天の玉座に竜の神。
世界を統べる、絶対たる王。
その王の前に今、三つの矮小な命がある。

勇者も。
魔王も。
彼の存在にとっては、吹けば飛ぶ程度のものでしかない。
それを、まるで魔王は自分と匹敵するかのように…。
勇者が魔王を打ち倒せる唯一の存在であるかのように…。
祭り上げ、おためごかし、意のままに操り。

「デスピサロ…いや、ピサロ、か…。
そなたも懲りぬな…」

「……」

「数十万という途方も無い数を、たった独りで私に挑み、その度に破れ…。
少々、飽いた。今回は中々に楽しめたというに最後がこれでは――」

「マスター…ドラゴン」

「――ほう。ソロか?ソロもいるのか――これは、そうか…」

喜色を浮かべるマスタードラゴン。
それに対し、疑問とも戸惑いとも言える表情でソロは問う。

「貴方が…ソフィアを…」

「ああ、そうだ。あの結末は私が用意した。
悪くはないだろう?帰るべき場所は既に滅ぼされ…待つ人のいない村に独り戻る勇者…。
本来絶望しか無かった者へのせめてもの手向けだ。実際、あの娘はよくやってくれた」

「お、前が……」

「ふむ!それにしても――そうか、魔王と勇者がな…悪くない、実に悪くない。
これも、そのイレギュラーのお陰か…」

竜神は自分の手柄かのように喜んだ。
いや、実際にその通りであったから、かのように、というのは正しくない。

「お前が…俺を喚んだんだな」

「そうだ。私が喚んだ。同じ結末にも飽いていたのでな、別の要素が欲しかったのだが――。
お前は実によく動いてくれた」

最早語るべき言葉はない。
こいつが…ソフィアを殺した。
こいつが…ソフィアにあんな運命を課した。
こいつが…こいつが…!!

「お前が…!」

「――貴様が」

「お前がぁぁぁ!!!!!」

「「「――殺す!!!!」」」

「吠えるな…矮小なるものよ。やれぬことを叫ぶことほど、虚しきものもない」

巨大な竜に立ち向かう三人の男たち。
それぞれに握られる剣――天空の剣。魔界の剣。ドラゴンキラー。
戦いを報せる鈴の音が響くかのように、三本の剣が打ち鳴らされる!

「ふふ…魔王単体よりかは楽しませてくれるのだろうな…」

ドラゴンは動かない。
その玉座から、まるで動く必要が無い、かのように。

俺の補助呪文を受け、ソロが左から斬りかかる。
それに呼応するかのように、ピサロは右へと回り込み魔神のごとき迫力で斬りかかった。
目線すら交わさない、なのに鏡で写したかのようなコンビネーション。
今にも刃がその皮膚を引き裂こうとした瞬間、ドラゴンの両翼が大きく開く。
勇者と魔王。
その圧倒的な力を持つ両者を…まるで、羽虫を払うように…無造作に…弾き散らす。

「――ちぃ」

「どうした、ピサロよ…それでは、何も変わらぬではないか…。
今度こそ…我を動かしてみせろよ?」

「黙れ!!」

ピサロが素早く印を組む。
最上級の爆裂呪文。それを見越し、ソロもまた呪の詠唱に入る。

戦いは続く。
神と魔と人。
そして、そのどれでもないもの。
まるで導かれるかのように集い、滅ぼし合う。
そうだ。それはどの世界でも起きた、起きている、起きるであろう戦争だ。
ときに神が勝ち、ときに魔が勝ち…そしてときに人が勝つ。
どこまでも不公平で、平等に訪れる筈の結末を彼等は奪い合う。



満身創痍の三人とは対象的に…彼の神はせいぜいが身じろぎをした程度、一歩たりとも元の場所から動いていなかった。
荒い吐息が響く中、神はつまらなそうに…言った。

「やはり、この程度か…興が醒めた」

小さい咆哮。
それは扉の外への合図だ。
今の今まで、扉の外で待機していた有翼の戦士たちが、玉座の間に雪崩こみ狼藉者を押さえ込む。
万全の体勢ならばともかく、今の俺たちではそれを跳ね返すこともできず――。

