げる。 彼女は――自分の目の前で、妹の姿のまま息絶えて逝った彼女は、今の俺を見て…どう、思うのだろう。 立派だと言ってくれるだろうか。それとも――。 「悲しかったら…泣いても、良いと思う」 視線を戻す。 眼の前の少女は小柄だから、見下ろしがちになりがちだ。 対して、少女の方は男を上目遣いに見上げる。 その、強い意志の宿った瞳で。既にそこに、慟哭の色は無い。 「アリーナ…。ありがとう。だけど、俺は大丈夫だから。泣くとしても…それは、全てが終ってからにしたい。 そう、約束したからな…」 「…解った。その時は今度は私が胸を貸してあげるわね」 どん、と拳で自分の胸を叩いてみせる。 ソロは微苦笑を浮かべながらそれにも頷いた。 ・ ・ 老眼鏡をかけた老人が、一心不乱に書物を漁っている。 蝋燭の小さな光源のみに頼っているせいか、時折こめかみの辺りを抑え疲れをほぐしていた。 ゆらりと小さく焔が揺れる。気配を感じ、老人が顔をあげる。 「なんじゃ、お主か」 「なんじゃとはご挨拶ね、お爺ちゃん」 「ふん。察しはついておったしな。 お主は…思ったより大丈夫そうじゃな」 「あったりまえじゃない。あの子達みたいに若くないもの」 小さく気炎を吐く女に、動かす手を休めずに老人はそうかと小さく呟いた。 この女とも長い付き合いだ。彼女が、人一倍責任を感じているであろう事はすぐに解った。 あの場で最年長の自分が妹分、弟分を護れなかった。 誰より自分を責め――それを億尾にも出さない。悟らせない。それが彼女の矜持。 ならば、それを尊重しようと、この人生の先達はそう思う。 訪ねてきたのは彼女だ。だから、彼女が喋るのを待つ。 「…あいつ。最上級の呪文を使ってきたわ」 「……なるほど、それで訊きにきたのか。 が、残念じゃがわしは氷結系の最上級、それも知識としてしか知らぬよ」 「それでも良いわ」 「…?お主では扱えまい。今更、氷結の基礎から修練するのも――まあ、お主なら可能やもしれんが…」 「勘違いしないで。…ヒントさえ掴めれば、後は私が何とかしてみせる。 それに、年寄りの冷や水はお爺ちゃんの十八番でしょ?それを奪うようなマネはしないわよ」 「ふ…凄い自信じゃな。じゃが…嫌いでは無いな。若者の、そういう所は」 負けていられないな。そう思う。 その、彼女なりの発破に苦笑し、己の知識を今一度、実践へ移す時が来た事を知る。 「良かろう。じゃがその前に、少し手伝ってくれ」 「…何を?」 「探しものじゃよ」 ・ ・ 何もかもが遠い世界の出来事のようだった。 傷つき斃れたアリーナも、マーニャも、それぞれが再び立ち上がり、歩いていこうとしている中で。 彼女を喪った俺は独り、深い闇の中に居た。 今日もまた、ミネアが部屋を訪れ、呪文を唱えている。 そうして、いつものように効果は現れず、ソフィアが目覚める事は無い。 いつもなら、小さくため息を吐いた後、小さな声で失礼しますと残し部屋を後にするのだが、今日は少し違っていた。 「…そろそろ、進みませんか?」 そう、聞こえた。 だが、俺にはその言葉の意味が解らない。 勇者である、ソフィアが死んだ今、何処に進めと言う。 「勇者の光は、ソロさんの中にも宿っています。 デスピサロを斃さねば、人は皆…」 バカな。ソロに、ソフィアの代わりをしろと? 「違います!そういう事では…」 「そういう事じゃないか!お為ごかしは止せよ! ソフィアが…ソフィアが死んで…ソフィアがいないのに、見知らぬ他人を救ってなんになる!? 他の誰が死んだって構うもんか!ソフィアが生きてれば良かったんだ!!」 「――それじゃ、デスピサロと同じじゃない!」 バン、と扉が開け放たれる。 そこにはアリーナ、そしてソロの姿。 「自分たちさえ良ければ良い、本当にそれで良いの!?」 「違う!だけど…自分たちが無いのに、他人だけがある、自分にはその良さが無いのに、他人のそれを守る為に戦う、そんなの…辛いじゃないか…」 「そうしている人がいるの。――ソフィアがいなくなって悲しいのは貴方だけじゃないんだから!」 そうなのだとしても。そうなのだとしても――立ち上がれないんだ。 これからどうしたら良いのか、もう…今迄立っていた場所が崩れてしまったら、そこにはもう立っていられない、空中に立つ事なんて出来はしない…。 右も左も解らない中で、最初からずっと一緒に居てくれた――彼女の上に俺は立っていた、彼女が居たから立っていられた。 俺にはデスピサロの気持ちが解る。 この世界に来る前の俺にはきっと解らなかった。