終章 ピサロがデスパレスに戻って来た時の魔物たちの反応は様々だったが、大半が彼の帰還を喜んでいたのには驚いた。 意外と人望があるのか…いや、魔望…魔にとっての希望なのか。この男が。 玉座まですんなりと昇って行くと、そこには巨体の魔術師がいた。 「エビルプリースト…」 「ピサロ様…いや、ピサロ。今更のこのこと戻ってくるとはな…」 「愚か者め…それは私も同じか。多くは語るまい。それこそ…今更だ」 魔界の剣を抜き放ち、ピサロが構えるのと同時に、ソロ、ソフィア、アリーナが臨戦態勢に入る。 俺もまた剣を抜き、皆より一歩下がった場所で構えた。すぐに術の構成に取り掛かる。 エビルプリーストの身体が変化する――それはデスピサロと同じ変化だった。 腕を飛ばし、頭を潰したあの状態へと変化し、腹に眼が浮かぶ…まるであの戦いを早回しにしたかのような。 「進化のスピードが速まっている…?」 「デスピサロの時と同じ、という事はあの変化がやっぱり進化って事になるのかしら。…私、進化したくないなあ」 最後の決戦が始まる――。 そう、息を呑んだのは良いのだが。 「睡魔(ラリホーマ)」 ソロのラリホーマで一発で寝るエビルプリースト。 ちょ、いいのか!?緊張感たりなくね!? 俺が内心突っ込んでいるとさっさと攻勢力向上(バイキルト)をかけろと言われる。 いいじゃないか…どうせピサロも使えるんだし。 ま、ソフィアに対して使われるとむかつくから俺がやるけどさ! ピサロが回転しながら宙を移動し(!)ソロ、ソフィア、アリーナが打ちかかる。 俺とミネアは後方待機だ。正直、この面子で負ける気がしない、というのが俺の本音。 特にピサロがなあ…あれ変態だわ。 豊富な魔術に強力な剣技。修正してください。 あっという間にエビルプリーストの形態が変化していく。 最早――敵では無かったのだ。その、最初から。 彼奴が死に物狂いで吐き出した冷たく輝く息でさえも――ミネアのフバーハで威力は著しく軽減され、ソロの極限治癒(ベホマズン)が全てを無かったことにする。 アリーナが会心の一撃をぼこぼこに繰り出すし、ピサロは自分に攻勢力向上を施し魔界の剣を振るう。 そして――ソフィアだ。 あの狭間の世界での戦いは彼女を飛躍的にレベルアップさせたらしく、今や彼女の剣は比類なき冴えを放っていた。 「ば…ばかな……。 ……それとも これも……進化の秘法が…見せる幻影…なのか……」 ざらざらとした風化し、消えてゆく。 最後まで魔族の王を自称した、愚かな末路。 「……バカめ」 ピサロがぽつりと呟いた。 彼にとっては、愛しき者を奪った憎き敵。で、ある筈なのに。 その眼には憐憫の光が宿っているように思う。 そんな彼のマントの端を、離れて見守っていたエルフの娘がそっと握った。 ――そのときだ。 あの、忘れがたい声が響いてきたのは。 声は誘う。 勇者を、天空の城へと。 眩い光が辺りを覆う。ソフィアは、思わず瞳を閉じた…。 外に出ると、馬車もまた消え果ていた。 その場に残されたのは、俺と、ロザリーと、ピサロ。 「私は仮にも魔族を束ねるものだ。天空の城に暢気にはいることなど無い」 そう言い捨てて、魔王は歩き出す。 城を出るまで何かしらに集中しているような素振りを見せていたのは、ソロとソフィアにメッセージを投げていたらしい。 …意外と律儀な男だ。 「何をぼんやりしている。速くついてこい」 「……」 「お前とは話したいこともある。 それに…此処に残りたいのか?」 「まさか。…けど、そうだな」 ニヤリと笑うピサロ。 俺はなんとはなしに背後を振り返り――その幽鬼のような城から避けるように前へと進み始めた。 って前は魔王じゃん!