「――なに?」

ざっ。
どっしりとした足取りで、荘厳な天空の城の床を踏みしめ。
ざっ。
一陣の風を纏い目にも留まらぬ速度で勇者に駆け寄り。
ざっ。
その速さゆえに突出しがちな主を支えるべく。
ざっ。
叡智を宿した眼光で辺りを睨みながら。
ざっ。
おっかなびっくりとした足取りで。
ざっ。
傷ついた勇者と魔王と一人の男に治療を施し。
ざっ。
絶望に満ちた空気を払拭するかのように、自信に満ちた笑みで。

「みんな――」

彼ら、彼女らが並び立つ。

「――今回は、あんたを責めないわ」

にやりと口の端に笑みを浮かべながらも、マーニャの頬にはうっすらと汗が見える。
感じているのだ。眼の前の存在の、プレッシャーを。

「そうでしょ?アリーナ」

「うん。その時間すらも、惜しいから」

勇者の隣に立ちながら、その愛らしい耳を飾っていたピアスを外す。

「それに、ソロも――信じていてくれたでしょう?どこかで、期待してくれたでしょう?」

「…ああ。していたよ。来てくれるんじゃないかって。だけど――まさか、全員とは」

「私たちは皆、自分の意志で此処に来たんですよ」

トルネコが正義のそろばんをしゃらりと鳴らす。

「…良いのか。お前には、妻も子も居るのだろう」

「らしくもない。貴方には、ロザリーさんがいる。なのにどうして此処にいるのです?」

「……」

「譲れないのですよ。臆病で、愚鈍な私でも――ね」

「お主は愚鈍でも、ましてや臆病でも無いわい」

つまらなそうに、当たり前のことのように言う老魔道士。
彼の言葉に占い師が頷く。

「あの戦いを潜り抜け、そして尚この場に立つものがどうして臆病なのでしょう」

それは、神官へと向けたものでもある。
彼は震えていた。
好意的に見れば武者震い。だが、残念ながらそれだけではない。
神に仕える彼は…今、自分で自分の半生を否定しようとしているのだ。

「…恐ろしいか…クリフト殿」

「ライアンさん…ええ…否定しても仕様が無い…私は、怖い。怖くて仕方が無いですよ――。
なのに、どうして…私の足は前へと進むのでしょう?」

「それは、貴公が――そう、その言葉は何でも良いのかもしれぬ」

男だから。女だから。戦士だから。勇者だから。仲間だから――。
それら全てを内包した、掛け替えの無い友が今、集う。

それなのに、そこには一つだけ、影が足りない。

「ねえ、貴方――あれ?私、どうして貴方の名前が解らないんだろう……」

アリーナが俺に声をかけてきた。
彼女は必死で何かを思い出そうとしている。
思い出は、ある。
そう、あの夜の帳の降りた船の上で――私は、彼と話をした。そして、彼の名前を呼んで――。

それはマーニャも同じだ。
何故、彼の、青年の、少年の名が思い出せない?
彼は自分の下僕で…弟子で…ほっとけない、弟みたいなヤツで…。
ああ!それなのに!

ミネアが沈痛な面持ちで俯いている。
全てを知った彼女は、ある意味で尤もこの日を恐れていたに違いない。
伺うように俺の顔を見て…そして、少し意外そうな表情へと変化する。

「ソフィアが死んだ」

俺の言葉が彼らに衝撃を生む。
足りない影。彼らの中心。あの少女が――死んだ。

「…完全蘇生(ザオリク)は!?」

「届かなかった。…ザオリクで蘇ることができるのは、導かれし者たちだけ…そこに居る、神に、な。
神が導くことがなくなれば、それはもう導かれし者達ではない…」

「そんな…どうして…」

アリーナの問いに、玉座で薄ら笑いを浮かべていた神が身をよじる。
それは解らない者にたいして教えたい、という欲求。

「簡単なことだ。幻惑(マヌーサ)で毒の沼地に誘い寄せ、睡眠(ラリホー)で眠らせる。
邪魔が入らぬよう瞬間転移(ルーラ)を封じれば…」

たった。たったそれだけで。
勇者が死んでしまった。勇者と言えど――それで、死んでしまうのだ。
それはつまり、勇者ではない彼等はそれ以上に簡単に――死んでしまう、ということ。