だって、こんなにも。他人を好きになった事なんて、無かったから。 彼女さえ、居てくれれば。 そう思える存在がもし大勢の人間に追われていたら? 説得する。説得…バカな。それで解決する訳も無い。その努力をしたとしても、やがて諦め。 そして、隠すだろう。 愛する者の行き着く先は籠の鳥。窓から見える外には決して、踏み出せない。 籠の外は、鳥を狙う害虫が多過ぎるから。 自由を与えたい。だがそれは余りに、彼女にも己にとってもリスクが大き過ぎる。あまりにも。 寂しそうに外界を見る愛しい人。何故だ。どうして彼女がこんな目に合わねばならぬ。 自分を虐げる者の死すら哀しむ、聖なる存在が――な、ぜ、だ。 悪いのは彼女か? ――――――否。 悪いのは――――――。ダレダ。 …突然、くしゃくしゃと、髪の毛をかき回された。 深い心の奥底に沈み、嵌りそうになっていた俺を引き上げる。 その何処か乱暴で、だがいつもより優しげな手は、マーニャのものだ。 「ミネア、まだ希望はあるんでしょう?」 「姉さん…希望、などと言えるのか解らないけど、私にはまだ、ソフィアさんの中に光が見えるわ。 とても弱々しくなってしまったけれど…だからこそ、私も擬似蘇生を続けてる訳だし…」 「よし、じゃあこれを使って取りに行きましょう」 どすんと大きな音と共に、テーブルの上に置かれるのは大きな壷だった。 ・ ・ 「さあ、泣け!泣いてルビーの涙を流すんだ!」 ゴッ、ガンッ、バチン。 「強情なヤツめ…これでもか!」 ドンッ、ギリギリ、ぐしゃり。 「おいおい…やり過ぎじゃねえのか?」 「あーあ…死んだら元も子もねーってのに」 「へへ、別に良いだろ。あれだけやっても一粒たりともルビーを流さねえんだから…よ!」 「まあな」 「人間様に楯突くこいつが悪いわな」 「ヒヒヒ、そういう事そういう事」 「……ロ……さ……ま……」 「ん?なんだ、まだ生きてるのか?」 「ピ……サロ……さま……きて……くださったのです……ね……」 現れたのは、魔王。その光景に、愕然とする。 限りなく完璧に強い力を持った存在が見せる狼狽。そして、絶望。 「貴様ら…ロザリーに…ロザリーに何をした…」 「あん?誰だおめえ、いつのまに…何って…なぁ?」 「へへ…」 彼らには解らない。 眼の前に、火山口がぽっかりと口を開き、中から今にもマグマが溢れ出さんとしている事が。 「ナニ、に決まってるじゃねーか…よ!」 がっと、ロザリーの頭が蹴り飛ばされる。 ぶつん。 そうして、何かが切れた。 「消えろォォォォォォォォォォォ!!!下衆ドモォォォォォォァァァァァァァァ!!!!!」 この世の、ありとあらゆる者を超える魔力。 それが、破壊の力へと姿を変える。 極大爆裂呪文(イオナズン)――呪文の中で、一つの頂点として評される周囲を破壊し尽す術。 辺りには何一つ、残っていなかった。 草も、樹も、動物も、虫も…人も。 魔王によってそこに存在するを許されたのは、唯、エルフの娘のみだった。 「ロザリー…ロザリー…?聴こえるか?」 「はい…聴こえます…やさしい…こ…え…」 「待っていろ、すぐに治療する…」 魔王の、先ほど破壊の術を行使した掌が優しく光る。周囲を打ち壊した魔力が、信じられないほどに暖かく光る。 完全治癒(ベホマ)の輝きが。 しかし。 その光は届かない。もう、遅過ぎたから。間に合わなかった、から。 「ピサロ…さま…わたしの…最後の…わが、まま、を…き…いて…くださ…い…」 「最後…?馬鹿なことを言うな…」 「どう、か…野望を…捨て…て…わた…しと…ふたりきり…で…ずっと――――――――……………………」 「ロ…ロザリー…!」 ふっと。 かろうじて、燃えていた命の灯火が、吹き消され。 ―――――――――無音。 全ての音が死滅した、世界。 「………………」 絶望に満ちた世界で魔王は小さく呟いた。 最後の約束は――生まれ変わった先で果たそう、と。 それが最後の言葉。 エルフの娘が愛した魔族の男としての、最後の、言葉。 「許さん……許さんぞ……人間、いや……。 例えこの身がどうなろうとも、必ず……根絶やしにしてくれる……!」 魔王の視界が真紅に染まる。 彼の瞳から溢れる血涙の為に。 爆裂の余波でじりじりと燃え広がる紅の焔の為に。 何時の世も、人は、自らの手で滅びの運命を選ぶのだ。 何時の世も。何処の世も。 HP:105/105 MP:48/48 Eドラゴンキラー Eみかわしの服 Eパンツ 戦闘:物理障壁,攻勢力向上,治癒,上位治癒 通常:治癒,上位治癒