ロザリーの後ろについていこう…。 ロザリーヒルの丘から空を進む気球を眺める。 のどかな気球の旅が何処か懐かしい。 やがて、ピサロが一人、こちらへと歩いてきた。 「もう、いいのか?」 「ああ…」 俺の問いにピサロは短く答え、歩き出す。 ゆっくりと…小さくなっていく気球から、未練を断つように。 俺はキメラの翼を空に放り投げる。 ブランカへ――だが、空に舞った羽はそのまま地に落ちた。 「ダメだな…そっちは?」 「少し待て。行ける所を探す」 ピサロが瞬間転移(ルーラ)の術を紡ぐ。 だが、それも中々発動しない。暫くの時が流れ、ようやく発動したその術で、俺たちは草原のど真ん中へと現れた。 この風景は…見覚えがある。…そうか、ここは…ブランカの東…か…。 俺達は逸る気持ちを抑え、歩き出した。 「今頃、どの辺にいるのかな」 「さてな」 「まずはサントハイムだな! 鳥卵がサントハイムの人達をこっちに帰してくれてる筈だし、今頃アリーナは喜んでるだろうなあ」 飛び跳ねて王に駆け寄る娘。 それをしっかりと受け止める、頼もしき王。 王と兵は姫の帰還を喜び、姫とその忠実なる僕二人は王と兵の帰還を喜ぶだろう。 そして、勇者により世界が救われたことを。 「宴が何日も催されたりして…だけどあんまり長居もできないから、こっそり抜け出してたりしてな」 「あの姫君のことだ。恐らくそう簡単には…そうだな、ソロが残ったかもしれん。アレがいれば暫くは収まるだろう」 「じゃあ次はバトランドだな!ライアンは王宮戦士だから…やっぱり宴とかかなあ」 「あの国は武人の国だ。華美な催しは得手ではあるまい…皆も故郷へ帰りたいと思えば早めに辞しているやもしれん」 「なるほど。…その次はエンドールかな。トルネコさんの奥さんの料理は美味かったなあ…ってそういえば城の中にデスピサロにビビッてるのがいたような…」 「なんだそれは?」 「なんだったかなー剣幕にビビッた思い出。その後はモンバーバラ…かな?」 「…あの小さな村かもしれないな」 「…ああ、そうか。そうかもしれない…」 夜が更け、梟の鳴き声が聞こえる。 ぱちぱちと木の爆ぜる音。 静かな森には虫の声も響き、賑やかなことだった。 尤も。 仲間が皆一緒だった旅とは比べ物にはならなかったが。 「それで…」 長い沈黙を破り、ピサロが口を開く。 放った薪がぱちっと乾いた音を立てて燃え上がった。 「何処まで気付いた」 「……ああ」 何処まで――または、何を。 「マスタードラゴンは進化の秘法を使ったな?」 ほう、とピサロの眼が見開かれる。 彼の眼は、彼の神のそれとは違う。 小さなものを見るような眼ではない。彼は、魔王は今、対等に俺を見ている。 「どうしてそう思う?」 「天空城にあった書とエドガンの手記を読めば誰でも想像がつくさ。 ヤツが元々何であったのかは解らない。だけど、究極の進化とは何か――それをあの姉妹の親父さんは掴んでた。 即ち、神へ至る道、だ。そもそも錬金術っていうものは…そういった術、学問であったから」 「…かつて、エスタークと呼ばれた存在がいた。 彼は…神と同じ道程を辿り究極の進化を遂げ、比類なき力を手に入れようとした。 が…神は一つの世界に神が並び立つことをよしとしなかった」 「だから、封じた。滅ぼさなかったのは…さて、誤算か意図か、どちらでも良いことかな。 神への反逆者を地獄の帝王と断罪し、地の底へと」 「地上にとっては平和な時間の始まりだ。 だが…奴にとってはその平和な時間も…酷く、退屈なものだった」 深い森。ブランカからこの場所までの道に存在する民家はたった一件だけ。 もう少しで…辿り着く、彼女の村であった場所。 