「それでも尚、向かってくるか…?今ならば、お前たちだけ救うこともやぶさかではないぞ。
実際、お前たちはよく楽しませてくれた…これは私からのせめてもの、礼だ」


ブライはその慧眼で冷静に観察していた。
その発言の真意は何処にあるのか、を。
此処に居る全員が自分に立ち向かってくることを恐れているのか、を。
しかし残念ながら、神にとってそのような駆け引きはあまりに興味の無いものであったようだ。
彼は死闘を覚悟する。
撤退?ハハハ、この状況でそんなもの――彼女の臣下になったそのときから、考えることはない。

「――ソフィア……私の親友を、よくも……!」

「…姫様」

「止めるの?ブライ?…解ってるわ、私だって…だけど…だけど…!私は…!」

「速度上昇(ピオリム)」

老魔道士の魔力を受けて、アリーナは驚きに目を見開く。

「さあ、背はいつものようにお任せあれ。
サントハイム宮廷魔術師の、そして我が国の誇るべき姫君の教育者の名に恥じぬ働きをいたしましょうぞ」

「うん!」

嬉しそうに微笑む美しい少女。
彼女の笑みは――若き日の己が見た王妃の笑みに、よく似ていて。
老魔道士は不覚にも目頭が熱くなるのを覚える。

「ほら、泣いてないでやるわよ、おじいちゃん」

「ふん…黙れ小娘。遅れを取るでないぞ」

「それはこっちの台詞!」

ぱん!っと鉄の扇が開かれる。
踊り子の象徴とも言うべき華麗なる武器を持ち、彼女は戦いに挑む。

「フォローは任せて、姉さん」

「ミネアさんは…複雑、では無いのですか…?」

恐る恐る訊ねたクリフトに対し、ミネアは迷いの無い凛々しい表情を浮かべている。

「はい。私は、姉さんを信じています。勇者様…ソフィアさん、ソロさん…そして仲間の皆さんを信じています。
私に声をかけてくれたのは、神様よりも…皆さんのほうが、多いですから。
…ですが、一つだけ、私にも訊きたいことがあります。
…ハバリアの町の近くのほこら…あの場にいた女性を消したのは…」

「私だ。そも、地底に封印されていた地獄の帝王がどうして聖なる神の御使いを消すことができる?」

「――そう、ですか」

ミネアが、クリフトが、めいめいの武器を構える。
彼らの前に立つのは、ライアンとトルネコだ。
良き父と、頼もしき戦士はまだ若い彼らの壁になるかのように、神との中間に立ち塞がる。

「トルネコ殿。くれぐれもご無理はなされぬよう」

「ええ、心得ておりますとも。――全員で、帰りましょう」

頼もしき男たちが前線を張る。
果たして、永き時を共にしてきた仲間達の、最後の戦いが始まった。



マーニャは、考えていた。
自分には天賦の才がある。
だが、その才を持ってしても――ピサロの術には適わない。
人間と、魔王。
その器の差は如何ともし難くて。
全く同じ術なのに、彼女の術は魔王のそれに劣る。

ブライには、敵を攻撃する以外にも仲間を補助する術がある。
翻って自分はどうだ。
その魔術の強力さに胡坐をかき、ただひたすら敵を圧倒する術しか学ばなかった。
勿論、それには仇討ちのためという理由もあった。
だが、仇討ちを完遂した後もひたすら敵へと力をぶつける魔術を習得し、補助といえば精々がトラマナぐらい。
その甲斐あって手に入れた極大の爆裂呪文であったのに、それすらもあっさり魔王に奪われ。

自分は間違っていたのだろうか?
なんのことはない。
彼の師だなどと言ったって、自分が道を間違えていて誰を導くことができるというのか。

竜神に立ち向かうアリーナ。
彼女は巨大な存在に怯むことなく、打ちかかっていく。
親友を殺された、純なる怒りが彼女を怯えから守り、その拳閃をいつもよりも輝かせる。

嘗ては、アリーナとマーニャはパーティーの要であった。
マーニャにとってアリーナはもう一人の妹であり、いつも前線に出張り危なっかしくも助け甲斐のある少女であった。
なのに――。

「随分と、離されたもんだわ」

知らずのうちに苦笑が漏れる。
そんな彼女に、俺は声をかけた。

「そんなことはない。師匠(マスター)には、師匠の成してきた道がある」

「私の道?」

「そう。火力を追求してきた道。その道をきたからこそ手に入れられたものがある」

マーニャは少し驚いていた。
彼はいつのまに、こんなに大人びた表情をするようになったろう?
天空の城に来るまでは…まだ違う。
そう、この城で彼とソフィアは一時的にパーティーから離脱し…魔界で合流した、その後から…?

この少年、この青年、この男――今やどれでも形容できる存在は、果たして何を学んだというのか?
何を知れば、このような表情ができるのか――?

「この世界にとって、彼の神の影響は絶大だ。
だが――この世界のものじゃ、なければ。あったじゃないか、マーニャ。君がプライドを捨ててまで手に入れた、小さな灯火が」

瞬間、マーニャの全身に電撃が走る。
マーニャ自身が辿り着いた最後の、危険を伴う賭け。
命が惜しいわけではない。下手をすれば仲間をも巻き込みかねない、最悪の呪であるから。

「マーニャなら、大丈夫さ」

だというのに、あっさりと。

「…むかつくわ。少しはいい男になったじゃない」

「喜んで欲しかったな」

「――いいわ。見せてあげる。これが、私の、天才魔術師マーニャちゃんの、最終、最奥の秘術…!」

――我は請う。
最古の力。最古の魔。
最古の闇が灯す暗い炎。


「この血肉をもって契約を!」

マーニャの背中から闇が噴き出した。
仲間達が驚いたように振り返るが、彼女自身が感じているのは噴き出す霧ではなく肩にかかる手であった。
憎悪…嫉妬…怨嗟…彼女が思い出したのはバルザック。
父を殺した憎むべき仇。
ヤツの、いやらしい笑み――。
だがそれに身を任せることはない。旅の中、その心を成長させた彼女が闇に囚われることはない!

「異界の魔王の召喚…素晴らしい…」

神がぽつりと呟く。
その驚嘆に対して、マーニャと魔王がニヤリと嗤う。

「今だ!!!」

ソロの号令が響く。
息のあった動きで、全員が動き出す!
補助呪文が仲間の背を押し、魔法と剣戟に神が一瞬無防備な姿を晒す。

「さあ…いくわよ!大魔王の炎(メラゾーマ)!!」

魔王の御名を冠する炎。
それはメラに相応しいとてもとても小さな火の玉。
真っ直ぐに、レーザーのように標的の元へと飛来し、着弾。
巻き上がる渦――焔の渦の中、悶える竜の影が見える。
仲間達から喝采の声があがる。
そして勿論、そこで手を緩めはしない。
ソロが、アリーナが、ライアンが。そして俺もまた、畳み掛けるために疾駆する。

じりっ。
うなじの毛が逆立つ感覚。その感覚を理解したときにはとき既に遅く。

巨大な焔渦を吹き散らし、両の腕でソロとアリーナを吹き飛ばし、冷たく輝く息でライアンを迎撃する。
そして最後の俺には。
既に宙に浮かんでいる俺には何が起こったのかは解らない。
その羽ばたきにすら俺の身体は耐えることができなく宙へと浮かび。
避けられるべくもない尾撃。

ぶつりっと、いやな音がした。
その音は全員の耳に響き、そして否がおうにも現実を直視させる。
男の身体が二つに断たれている。
胴と、足と。
足の方が天空城の床に落ち、胴の方は遠くに弾き飛ばされ、大地へと吸い込まれていく。