「一人の天空人と一人のきこりの間に産まれた運命の子供が育った村を魔王に滅ぼされ…。 導かれし者達と共に魔を打ち倒す物語…」 「そう。それが数十…数百万と繰り返されてきた。もっとも…私の結末は、流転したが…それも大枠を外れることはない」 「そして…」 「……。急ぐぞ。休憩は終わりだ」 俺たち二人は火の始末をし、再び歩き出した。 嘘であれば良い。 だが、嘘では無いだろう。そう…確信していた。 あの眼をしたものならば、やるだろう。そこに躊躇いなど…あろうはずもない。 懐かしい…風景。 彼女と二人で走った森。 先にあるのは、絶望の象徴。 ああ――なんて、酷い。此処はただの更地では無い。更地であれば良かった。 此処には、人の住んでいた痕跡がある。 「私は…後悔はしていない」 ピサロがぽつりと呟く。 ともすれば眼を逸らしたくなる光景を見据え、俺もまた後に続く。 やがて、村であった土地の中央部が見えてくる。 懐かしい…そう、確かあそこには…花畑が――ある訳が無い。 だって、あの土地は焼き尽くされたから。 今尚、爪痕は痛々しく残り、ぼこぼこと不気味な気泡を時折噴き出す浅い沼のようになっている。 そして、その中央に。 「――――――――――」 嘘だと。 言って欲しかった。なのに、ピサロはただその沼地を見詰めている。 俺はふらふらと歩き出した。 ふらふら、ゆらゆらと、夢遊病にかかるとこんな足取りになるのだろうか。 だって、まるで夢心地。 そんなことはあってはならないことだから。なら、それは夢であるべきで。 「……ソフィア」 青白い顔をした少女。 沼地の中央で、まるで眠っているかのよう。 幸せそうに微笑んでいる。きっと、楽しく、嬉しい夢を見ることができたに違いない。 …末期の、夢は。 半分ほど沈み込んでいた少女の身体を引き摺り上げる。 びりびりと、毒素が俺の身体を苛むがそんなことに気を割いている余裕などない。 いや…余裕はあったのかもしれない。 もう…手遅れであったから。 仲間を送り、勇者は独り育った村へと戻る…勇者には、そこしか行き場所が無かったから。 滅んだ村――その中央で。勇者は俯き、背負った盾が地に落ちる。 そのとき、奇跡が起きた。 勇者の周囲、毒の沼地がかつての花畑へと変貌し――喪われた命が一つ、輝きを取り戻す。 再会。そして、勇者の仲間たちが駆け寄る……。 まさに絵に描いたようなハッピーエンド――とてもとても、幸せな…夢。 ピサロが行う完全蘇生(ザオリク)の呪。 彼女の瞼は…開く事は無い。 「魔王、などと呼ばれても…神の呪には、届かない。 情けない話だがな…」 「…………」 声も無い俺を、ピサロは責めることはなかった。 ただ、少しだけ…悼ましそうな眼をして。何かに気がついたかのように、森へと視線を転じる。 「…来たか」 荒い息遣いで現れたのは…ソロだった。 呼吸を整える間すらも惜しんで駆け寄って…そして、知る。最愛の妹の…●を。 うぐ。ぎ。ぐう。 ギイ…がぐううううううう嫌だ嫌だ嫌だ認めない知らない…。 違う。 それじゃダメだ。それじゃあ何一つ…俺は成長していないことになる…。 俺の存在。俺の運命。俺の…為すべきこと、成したいと思うこと。 「ソフィア…こんな…。 本当に、これは…奴の…ピサロ、お前が常々言っていた、神の仕業なのか…」 「…確かめてみるがよかろう。彼の神に、直接、な」 「ピサロ…そう、だな。…そうしよう」 勇者と魔王。 決して並び立つ筈のない存在が今再びその道を同じくする。 そして――。 「……行こう」 二つの影が、三つに増える。 全てを終らせる為に。 全てを、変革する為に。 終らない物語を終らせる…為に。