「はは…ハハハハハ…よくぞ我を玉座より立ち上がらせたものだ…。
良いだろう!久方ぶりに血沸き肉踊るわ!!」

人々に神と崇められる存在の、愉悦の混じる哄笑が響き渡った。


・
・
・

落ちていく。
空の城より、地上へと。まっさかさまに。
腕が動く感覚はある。足の動く感覚は無い。
ごうごうと唸りをあげる大気もやがて気にならなくなり…そして俺は自分が落ちているのかどうかも解らなくなった。

目を覚ます。
いや、気絶していたのかどうかも解らない。
ただ、それまでどうやら目を閉じていて、そして今、その目を開いた、ということだけは解る。
そこはなにやら真っ白な空間で、辺りには何も無かった。

「ここは……」

辺りを見回すために首を巡らせる。
そこで気がついた。
確かに首を回した感じはしたが、視界が変わらないのだ。
いや…そもそも、180度の視界を持っているのかどうかも…。
周りが白一色であり、そこには空も大地も無い、という事実を知覚しているだけに過ぎなかった。

「――ようやく会えたね」

それでも便宜上表現するとしたら、そう、眼前に。
小さな。小さな、ふくろがあった。

「……そうだな。こうやって話すのは初めてか……」

「ずっと一緒にいたのに」

そういって、笑う。
笑った雰囲気を感じる。
口もたぬふくろが喋る声を認識する。

「しかしそうか…俺は肝心なところで…悪かったな。結局、何も…できなかった…」

「いいや。そんなことはない。
ボクだけではそれこそ、荷物を運ぶことしかできなかった。
君がいたからこそ…ここまで来ることができた」

「そうかな。…結局、ソフィアは死んだ。皆は…皆には勝って欲しいが…」

「ふふ…さっきから君は何を言っているんだろうと思っていたんだ。
さあ、起こすんだ。彼女を」

「……?」

「君が気付かなければ本当に終ってしまう」

「…………あ…………そう、か…………これか…………」

「君の肉体はもう、壊れてしまった。
これを治す術は僕には無い…。だけど…。神ならざる僕にも、用意できる器がある。
人の身体は無理だけれど。道具なら――全ての道具を収める僕になら、可能だ。
君は、何を望むだろう?勿論、君が望むなら――このまま、器をもたないこともできる。それは、異界への回帰か、消滅か…正直な話、解らないのだけど」

「……」

俺の望み。
そんなものは。あのときから、決まっていた。


・
・
・

空が蒼い。
雲は白い。
見慣れた風景。辺り一面の花畑。
ゆっくりと上体を起こす。自分は何故、このような色とりどりの花たちに囲まれているのか。
ぱらぱらと身体から落ちていくものがある。
それはどうやら小さな石や埃…砂のようだった。

(おはよう、ソフィア)

頭の中に響く二つの声。
ずっと傍にいた人たちの声だから、自然と受け入れることができる。
村で育った幼馴染の少女と、村を出てから共に歩いた青年の幻影が空へと消えていく。

手元に転がる壊れた砂時計。
周囲に広がる花畑にも、自身の身体にもかかっている砂。
足元に突き刺さる、細い刀身を持つ剣。

ソフィアは壊れた砂時計を左手に、刺さった剣の柄を右手で握る。
なんの抵抗も無く引き抜かれる剣。
その刀身には、こう刻まれていた。

――Sword Of Sofia――

彼女は彼女の、ソフィアの剣を手にする。

(さあ、行こう)

「…どこへ?」

(あの、空へ)

「…どうして?」

(君の、兄と、かけがえの無い友を救うため)

「…どうやって?」

(それは君が一番解っているよ)

・
・
・


男が身体を断たれ、地へと落下してから数時間が経ち。
マスタードラゴンの火炎が玉座の間へと降り注ぐ。
ミネアがフバーハでそのダメージを軽減するが、それもこう何度も吹き付けられるとキリがない。
だが、自分たちには彼の神を撃つ手段が無い――。

「…卑怯者!降りてきなさいよ!」

アリーナが地団駄を踏む。
彼女たちは今、完全なる自分の無力を呪っていた。
散発的に飛ぶマーニャたちの攻撃魔法では、決定的なダメージを与えることができない。

マスタードラゴンは凍てつく波動を放たずに、火炎と吹雪を交互に吹き付ける。
ミネアを初めとして仲間たち全員に、火傷と凍傷が少しずつ刻まれていく。
もはや満身創痍となりながら、仲間を癒すクリフト。
だがそれも、心が折れるまでだろう。

「賭けるしか…ないのか…」

だがそれはあまりに分の悪い賭けだ。
それまでの戦闘経験が、未だ機が熟してはいないとソロを押し止める。
だが、このままでは機が熟す前に、全てが終ってしまうだろう。

迷っているのはピサロも同じだ。
あのエビルプリーストの使った進化の秘法。
進化のスピードの速いあの術なら、今この場で使用することもできるだろう。
しかしそれでは…。

「――む?」

気が向くままにブレスを吐いていたマスタードラゴンが訝しげな声をあげる。
なんだ?と思った矢先。
下からの一陣の光がその鱗へとぶつかっていく。
神は絶対的な自信をもっていた。
即ち、我が身の鱗を貫けるものなどこの世には創りあげていない、と。

「なんだとお!?」

なのに、何故だ。
今、我が身より弾け、噴出すものは一体なんだ!

神が身をよじり、地より飛来した何かを見る。
白い翼。自身の眷属として生み出した者たちが持つ、美しき羽。
彼女の持つ剣。それが何なのか一瞬、解らない。
だが神はすぐに理解する。つまり、神が解らないものであるということが、一つの決定的な意味をもつのだから。
異界の物質。異界の剣。即ち、己を殺し得る剣!

天空城から空を眺める者たちは見た。
彼らがその身と心を預けていた少女が、今――。

ソフィア殿!ソフィアさん!ソフィア!!

「ミネア!マーニャ!祝詞を捧げて!彼の残した卵とオーブに向かって!」

そう告げるや否や、ソフィアは背の翼を巧みに操り神へと向かっていく。
その小さな背を追うようにピサロが飛んだ。
竜の尾撃がソフィアに向かって放たれる。その射線上から彼女を突き飛ばし、その勢いを利用し自分もまた逃れる。

「――ヤツはどうした?」

「あの人なら、ここにいるわ」

掲げられる細身の剣。

「……そうか」

ピサロもまたそれ以上は言わず。
二人は神へと挑んでいく。


「祝詞…ミネア、なんのことか解る?」

「いえ、私にも…」

アリーナが辺りに散乱していた彼の遺した道具から、一つの卵と六つのオーブを持ってくる。
だが、祝詞を捧げてくれと言われた二人が困惑していた。

(ミネア…マーニャ…)

「…え?ミネア、今の…!」

「…私にも聞こえたわ、姉さん!」

(今から捧げるべき言霊を伝えるから…繰り返して…)

頭に直接響く声。
それを、二人は復唱していく。
その唱和は、彼が狭間で得た二人の友の、餞別へと届いていく。

「時はきたれり」

「今こそ、目覚めるとき」

(大空は、お前のもの)

「舞い上がれ――」

「――空高く!」

ミネアの真摯な祈りが。
マーニャの捧げる神域の踊りが。
本来、羽ばたく筈の無い翼を蘇らせる――。


炎の直撃を受けるソフィア。
だというのに、まるで怯まず己に突っ込んでくる。
いかな勇者と言えど、おかしい。
心が折れなかったとしても、肉体が傷つけば動きはどう足掻いても鈍くなる。

「…まさか」

神は眼をこらした。
少女を、ではない。少女の持つ、異界の物質を。
上位治癒(ベホイミ)の光。
それだけではない。
神が凍てつく波動を放てば、攻勢力向上(バイキルト)の光が、物理障壁(スカラ)の輝きが、少女を包む。
そういうことか――。だが、それでも。
万が一にも敗れることはない。
竜身を完全治癒(ベホマ)の光輝が包み込む。
少女と魔王、彼女らとはポテンシャルが違いすぎる。
時間をかければ如何様にもできる。それが、神の結論。

「…愚かな娘よ。幸福な夢から望まず目覚めさせられ…戦いを強いられている。その剣のせいで…」

「……」

「沈黙は肯定か?では、そのような剣など捨ててしまえ。我のそなたへの感謝は本物だ。
また、安らかに…眠らせてやろう」

「……それは、道具への感謝よね?」

「そうだ。そなたとて、道具を使い終わったら、道具が使えなくなったら処分するだろう?
そうしなければ延々と溜まっていくだけだ」

「ええ。中には捨てるものもある。売るものもある。
…だけど。私は全てをそうしようとは思わない。例え壊れてしまったものでも――」

少女の腰に揺れる壊れた砂時計。

「大切なもの。ずっと、一緒にいたいもの。そういうものが、きっとある。
貴方にとって私たちはそうじゃなかったのかもしれない。
だけど、だからといって――はい、そうですかと破棄されるのなんてごめんだわ」

握る剣に力が篭もる。
少女の意思に応えるように、剣は震える。

「――では、破壊するまでだ。さらばだ、勇者よ!」

神の攻撃が激しくなる。
そんな中、ソフィアはただじっと耐えていた。
たった一度のチャンスを逃さないために。

大魔王の炎(メラゾーマ)が横合いから神を撃つ。
馬鹿な。この高さの我に、どうやって――。

神は見た。
己と同等の存在が。
空を自由に駆ける翼神が――!
この世界で、己以外に存在してはならない存在が――!!

ブライの放つ巨大な氷柱。ミネアの巻き起こす大気を裂く竜巻。
寸分違わず直撃し、神の動きを拘束する!

翼神の加護を受けた4つの流星が縦横無尽に駆け回り、神の鱗に叩きつけられる。
その一撃一撃が、重い。竜鱗をすら砕く一撃へと変貌していた。
ライアンが、アリーナが、クリフトが、トルネコが、砕き、斬り裂き、貫く!

「――ソロ」

「――ピサロ」

その間、勇者は仲間達の魔力を借りて。
魔王は、己自身の魔力の全てを練り上げて。
辿り着いた神域の魔術を――開放する。

「ミナデイーーーン!!!)」

「マダンテ!!!」

鼓膜を破壊しかねない轟音と、衝撃。
まさに全身全霊。
仲間達の築いたその道に、ソフィアが最後の一撃を放つ。
天使の翼が羽ばたくと、少女の姿は一筋の光と化した。

深々と突き刺さる、ソフィアの剣。
神は叫ぶ。苦痛に悶絶しながらも、治癒の叫びを。

「…眠りましょう、一緒に」

ソフィアは解っていた。
これだけでは、止めにならないことを。
だから、覚悟していた。

そして、ソロもまた。
覚悟をしていた。
魔王は大丈夫。彼にはロザリーがいるから。
神も、勇者もいなくても。
きっと、幸福が沢山できる。
…あれほど魔王を憎んだ自分が、こんな感情を抱くとは。ソロは、小さく笑った。

翼神の背から飛び降りるソロ。
神の背へと降り立ち、妹の元へと駆け寄る。

妹は兄へと笑顔を向けて。
同じ結論に達した兄に、申し訳なさと、嬉しさの混ざった笑みで。

「――ダメェェェェ!!」

アリーナの悲痛な叫び。
二人は、少しだけすまなそうに、仲間達を見て、同時に手袋を外す。

神の身体が完全治癒の光に包まれる。
だが、それよりも速く。
ソフィアの剣が引き裂いた、神の鱗の内部にソロが手を突きいれ。

「ありがとう、皆。――大好きだよ、みんな!」

少女もまた、兄の手に、己の手を添えた。


楽しかった思い出。悲しかった思い出。
故郷を出て、旅をして、様々な人に出会って、色々な土地に赴いて。
一秒一秒が輝いていた。

ありがとう。
だから、これはお礼。
大好きな女の子への、小さな、小さな…。


座標融解現象が巻き起こるその中心で。
最後に大きな泡を生み出し、少女の剣は砕け散った。

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